ネタがないのは、「花咲くタネ」と思っていないから?!
文章を書きたいからnoteをはじめたけど、何を書こう…
朝起きて身支度して、仕事してご飯食べて、お風呂に入って寝る。平日のルーティンをこなす日々。
こんな日々だと、シンプルにネタがないと思っている私です。
何も書けないと思ったら、自由気ままに3行日記を書いてなんとか書くことを継続させているのですが、ネタがないって空しいというかさびしいなぁと感じるんです。
「味気ない生活」や「ネタがないと思う自分のつまらなさ」につながっている気がしてしまって…
だから、そもそもネタとは何か?何をネタだと思うのかを深掘りしてみることにしました。
そもそも何がネタになるの?
まずは私がネタだと思って書く内容についてお伝えすると、以下の通りです。
旅行などで今まで行ったことがない新しい場所に行ったとき
美術館などでアート作品に触れたとき
本を読んだとき
とにかく自分にとって未知の体験をしたとき
これらに共通するのは「自分にとって新しいもの(知らないもの)に触れて心が動いた」ということです。
ということは、逆の意味で捉えると「ネタがない日々」は「自分にとってすでに使い古されたもの(知っているもの)ばかりに触れて心が動かない」ことになりますよね。
でも、本当にそうなのでしょうか?
心が動かないのは新しいものに触れていないからなのか?
当たり前のことですが、人には感情があるので毎日何かしらの感情を抱いているはずです。
新しいものに触れていなくても心が動いているなと思うことはある。それは冴えなくてキラキラしていないものだったとしても。
だるい
つまらない
めんどくさい
なんかやだな
こんな風に思うのも、心が動いているんですよね。
私は誰かに向けて発信するとき、マイナスなことはマイナスなままで終わらせたくないので(最後は何か希望めいたことは言っておきたい)、マイナスなことをそのまま書くことがないようにしていますが、
マイナス自体も「なぜそう思うのか?」を突き詰めて考えて書いていたら、思わぬ発見があるかもしれません。だとしたら、これはこれで一つのネタになりますよね。
繰り返しの日々でも、発見ができる私でいたい。”ネタ”は”タネ”だった。
ネタがない、ネタがないとネタのことばかり考えて「ネタ」の文字ばかり見ていたら「ネタ」が「タネ」に見えてきました(笑)。
そして、「『ネタ』って『タネ』なんだな」とも思えてきました。
タネ自体は何が咲くのか見た目だけだとわからない。でも、栄養のある土にうめ、せっせと水をあげて育てていけば、花が咲くかもしれない。
(タネと思っていたものがタネでなかったこともあるかもしれませんが…(笑))
ネタだって、何がネタになるのかわからないけども、何でもないようなことも心で感じて頭で考えてこねくりまわせば何かを伝える文章になるのかもしれない。
この文章の終着にはもっと考察が必要かもと思いつつ、書き始めたときには浮かばなかった言葉で、今日は締めくくりたいと思います。
何でもネタにできる人でありたい。
タネから花を咲かせる人でありたい。
読んでいただきありがとうございました。
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