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あの努力ツイートをした本当の理由

先日、私がXでしたこの発言に、大変多くの方にご批判を頂きました。

環境のせいで努力したくても出来ない人もいるのに、それは無神経な発言じゃないか?

あなたが努力できたのは、環境に恵まれていたからだろう!

など、みなさんのご意見に同意しながら、でもそこを言ったんじゃなかったんだよなあと、自分の言葉の足りなさと軽率さをただただ反省しておりました。

これは私が自分の言葉の重さを軽視したことと、あらゆる背景を持った不特定多数の方の目に触れるということに考えが及ばなかった、私の書き手として最も基本的な配慮の欠如が原因です。申し訳ありませんでした。

実はあのツイート、私が先日ニューヨークで出会ったある女の子を思いながら心の中に浮かんだ言葉をポツリ、電車の中で衝動的に文字にしただけのものでした。なのでそのときは、みなさんにご指摘いただいたような側面は、まったく考えていなかったのが正直なところです。

1週間ほど経って気づけばすっかり炎上していて、周囲の人からも「さやかちゃんなんかあった?いつも言ってることと真逆に聞こえるよ?」と心配していただきました。しかし、その発言をするに至った経緯の説明ができないだけに、十分な補足ができなかったこと、重ねてお詫び申し上げます。余計にモヤを大きくしました。

想像以上にあまりに多くの方に届いてしまったのでなにかしらご説明はしなければと思い、本人と関係者に承諾をとったうえで、ここでそのツイートをするに至った経緯を説明させてもらうことにしました。少し長くなりますが、聞いてやってもいいよと思ってくださる方はぜひお付き合いいただければ嬉しいです。

EOWとの出会い

つい先日まで3週間、日本からEOW(エオ)という結成5年目のインディーズバンドのボーカルLacoちゃんと、ギターのTomoakiくんがニューヨークに来ていました。

彼女たちと出会ったのは、私の友人夫婦の家にこのふたりが3週間居候していたことがきっかけでした。みんなで何度か一緒にご飯を食べたり、彼女たちの歌の練習に立ち会ったり一緒にクラブに行ったりと、少しの間でしたが、私も彼女たちと過ごすことがありました。

Lacoちゃんは、とっても愛嬌があって甘え上手で、みんなに愛される子なんだなあとすぐにわかりました。人懐っこくていつもにこにこしていて素直で、すごく純粋で、とにかくまっすぐに歌が大好きな子。「9歳のときから歌をやっていて、本当に歌うことが大好きなんです」と目をキラキラさせながら話してくれました。

実は(すいません私の話を少しだけします)、私もかつて歌手になりたいと思ったことがありました。小さい頃から歌うことが大好きで、周りにも上手だともてはやされて調子に乗り、音楽で人の心を動かす歌手という職業に夢を見ました。

ボイトレに通って、一人でカラオケに行って毎日練習し、デモテープをレコード会社に送ったり、ライブに出させてもらったこともありました。

でも、私はそのあとしばらくして結局「歌手になるための努力はもうしない」という選択をしたんです。歌うのは大好きだけど、歌手になるためには想像を超えるほどのものすごい努力をしないといけないこと、そしてどれだけ努力したって叶わない可能性が高いことをわかっていました。だから純粋に「そこまでの努力はしたくない」と思ったんです。だから、やめました。

だから、Lacoちゃんが「これまで大きな挫折もあって、一度は立ち上がれなくなったけど、やっぱりどうしても歌が諦めきれなかったとき、今のバンドに誘ってもらって。もう一度チャンスをもらえたんです。いつかけんさん(事務所の社長兼マネージャー)に絶対恩返しをするんです!」と言う姿が、私にはとても眩しかった。本当にいつか、絶対夢を叶えてほしい、と心から思いました。

NY遠征の裏テーマ

その後、実は、彼女たちのこのニューヨーク遠征には明確な目的があったことを知りました。

「Lacoちゃんに生まれ変わってほしい」

事務所の社長さんとバンドの仲間がそんな想いを込めて、「NYで一皮向けてこい!」と彼女を送り出したのだと。

「私、いつも周りに甘えてしまうんです」と言う彼女自身も、周囲のそんな想いはきちんと受け止めているようでした。でも、やっぱり挑戦するのは怖い。傷つきたくない。そんな気持ちが邪魔して、なかなかコンフォートゾーンから抜け出せないでいるのが、彼女と話していてすぐに分かりました。

このバンドに並々ならぬ想いをかけて、少なくない投資をしている彼らの事務所、ほとんど面識がなかったにも関わらず自宅に3週間滞在させるだけでなく、外食する余裕のない彼らにごはんのお世話までしていた私の友人夫婦、初めてのNYで彼女たちがいい経験がたくさん出来るよう、本当にたくさんの人がこの3週間、彼女たちをサポートしていたし、みんな心から応援していました(ちなみに私は特になにもしてない)。

この様子を傍から見ていて、私は、正直にいうと、とてももどかしかったんです。私なら、もっとこの貴重で有り難すぎる機会を全力で活かす努力をするのに!!って。

私の目には、なんだか普通に観光して、良いお家でゆっくりしておいしいごはん食べさせてもらって、たまに路上ライブやってみる?みたいな感じに見えてしまって、たぶんもっとやれることあるよ!!ここNYだよ!?受け身でいたら勿体無いよ!!

私がもしその立場なら、いろんなジャズバーやライブハウスに一人ででも飛び込み営業に行って、一曲だけでも歌わせてほしいって必死で頼み込むのになぁ。優雅に滞在先でコーヒー飲んでるその時間でもっと路上ライブやって、それを動画コンテンツにして日本のファンに届けたり(人がまったく見向きもしてくれないほうがコンテンツになるじゃない!)、英語できなくても音楽関係の人が集まりそうなバーに出向いて話しかけまくったりするかなあ、もっと寝る間を惜しんでいろんな出会いと経験をとりにいくだろうなぁ、なんて、悶々と考えていました。

「努力できない」んじゃない

それでこう思ったんですね。

こんなに恵まれた環境があってたくさんの人に応援してもらっているなかでも、プライドを捨て切ってがむしゃらに、カッコ悪くても失敗して恥をかいても、それでも今やれることを全力でやる、をしないのは、彼女が「それをできない人」なのでは決してなくて、ただそのときの彼女が「そこまでの努力はしたくない」という選択をしているだけに過ぎない、ということ。

昔の私がまさにそうでした。「私には出来ない」のではなくて、「したくない」って思って、やめた。私は、ステージの上で恥かいたり傷つくのが、怖くて仕方なかったから。

そして、それはそれで別にいいじゃん、何が悪いの?と思ったんです。そこまでの努力をしたくないなら、しないのも全然ありだろうと。自分の人生だもん。自分で全部決めて良い。一度決めたことだって、やっぱりやりたくない、でもいい。他のことで別の環境なら、もっと自然に頑張れるかもしれないし。

それで、あのツイートをしました。

適切な環境とサポートさえ整っていれば、努力が出来ない人なんていないけど、努力しなくったって別にいい。それもひとつの選択だから。でも明確な目的を持って周りも巻き込んで自分でするって決めたなら、周囲からもらったサポートに見合う努力を死ぬ気ですべきで、それが出来ないなら謝って、「やっぱりしない」を選択すればいいだけのこと。それは別に悪いことじゃない。

Lacoちゃんと昔の自分を重ねて、そんなことを考えながら、呟いたのでした。

あのツイートでここまでのことは伝わるはずがありません。そもそも今回このツイートでは、みなさんに何かを伝えようという意思が私には特になかったです。それなのにみなさんを巻き込んで、申し訳なかったです。

人の心を動かすもの

彼女たちが日本に帰る2日前、急遽ライブハウスでライブをさせてもらうことが決まった!とききました。しかも30分も歌えるんだ!とふたりは大喜び。

予定をこじ開けて、彼女たちのライブを見に行きました。

1度目の路上ライブではずっと日本語で挨拶していたくらい、まったく英語が喋れず、人前で喋ろうともしなかったLacoちゃんが、きれいな英語で挨拶や曲紹介をして、感謝を伝えていました。明らかに、一生懸命、何度も何度も練習したのがわかりました。

NYでは無名の日本人バンドがその30分、店中の観客を音楽で魅了し、ニューヨークのど真ん中にあるその空間を完全に彼女たちの世界にしているその光景は、見ている私達にとっても感動的でした。

そのライブ中、なぜ私は彼女に対してこんなにもいろんなことを(もどかしく思ったり感動したり)全然関係ないのに思うんだろうと考えていました。

たぶん、彼女が昔の私にそっくりだったからなんですね。素直でバカでまっすぐで考えなしの見切り発車で、でも人が好きで愛嬌があるためか人に助けてもらえちゃうからつい甘えちゃって、褒められたらめちゃくちゃ頑張るけどなるべくずっと褒めてて欲しくて、傷つきたくなくて、否定されるのがすごくいやなんだけど頑張れない自分もまた嫌で。

だけど、本当はもっと成長したい。ものすごい大きなきっかけがあると、このままじゃだめだ!と立ち上がれる馬力もある。そんな自分でいたいと、すごく思ってる。

彼女を見ているとなんだか人ごとに思えなくて、勝手にいろんなことをおせっかいにも考えてしまう自分がいました。

そして、日本に帰ってから彼女が投稿したインスタグラムで、彼女の中で起きた大きな変化を知りました。

けんさん帰国の前日(私達が帰る一週間前)今回の旅でらこちゃんはグロウアップじゃなくて、”チェンジ”をしなきゃいけないって話しをされた。”成長”じゃなくて”変わらなきゃいけない”と。…… たくさんの人とつながって重なって、私の夢はもう私だけの夢じゃない。それがどれだけ幸せなことか、どれだけ複雑で繊細なことか、あんまりちゃんとわかってなかった。私は今、変わらなきゃいけない。EOWがもっともっと大きくなるために。

@laco_eow

それからさいごの1週間、ふたりは以前よりも路上や地下鉄でライブをやったり、ほかにもライブができるチャンスを探して実際にライブをとりつけてきたり、積極的に行動をし始めたんだそうです。最後のライブに向けて毎日真剣に英語の特訓と音楽の練習もした。

それが、あのライブでの感動をつくったのだとわかりました。人の心を動かすものは、誰かの強い意思と、周囲の予想を超えるほどのその人の努力、そしてその努力に見合う成長なのだと。

やっぱり「努力できない」人って、いないと思う

私は、誰にでも可能性があることを、ビリギャル本人として伝える活動を10年してきました。ただ一方で、「がむしゃらに努力する」ことの大変さも、身を持って知っているつもりです。わたしはあの時だって今だって、一人じゃ全然、頑張れないから。

みなさんがおっしゃるとおり、私は環境に恵まれていたし、いまも恵まれています。勉強できる机もあったし、鉛筆も買えたし、ご飯も食べれて、そして坪田先生がいる塾にも行けて、信じてくれる母がいて、応援してくれる友達がいた。

私は、人が頑張れるためには、遺伝的な要素よりも環境要因、特に、周りの人がその人をどう信じて、どう言葉がけをしてあげられるかが鍵だと思っています。

だから、同じような環境を一人でも多くのこどもたちの周りに作りたい。それで、認知科学を学ぶことを選んだんです。「地頭」以外に、絶対に成功の秘訣があって、それは誰にでも適応可能なものであると信じているからです。

だから、環境要因によって「努力したくても出来ない」と思ってしまう人がいることは、もちろん理解しています。そのような人々にどう貢献できるかを、私なりに考えてこれまで活動して来ました。

ただ、ごめんなさい。私はやっぱりどうしても、「努力できない人」、つまり「努力するだけの能力がない人」はいないと信じています。「あの人は努力できない人だから」と周囲が決めつけることで、本人もそう信じて、努力しなくなります。これをFixed Mindset(固定的マインドセット)といいます。

これは、私が大嫌いな「地頭が悪いから努力したって出来るわけない」というのと、同じです。

しかし、適切な環境要因とサポートが得られれば、どんな人だって、たとえ貧困家庭のこどもでも、学習障害というラベリングを受けた子どもだって、必ず、本人が望めば、努力して成長することができる。これをGrowth Mindset(成長マインドセット)と呼びます。

ただし、正しい動機づけと努力の仕方を教えてあげること、少しずつ成功体験を積み上げさせてあげること、そして、周囲がその人を心から信じてあげることが絶対必要です。私立の学校に通えることよりも、机を買ってもらえるかどうかということよりも、重要な要因だと思っています。偏差値の高い学校に行ってたって、高所得家庭に生まれたからって、この環境がなければなにかを頑張ることは難しいからです。そういう子、たくさん見てきました。

ちなみに努力するって別に「偏差値40上げて慶応に入ること」みたいなことを言ってるわけじゃないです。その人が、なにか目的と意思を持って、それに向かって練習し、成長を感じられるプロセスはすべて、「努力する」だと思います。私達は生きているだけで、もういろんな努力をしています。

だから、世の中に「努力できない人」なんていない、は私の本心です。色んな意見があって良いと思うけど、私はそう信じてる。もちろん、何度も言うけど、環境が整っていればの話です。

ちゃんとした説明が遅くなって申し訳なかったですが、これが、私の「努力」に対する考え方です。

努力する<幸せである

それとさいごにもうひとつ。

私はビリギャルってなってから、まるで「努力の人」みたいに思われてるけど、基本的には多くの人と一緒であんまり頑張りたくない人なんです。頑張ってる人をみて、自分はなんてダメなんだろうと落ち込むくらい、頑張れない、いや、頑張りたくないことがほとんどです。

ほんというと、そんなへなちょこな自分なのに「努力の人」「努力の天才」みたいに世の中に見られることに、プレッシャーを感じてきました。だから、無理矢理自分に高い目標を課して、頑張ってきたところがあります。

でも、「頑張らない」も選択肢としてあるべきだと、アメリカに留学してから強く思えるようになりました。

私が今いるニューヨークで生きてる人たちには、常に明確な意思があるように見えます。意味もなくなにかを頑張り続けるなんてことはやらない。むしろ日本人が使う「頑張る」っていう意味の概念や感覚があまりないようにすら感じます。

「お金を稼ぐために」やる。「自分の成長のために」やる。「やりたいから」やる。常にそこには理由と意思があって、他人が誰かに頑張ることを押し付けたりしない。努力し続けることが美徳とも思ってない。自分の幸せが、なによりも大事だから。

やりたくないことはやらない。それが肯定される世界に来て、私自身すごく楽になった。もう、やりたくないことまで無理に頑張らなくても良いんだ、って、いままで捉われていた鎖みたいなものが外れた気がします。

だから、「がむしゃらに努力する」ことが必ずしも素晴らしいことじゃない。そうしないこともまた、その人の立派な選択肢であるべき、ということを、最後に伝えたかったです。

私は少なくとも、そうやって残りの人生は、生きていきたいと思っています。

今回は、このように私の完全にプライベートで中途半端なつぶやきを行った結果、意図しないメッセージをばらまいてしまったような形になり、本当にすいませんでした。

私にとって今回のことはとても勉強になりました。「努力」について深く考える機会をもらいました。正面から直球でむかいあってくださった方々に感謝です。

そして、今回頂いたコメントを読んでいて、「何をしたらいいかわからなくて動けない人」「努力の仕方がわからない人」がやっぱり多い気がしました。ちょうどいま、それについて新しい本を書いているところです。私が色んな人に教えてもらった「目標に向かう準備の方法」は、そこでみなさんにしっかりお伝えできるように、今度こそちゃんと伝わるように、努力します。

改めて、今後はもっと自分の言葉に責任を持ち、慎重に、あらゆる角度での解釈の可能性を検討し、いろんな背景を持った人たちに寄り添って、発信していきたいと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

P.S.
EOWのワンマンライブが4月30日に渋谷であるそうです。これからもっともっと大きくなっていくEOWを、そしてきっと逞しくこのバンドを仲間と一緒に引っ張っていくLacoちゃんを、ぜひ応援してあげてください!

EOW Web siteはこちら


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