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ロックダウン1ヶ月を超えたイタリアから日本の皆さんへの手紙

イタリア北部のトリノに住み、もう1ヶ月以上家の中での隔離生活を送っています。

最近にわかに流行り始めたオンラインでのバーチャル飲み会で、気のおけない友達とのたわいもないお喋りに癒されつつも、どうしてもぬぐい去ることのできない違和感や温度差についてモヤモヤしたもの抱えていました。

「思ってるなら書く。言わないのも罪」と言うイタリアにいる友達に背中を押され、この投稿だけのつもりでアカウントを開設しました。異論反論あるでしょうが議論が目的ではなく、あくまで「ロックダウン1ヶ月を超えたイタリアから見た日本」という視点です。

日本の状況も刻一刻変わっていく様を見ながら、とても複雑な心境です。今までは世界の中でもイタリアは一二を争う究極にヤバい国だったわけですが、まずは私の中で「当事者意識」が自分のものになるまでの経緯を振り返ってみます。

当初、武漢や客船のニュースを見聞きしてた頃はまだまだ対岸の火事でした。イタリアで感染者が出たという第一報で、慌ててパスタを買い込むイタリア人を見て「騒ぎすぎじゃ?」と思ってました。それが仕事で出向いたミラノの街がゴーストタウンに激変したのを目の当たりにし、仕事は次々にキャンセルになり、それでもまだ自分は大丈夫だろうと外出を続け、そんな外出に周りの人たちからダメ出しもらってギクシャクもし、そして遂にイタリア北部のロンバルディア州が封鎖され、さらにその次の日にはイタリア全国に外出禁止令、そのルールも日を追うごとに厳しくなり、もはや近所のジョギングすらままならず、その間にも感染者数は増える一方。ここまでまさに、石が坂を転げ落ちる勢いでした。

その間に徐々に「あぁこれはもう引きこもる以外に方法がないんだ」とやっと観念した訳です。今では1週間に1度の買い物に出るのも腰が重いという程です。私自身、全くジッとしてることが出来ずに外に出てさえいれば水を得た魚のような人間ですが、心を入れ替えれば変われるものです。

もう1ヶ月以上も隔離生活を送っているのもなかなかシンドイのですが、今はそれ以上に日本の現実を目の当たりにするのが不安になっています。

レストランの敷地内の花見なら許容範囲だの、お肉券だのマスク2枚配給だのという喜劇なのか悲劇なのか分からないネタに翻弄され、さらに人気シンガーソングライターと一国の首相がバーチャル共演してる動画見たら、何か心の中でパタリと本を閉じる音がしました。もうこの物語の最終章まで読む気力がないのです。

これはもう誰にも何も期待せず、草の根レベルで私が思うことを、届く人には届けば良いと思って書いています。

イタリアのロックダウンは国の命令でした。その時期や内容について議論するつもりはないです。まだ時期尚早だからです。でもイタリア人は「うちWiFi環境ない」など考える余裕すら与えられず、殆どの産業がストップしたまま粛々と従っています。それが国民の命を守る手段と、やっとみんな理解したからです。それをもうずっと1ヶ月以上もみんなで我慢して続けてるのに、数字的にはこの結果なのです。

日本に出された緊急事態宣言は、海外から見てる限り生ぬるい。イタリアの友人にすら「日本は大丈夫なのか?」と言われます。そんなお願いレベルの宣言で事態が収束するとは、日本のトップにいる人たちも有りえないとわかってるはず。

「家にいてください。でも政策の責任は負いません」これはおそらく、日本人の民度を試されているのかもしれません。つまり、どこかの国みたいに外出すると射殺されるような国ではなく、イタリアみたいに容赦なく警官に罰金切られる訳でもなく、「賢い日本人の皆さん、家にいなくちゃいけないんですよ。分かりましたか?」で、国民全員右に倣えで従うものと思われているのかと。

「今日はお天気だったので近場まで散歩に行きました」とか、「打ち合わせに行ったら電車ガラガラ」みたいな投稿を見ると、目眩がします。大多数の組織に属する人にとって「自分の立場で決められない」とか「周りは黙ってるし」とか「この案件だけは」とか「その打ち合わせだけは」とか、言い分もあると思います。でも、一旦ちょっと立ち止まって見ましょうか。

今は元気なあなたが、もしかしたら既に無症状の感染者で、会う人会う人に移してしまうかもしれない。その中には免疫力の低い人もいるかもしれないんです。

「家の近所にマスクして散歩に行って、誰ともすれ違いもしなかった」イタリアも公園のジョギングは許されてたんですよ、最初だけ。でも今は公園自体が立ち入り禁止で、犬の散歩もおちおち行かれません。それで、この結果ですから。

「住んでるのが首都圏じゃないんで、人口密度が違うし」知人の40代後半の男性が感染し、三途の川を渡り掛けて生還しました。彼が住んでるのは見渡す限りピーマン畑しかないような郊外です。毎日夕方になると42度の熱が出て、死ぬんじゃないかと地獄だったらしい。

だから取引先や上司や顧客に「ちょっと打ち合わせを」と言われたら、「念のためやめておきませんか?」と言える勇気を、個人個人で持って下さい。 要は敵の姿が見えない以上、どこまで神経質に気をつけたら良いのかレベルがよく分からないのが問題なのですが、どこの国の政策が一番正解だったのか今はまだ分からないし、どこまでならセーフという線引きも誰にも分からないなら、もう個人個人が自意識を持って最大限注意するしかないのかと。

私個人に関して言えば、もはや「外出時は必ず手袋」「釣銭に触りたくないから決済は携帯アプリ」というレベルまで変わったし、周りのイタリア人見ててもその程度は普通に気を使ってる様子で、人によっては買ったものを全て一旦外に放置するとか消毒するとか、生野菜は口にしないらしい(私は流石にそこまでやってない。イチゴは生が美味しい)

でも耳に入る訃報だけは絶えません。毎回、大切な人の最期に立ち会えず葬式もあげられない人達に思いを寄せて、「この度は心よりお悔やみ申し上げます」のメールを書くのも辛い。

この状況から抜け出すための唯一の手段が、「家にいる」ことなのです。それ以外ないのです。「ダルマさんが転んだ」のルールを知っていますか?動いたら負けです。鬼は見えないウィルスです。

家にいて下さい。周りに流されない勇気を持って下さい。

あなたを守れるのは、他でもないあなた自身です。


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