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【往復書簡】どうして手作りを始めたんですか?

のんちゃんへ。

7月になりました。東京は梅雨とのことですが、モンペリエはひどく乾いていて、冷蔵庫の中で大きめのマッシュルームが丸のまま乾物になるほどです。

梅雨にマスクは辛いですね。フランスでも公共交通機関やお店ではマスクを要求されますが、日本ほどはマスクをしていないです。その無防備さにちょっと呆れてたんだけど、気づいた。彼らとしては、めっちゃ習慣を変更しているんだ! みんな握手とかビズ(ほっぺチュー)とかしなくなったから。

別れ際のビズの習慣がなくなったので、切り上げのタイミングを掴みにくいらしく、帰りかけた姿勢のまま話し続けている人をよく見ます。それから、お辞儀する人も増えているように思う。握手NGになった当初、マクロン大統領がテレビでタイ式の、手を胸の前で合わせるお辞儀をしていて、「laïcité(政教分離)じゃなくなっちゃうけど、大丈夫なの?」と思ったものでした。握手をしない手のやりどころが悩ましいようで、腕を組んだままお辞儀をしている偉い人をテレビで見かけたりもします。お辞儀先進国の国民としては、何か世に働きかけるべきかと悩みます。

前回の私の「この夏の楽しみは?」という質問に対するお答え、ありがとうございます。のんちゃんのこの夏の楽しみは秋の番組企画と英語の発音上達なのね。番組の企画は予算もないとのことだし、コロナの影響はどうしても考えなきゃだろうけれど、制約があるほうがクリエイティビティが発揮されるはず! のんちゃんがわくわくできる番組になりますように!

外国語の発音に関しては…わたくし一家言ありまして。カタカナ英語でも良いんじゃないかなあ、と。なんだか日本の英語教室とかの広告では発音をやたら意識させるけれど、あれは、準備がいらなくて教えるのが楽だし、コンプレックスを刺激できて顧客ホイホイだからだ、と睨んでいる。

日本にいたとき、夫の周りの在日外国人は、英語の発音は良くても発言の中身がなかったり文法がなってなかったりする人のことを苦笑していました。実害を受けてたからねえ。それからCS番組で日産のデザイナーへの英語でインタビューなどをよくやっていたんだけれど、相当なカタカナ英語でも、中身があって文法もきれいで勘所(firmとfarmの違いとか)を押さえた発音の英語だったら、夫なんかは「英語うまい」って絶賛してたよー。

ということで、ちょっと発音が良いというのは、ちょっと歌がうまいくらいのメリットではないかと。だから、私は今、めちゃくちゃカタカナっぽいフランス語で押し通しています。まあ、何でもうまいに越したことはないけど。

今回ののんちゃんの質問は「美容院に行く頻度」ですね。ヘアサロンって、自分のためだけに人が手を尽くしてくれる場所だから、行くと癒し効果があるなと思う。日本にいたときにはショートだったし、パーマをかけてたから、1〜1.5ヶ月に1回行ってました。

なのですが。実は2018年10月に渡仏してから、1回もヘアサロンに行ってないの!! フランスに来てすぐに思ったのは、テレビに出てくる女性の髪型がかなりテキトーだな、ということでした。女性アナウンサーはけっこう整えてきているけれど、ゲストには髪も服もお構いなしって感じの人も多い。それから街行く人もわりと適当だと思った。その後、すべてのものを高級品で固めたがる義姉すら「自分で切って失敗しちゃったん?」と思うほどざんばらな髪型をしているのを見て、女性誌とかでよく見る「パリジェンヌ風無造作ヘア」は意図的な無造作ではないのだと確信しました。

だから、しばらく自分で前髪だけ切っていたんだけれど、昨年の秋頃にはストレートのロングヘアに飽き飽きしてしまいました。でもヘアサロンだとざんばらなコケシにされちゃうかも。だからセルフカットに挑戦しました。結果、コケシができあがった。夫が私の髪型を見てゲラゲラ笑いながら「かわいいじゃん、エスクワイア(中世の騎士志願者、ハウルの動く城の王子みたいな髪型してる)みたい」と言ってきました。なので、また伸ばしていて、そのまんま。こうやって海外在住ストレートロングヘア女性は量産されていくのだな。

自分でもこの髪の毛事情はちょっとびっくりだし、日本とのzoom会議で髪をきれいに整えている人を見ると、うらやましくなります。でも、容姿をそこまで意識しない、されないというのは楽でもある。

考えてみたら、日本では「女性は身綺麗であれ」という圧力が強いですね。日本の女性は男性が「おまえなんか対象外」とすら思わなくなる年齢になるまで(それも変な話だけれど)、容姿を指摘され続けるように思います。

これって、黒人男性がアメリカやフランスで、職務質問をされないために衣服に気を使わなければいけないのと同じ構造だなーと。周りに認められるための身繕い。それってあんまりハッピーなモチベーションじゃないぞ、と赤文字系の雑誌ばかり読んでいた過去の私を振り返って思っています。好きなように身なりを整えられる世界が幸せだ。

さて。のんちゃんは最近、インスタで手作りっぽい作品を何回かあげてましたね。しおりとかブックカバーとか。あと手作りの食べ物も。

仕事でビジネス界やまちづくり界隈のトップランナーの話を聞くことが多いのだけれど、なんだか最近、「これからは、自分たちの企画に対してユーザー・顧客に製品開発時に意見を聞くとかぐらいの巻き込みでは甘い。ユーザーとか顧客とかを、もはや作り手側的として考えなきゃ無理じゃない?」的な言葉をよく聞きます。クリエイティビティの民主化というか。自分で作ることを支援するスタートアップもいっぱい出てきているし。

それから、逆に作ることをなりわいにしていなかった人たちのなかで、「なんでいつも既製品から選ばなきゃならないんだろ」とか「必要があるものを作る。お金を稼ぐことにはつながらないけれど、その方が生きる実感がある」と、物づくりを始める人が増えているようにも思います。手作りのモチベーションは趣味ということではなくて、生き方として。こんな記事もある:

DIYは「生きる力」であり「態度」だ。木と人と、ともに生きる豊かなDIYをはじめよう。(greenz)
https://greenz.jp/2020/07/03/kinomachi_diy_column_1/

そんななかで今後、テレビ王国には、番組の企画意図に沿った投稿を視聴者から集めて、それをもとに番組を構成するとか、dボタンを押して双方向クイズに参加してもらうとかという関わり以上の、視聴者との関係性を求められそう。それに対して、どう思いますか?…ってことを質問にしようとしたけれど、めっちゃ重いからこれを必須で書いてもらおうとするのはやめます。教えてくれたらうれしいけど。

でも、なぜ急にのんちゃんが手作りを始めたのか、その背景にあるのんちゃんの気持ちの変化は知りたい。なんで作り始めたの? もともとシールとかでカスタマイズはしてるなーと思っていたけれど、どちらかいうと、のんちゃんは既製品の、新しくておしゃれだったりおもしろかったり、注目が集まりそうなものを買う人だと思っていたし、お料理もおいしそうな外食が多かった気がするんだけれど。

かくいう私はもともと割とDIY派なので、あんまり変化はないです。冒頭で書いた干しマッシュルームも、実は冬場、湿度が高い中一生懸命作っていたのが、何もせずにできていたので驚いたのでした。

とんでもなく長くなってしまいました。この辺で切り上げよう。
ではでは。どうぞご無事で!


追伸:前回のトップ画ののんちゃんの爽やかなブルーのペディキュア、かわいかったね。私もそろそろ足の爪を塗らなくては(自分で)。今回の私のトップ画は、通りすがりに見かけた家のドアと郵便受け。こういう、年季入った古い家が、ドアを開けるとめっちゃきれいにリノベされてたりするんだ。このうちは、植木鉢とドアと郵便受けの色を揃えてるし、中はかなりきれいなんじゃないかと想像しました。

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