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開示性の低さは克服できるか

こんにちは、さやか先生です。
諸事情で今、実家に帰ってきております。

家族と話す中で、自らの開示性の低さについて、気づきがあったので、書き残しておこうと思います。

自分のことはあまり言いたがらないタイプ

昔から、なるべく自分のことは知られたくないと思っていて、好きなアーティストや趣味、見てる番組や推しのアイドルなど、なんでも秘密にしていました。

これは、無意識に秘密にしていたのもあると思いますが、マニアックすぎて引かれたらどうしようか、など、知られること自体に不安を感じていたのだと思います。

最近でも、仲のいい人であっても、住んでいる場所や出身地、誕生日や年齢など、パーソナルな部分は秘密にしていますし、好きなこともあまり積極的には話してない気がします。

開示性を高めたいと思って始めたX(旧Twitter)

それではなかなか仲良くなれないと思って、自分のことを伝えなければと思って始めたのがXでした。ちょうど2年くらい前のことです。

オンラインで不特定多数の人に発信する、というのは以前の私にとっては恐怖そのものだったのですが、慣れてくると、ある程度のことは発信できるようになったと思います。ただ、時々変わったリプをもらうこともあり、やはりどこか、建前的な発信が多くなっていったように思います。

Xは本当に雑多な情報が氾濫していて、今ではあまり見る方も発信する方もしなくなってしまいました。気軽さ、という点ではいいツールだと思うのですが。。

noteは安住の地か。

これまでの反省も踏まえ、100%自分の思っていること、気持ちを素直に表現しようと決めて、noteを始めました。Xと比べて、①文字数に制限がないので、説明不足になることが少ない、②読者が興味を持ったテーマを中心に読み書きするので、とても治安が良い、といったメリットを感じています。

しかし、これまでの記事に嘘は一つもないのですが、言いたいことが100だとすると、80〜90くらいで留まっているような感覚があるのです。どこかでセーブしている。

全てを開示することが正義だとは思いませんが、秘密にしていることがあると、どうしても曖昧で抽象的な書きっぷりになってしまい、オンライン上で発信する難しさを引き続き感じています。

幼少期の原体験

家族にも自分のことはあまり話してはいません。Xのこと、YouTubeのこと、noteのこと。これはわざわざ言わない人も多いのかもしれませんが、そこで発信している内容も、家族には言っていないことが多いと思います。

子どもの頃は、なんでも話す子どもだった

でも、振り返ってみると、幼少期は何でも話す子どもだったと思うのです。それは自発的に言っていたのか、親から聞かれて答えてたのかは忘れてしまいましたが。

それが、高校生くらいから徐々に変化していき、実家を出てからは、秘密にできる範囲が広くなったのもあり、積極的には言わなくなります。

言語化が非常に難しいのですが、私について全て知ろうとする勢いで根掘り葉掘り聞いてくるのです。そして、私にとってあまり気持ちがいいと思えない言葉をかけてくる、言うなればそんなイメージでしょうか。

母との関係については、こちらの記事でも書かせていただきました。

今は、まずは秘密にする

趣味でも仕事でも、「今、〇〇やってる」というと、いつ、誰と、どんな風に、と矢継ぎ早に質問をされるので、とりあえず何もしていないことにして、のらりくらりやることにしています。

今もこうして、自室で執筆(作業)をしているので、何もしていない訳ないのですが、私が何も言わないから聞けない、という状態にして、自分を守ることにしています。

ちょっとした会話の中で、自身が、”なるべく秘密にする”ではなく、”積極的に秘密にしてる”と感じたので、言語化するとこういうことなんだろうな、と思いました。

ということで、筋金入りの秘密主義なので(苦笑)、開示性を高める旅は、これからも当分続きそうです。

それでは今日は、この辺で。


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