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34.編集助手の精神論

私が助手だった時代は「すべてはエディターのために」という精神論が助手業のすべてだったと思っています。
今の助手さんたちが持っている精神論とは違ってきていると思いますが、
自分がエディターになった今、助手時代の経験が生かされていると実感します。
それは技術に関することだけでなく人との関わり方にも及びます。
中でもエディターとの関係は仕事の基本になっていると思っています。

助手は、エディターが編集に集中できるように素材の準備をします。
それと同時に、ほかの部署からの「あの素材の情報をくれ」とか「先に合成のデータを出して欲しい」などの要望で編集を滞らせないよう、エディターと相談してうまくやりくりしていく必要があります。
その中にはエディターに相談するべきものと、自分で処理していいものがあります。

エディターに相談すべきものは、画の編集に関わるものです。
例えば、合成部へのデータ出しは、素材のどこからどこまでを使うかエディターが決めなければ出せません。
素材の情報などは、指定された素材の情報を相手に伝えればいいだけなので相談する必要はないでしょう。
全てを相談していては、エディターは編集どころではなくなってしまいますが、確認が必要なことを聞かないのはもってのほかです。

ベテランのエディターさんはご飯に行ったり、飲みに行くのが好きな人が多かったように思うし、それでコミュニケーションをとっていたんだと思います。
私もよく連れて行ってもらいましたが、現代っ子の先駆けで、よく上司の飲みの誘いを断っていました。
20年前の話なので、その頃はダメな助手だったのかもしれません。
現在は社会同様、この業界も飲み二ケーションは少なくなった気がします。
それでも、飲むのが好きなエディターさんはいますし、話し好きの人もいます。
エディターさんの話を聞くのも色々な意味で勉強になる、とは思うのでそこは自分の気持ちとバランスをとってうまくやっていくといいと思います。

ちなみに、エディターになってから「すべては技師のために」は「すべては作品のために」へと変化しました。
今はどうでしょう?
子供を育てている今、私が1番大切にしているのはバランスかもしれません。

20年前、「映画の編集を目指すなら生活の全てを捧げよ」という雰囲気がありました。
私もそうしなければと思っていましたが、先輩の中でひとりだけ「デートがある日曜はそっちを優先していいんだよ。人生は仕事だけじゃないんだから」と言ってくれた人がいました。
その時は「いやいや、そんなこと言って、本当に休んだらダメなやつだって思うんでしょ?」くらいに思っていたのですが、今なら先輩が本気でそう言ってくれていたことが分かります。

人生には色々なことが溢れていて、それを楽しむことも諦めなくていい。
仕事だけひたすらやりたい人がいるように、プライベートを楽しみたい人もいて、プライベートを楽しみたいからって仕事が嫌いなわけでも適当なわけでもないんだよな〜、と分かった時に先輩は心からあの一言を言ってくれていたんだと気づきました。

だから今の私が思う助手の精神論としては
”仕事中は「全てはエディターのために」”でいいんじゃないか、と思っています。


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