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【1989年100日旅】62日目。ウプサラ

1989年6月6日。旅は62日目。ウプサラ大学の教職員用家族寮へ引っ越し。4LDKで洗濯機も広い台所もあり、リビングには大きなソファーとテレビもある。テレビをつけると、2日前に起こった天安門事件を大きく報じていた。日本から遠く離れると、中国は何かぐっと近い存在に感じて、胸が痛んだ。

台所があるのでスーパーに買い出しへ。スーパーには東南アジアのフルーツまであった。スターフルーツを買ってみたが食べ方がよくわからず、追熟なしで食べてしまって「酸っぱいね…。」と苦笑い。今となっては輸送時の環境コストがーとか思ってしまうけれど、当時はソ連と比べて、それが豊かさの象徴に思えた。

ウプサラは川に跳ね橋がかかり、石畳と大聖堂がある洒落た街だったけれど、同時に森の中に公園やアスレチックがあって、子供の遊び場も多いところだったと記憶している。寮の庭もちょっとした公園と言えるくらいの遊具があって、子供にとっては充実したものだった。寮には日本人家族も住んでいて、三人の女の子がいたので一緒に遊んだ。

この頃、学校はモスクワ日本人学校に籍だけ置いてもらっていたけれど、実際にはどこにも通っていなかった。かろうじて公文だけはやることになっていたけれど、モスクワ出発後、毎日あちこち出かけていて、特に学習時間をとっていたわけでもなかったから、プリントは溜まりまくっていた。公文の先生は自分で丸つけをするようにと解答の本も持たせてくれていたので…やったことにしてプリントはこっそり捨てていた。

こんな感じの62日目。旅は残り38日。

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