7年間のライフ・プロンニング~10周年に寄せて~

西の空の流星

Royzというバンドはカレイドスコープのようだ。覗き込む度に世界がキラキラと全く違った形で、色彩で輝きを放ちどんどん姿を変えていく。

今年で10周年を迎える彼らに出会ったのは女子高生の時だった。当時の私はヴィジュアル系の世界の深淵の端を覗き始めたばかりのひよっ子だった。知ってるバンドの九割はメジャーデビューしていて、残りの一割は辛うじて持てるツールを駆使して知ったそれなりに名の売れているインディーズバンド、というくらいの知識しか持たない。田舎の女子高生には何もかもが遠すぎた。

ひょんなことから彼らの事務所の先輩にあたる人物のブログを週刊少年ジャンプのギャグ漫画を読むように軽く流し読みしてチェックしている時、突然彼らはブログ記事の中に現れた。それはもう昼日中の流星のように弱々しい光で。

それからも度々そのブログに名前が上がるが、彼らの本拠地は大阪。関西の地と東北の地をつなぐものはYouTubeくらいなものだ。そこにあがった音源を聴いて「いい声のボーカルがいる」という程度の認識のまま、流星は尾を残すこともなく消えていった。

砂に埋もれたダイヤモンド

それから事務所に所属するようになって、少しずつ界隈のメディアに露出の増えていく彼らを横目に見ながら、私は当時の本命バンドに必死だった。なかなか気にはなるが、本格的に手を出すにはバイトもできない受験校の生徒には余裕がなかった。そんな本命バンドの武道館ライブに滑り止めの受験を終えたままの勢いで滑り込んだ帰りのことだ。

大きなバンドのライブの後は最寄駅までに若手のバンドマンが待ち構えていてフライヤー(ちらし)を帰路に就く大御所バンドのファンに渡すのだ。その中にあの時のボーカルの姿があったが帰宅タイムアタックをしていた私は差し出されるフライヤーをとにかく受け取って駅まで走った。

「音源、素敵でした」の一言も言えないまま

コンプレックスクライシス

大学生になって数か月の私はコンプレックスを拗らせて危うく死ぬところだった。大学デビューに失敗し、長い通学時間に慣れず寝不足で単位をボロボロと落とし、彼氏もできず友達に先を越され人生を投げ捨てようとしていた。

死にかけの私はRoyzが私の住んでいる県にやって来るという情報を得た。ああ、そういえばあの時、武道館の帰りに岩手に行くから遊びに来てって言われたなあ、と思い出し軽い気持ちでチケットを取った。

講義が終わった後宵闇の迫る街を歩きながら、そういえばホールにしか行ったことがないから小さなライブハウスは初めてだ。と、ちょっとわくわくしたのを覚えている。開場時間はとうに過ぎていたから開場を待つ列はもうなくなっていた。おどおどしながら一段、一段と階段を下りる。

平日ということもあって客入りはそれほど多いというわけでもない。後ろで大人しく見ていよう、と開演を待つ。

低く流れていたBGMの音が途切れ、客電が落ちる。リズミカルに慣れたような動きの前方に倣って手を叩く。

音の勢いにひたすら圧倒される。こんなにスピーカーの近くで聞いたのは初めてだ。音が全身に叩きつけられるみたいな。少しでも手を伸ばせば演者に届きそうな距離に息を飲む。

あっという間にアンコールまで終わって私の胸の中にぽろっと零れた「また来たいな」という気持ち。それで私はもう少しだけ生きてみようかと思ったのだ。

その気持ちだけで、7年が経った。私は今でも生きている。

暗中の星屑

私は特にベースの公大さんの書く詞や曲が好きだ。Royzというバンドの印象を訊けば多くの人は「キラキラ」と答えるだろう。けれど、公大さんの書くものはちょっと毛色が違う。

PIERROTに影響されて音楽を始めた公大さんの書く曲は一癖も二癖もある。たまに影響を感じ取って笑いが込み上げることもあるがそれは置いておいて、歌詞は創作が多い。

これは先日、本人が語っていたことなのだけれど、メッセージや気持ちはあくまでもボーカルの昴さんが書くべきだと思うから、自分は創作の内容を書いているのだそうだ。

私はとにかく公大さんの詞に夢中になっていた。物語性のある、抽象的なイメージをちりばめた、時に曲同士のつながりなんかも垣間見せる古き良きヴィジュアル系の曲を聴かせてくれるようで。

この人の描く世界がもっと見たい、この人の考えを知りたい。

恋愛全敗、所有欲のばけものになっている私の心情に寄り添うような恋愛の詞を読んでは頷いた。

ライブ中のちょっと頭がおかしいステージングを神妙な顔で今日も見守る。

それと同時に昴さんの書く歌詞にも救われてきた。

最新シングルに収録されているラストリアクタンスという曲にこんな歌詞がある


幼い頃に夢見ていた未来
いい子にしていたら叶うと思ってた
普通でいいの何も欲しくないの
なのに傷ばかりが増えるの

私は聴いていてぼろぼろ泣いた。数日前、例の友だちが結婚式を終えたとキラキラした写真と一緒にツイートしたのを見て電車の中で吐きかけたのを堪えていたのが、この曲を聴いてすっと癒されたのだ。

そうだ。私は「普通」に生きたかったはずなんだ。普通に進学して、就職して恋愛して結婚して特別なことなどない「普通」の人生を送りたかったんだ。

なのにそれができなくて、苦しくて、どうしようもなくて傷ついてばかりなのが嫌なんだ。

けれど、昴さんの「ステラ」という曲の歌詞でまた私は救われたのだ。

待っていた時間が無駄じゃないと確かめたくなってるの 
地を這いつくばっても 
どれだけ待っても好きだった その向きに進めばいい 
ずっと思ってたんだろう

「好き」という気持ちに素直になったらこんなにも世界は生きやすい。私は無難、平凡に生きようと無理をしていた。好きなことをするために生きる世界はとても生きやすい。

創作はこころのやわい部分に刃を突き立てなければならない時もある。思うように書けなくて苦しむときもある。過去の傷をかさぶたを開いて、血を流して、膿を出すように言葉を絞り出しているのは苦しいはずなのに私は笑っている。

私は、今生きている

血まみれになりながら言葉を紡ぐ私は、全力で生きている。こんな私を、私は愛したい、誇りたいと、そう思えるようになった。

10周年を終えて彼らが最初に出したシングル

I AM WHAT IAM 「私は私」

曲調的には今までにない感じ、はっきり言ってヴィジュアル系っぽさは皆無。けれど今までだって変化球みたいな曲をばんばん出してきたからいつか飲み込めるようになるだろう。

他の人なんて関係ない、自分自身がやりきったと思える人生を歩む勇気をいつだってくれる。死にたいくらい落ち込んだとき、私の気持ちを悪いものではないと寄り添ってくれる、虚構の世界にしか生きれない私を生かしてくれる曲もある。

昴さんは自分を鼓舞するためにあるときから神様を自称し出したけれど、暗闇にいるなら自分が光って目印になる、汚れた手で先を示すと歌ってくれるその姿は、私にとって本当に神様なのだ。

公大さんのことはアーティストとしてなにより尊敬しているし、智也さんのまさに太陽のような明るさはなかなかこの界隈ではお目にかかれないし、杙凪さんの不言実行というか何も言わずに実は裏で色々バンドのことを考えてこっそりすごいことをしてくれてるところも、全部愛おしい。

10周年の記念のライブを終えた翌日、満面の笑みで叙々苑の焼肉弁当を持つ昴さんの写真を見て

この笑顔、守りてえええ!と唸りながら後ろにひっくり返る。

私の延命はまだまだ続くのだ


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