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習い事で、友達ができない子どもだった


いまも習い続けているピアノ他に、いくつか習い事をした。幼稚園から小3までは水泳に、水泳をやめた後は公民館の卓球教室。

同じ学校の子はいないしどちらも個人競技。とはいえ、それぞれ丸3年以上通っていたのに友達ゼロ。学校の友達とは放課後よく遊んだりもしていたのに、習い事では一切友達ができなかった。


水泳の先生は、よくわたしを褒めてくれた。話を真面目に聞くし、無駄にふざけたりもしない。早く上手になりたくて、人より1回多く泳いだ時には「さやかは頑張り屋さんだねえ」とよく頭を撫でてくれた。

もしかしたら友達がいないわたしを不憫に思ったりしたのだろうか・・・。


対照的にみんなの中心にいるタイプの姉は・・・

2つ上に姉がいる。かなりおしゃべりで、社交的だ。親戚同士で集まると、おばあちゃんと一緒にいちばん後ろを歩くわたしと、いとこたちの中心でみんなの先頭を歩く姉、とわかりやすい対照的な姉妹だ。


予想がつくと思うが、姉は同じく通っていた水泳教室でじゃんじゃん友達を増やしていた。ただ、通っていたのが別の曜日だったので「どうやって友達をつくっていたのか」は全然知らない。


いま思い返すと「友達をつくってもよかったのに」とも思うけど、当時は習い事で友達がいないことが全く気にならなかった。


でも、姉と同じ曜日に通っていたりしたら
「ああ、わたしはなんで友達がいないんだろう」
と考えたかもしれない。曜日を変えてくれていた親に感謝だ。


友達をつくった方がいいという認識がなかった

学校は「勉強を教えてもらう、かつ友達と遊ぶ場所」。
習い事は、「水泳を習いにいく場所」「卓球を習いにいく場所」としか考えていなかったんだと思う。友達をつくろう、自分から話しかけよう、なんて考えたことすらなかった気がする。

いろんなことに気持ちを割けない不器用さからなのか、「習う」という目的に向かってひたすら努力ができる良さからだったのかは正直わからない。


学校は週5日間、たっぷり時間があったから、複数のことに気持ちを割けた。でも、泳ぐために行っていた場所でさらに友達をつくるなんて、わたしには到底無理だったということだ。


友達がいなくても、習い事は楽しい

ただ、習い事は全部楽しかったし、習っていたものはいまでも全部大好きだ。

「子どもが習い事でちょっと浮いてる」とか「友達がなかなかできないみたい」って悩んでる親御さん、きっとたくさんいると思う。でもわたしみたいに気にしていない子もいるんですよ・・・。


友達が多い人は素晴らしいしちょっと羨ましくもあるし、
じぶんは社交性がないなぁとか、みんなの空気に馴染めなくてつらい、と思った時期も長い。

けど、大人なればなるほど「じぶんに心地いい距離を保てる友達」とだけ仲良くできるようになってきたので、本当に大人になって良かったなーと思う。

習い事で友達ができなくても、不器用で生きるのも、良くはないけど、全然わるくないよ。

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