【改名】なまえの話

さやか先生改め、さやかさんです、こんばんは。

名前の由来については、以前にも書かせていただいた通りなのですが、"先生"としての活動がなくなってしまいましたので、いつか改名したいなと思っていました。

いつでもよかったのですが、きっかけもなく今日まで至ってしまい、ただ、終わりのような始まりのような、そんな今日がちょうどいいように思えて、マイナーチェンジいたします。

今日はそんな名前の話題から、考えていることについて書こうと思います。

自分と自分の名前の関係

オンラインの世界では良くも悪くもすぐに名前を変えられます。そもそも、存在自体が消えては生まれを繰り返しているとも言えるでしょう。

私もある日オンライン上に登場しました。でも、本名で出ることは到底できないと思っています。

理由としては、身バレの恐怖からくるもので、特に前職ではSNSの利用について厳しく言われていたので、もしバレたらややこしいな、と思っていました。

でも、もう一つ理由があることに気づく

そもそも、根本的に自分の名前が好きではないみたいなんです。

人生で初めて「さやかさん!」と呼ばれた日のことは嬉しくて今でも覚えています。

逆に、本名(特に下の名前)で呼ばれると、なんだかむしずが走るというか。呼び捨て、さん付け、ちゃん付け、どれを取っても、です。

なぜこんなにも自分の名前を好きになれないか

音的に別の変な意味になるとかではありません。おそらく、子どもの頃に呼ばれた原体験がそうさせているのかな、と。

その人は、私のことを下の名前にさん付けで呼んでいたのですが、私はとにかく呼びかけられたくなかったのです。(理由はここでは差し控えます)

だから、その音が聞こえたら嫌な気持ちになる、いわゆる条件反射が身についているのだと思います。なんてこったい、自分の名前だというのに。

そもそも、自分のことが好きになれない

この名前の先に私自身が存在するのですが、そもそも自分のことが好きじゃないから、名前を呼ばれたり、フューチャーされることに抵抗を感じるんじゃないかと。

だからこそ、さやかという別の人格のロールを演じていることにすれば、それは私ではないから、ストレスも感じにくいのかもしれません。

それでも、現実世界との歪みで、少し生きづらさを感じる時もあるのですが。

正当な理由があれば、本名も改名できる

世の中には、公称名を本名にしてしまう人がいます。それ以外にも、認められるような理由があれば、改名できる場合があります。

それを知人から提案されたときは、なるほど面白い、とも思いましたが、でもそれだと、実世界の私とオンライン上の私が同一になってしまい、それはそれで窮屈さを感じるのではないでしょうか。

ちなみに、私の家族にも改名した人がいて、意外と簡単な理由で名前を変える人もいることは知っています。(今のところ、私には正当な理由はありません。。)

仮にあったとしても、親からもらった名前を簡単には変えたくないという抵抗心もあるので、おそらく一生変えないと思います。

選択肢として知っているかどうか

名前に限らず、もし本当に困ったときに、そういう手段もあると知っているかどうかで、生きやすさにも影響しそうだなと思っています。

これを読んだ皆さんが、何か考える機会になれば幸いです。

それでは今日は、この辺で。

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