最近の記事

理解と誤解と無理解と、それを巡る妄想の話

先日ある知人の開いている場所へ顔を出して、その後の感想として「あなたがあの場所で、誰を待っているのかなって考えた。たぶん、安易にあなたに対して”わかるよ”って言う人じゃなくて、もっと”わからない”って言うような、そういう人を待っているんじゃないかと思った」と伝えた。 彼は「そう、そうなんだよね、すごいね、そんなことまで見透かされていたとは」と言ってくれた。 でもわたしがそう思ったのはたぶん、見透かすような力があったからではなくて、単純にわたしと彼の何かが共鳴したからなんだ

    • 専門職に対するトラウマインフォームドケアの重要性

      「トラウマインフォームドケア」という言葉が聞かれるようになり、段々と耳に馴染んできた最近ですが、私は専門職なので、あえて専門職に対するトラウマインフォームドケアの重要性について話したいと思います。 専門職がトラウマを抱えやすい労働環境に置かれていることは、Trauma Lens – こころのケガに配慮するケアに目を通していただけるとよくわかると思います。 ここで言うトラウマや心のけがとなり得る、または、トリガー、追体験となり得る出来事には、次のような例があります。(今回は

      • ワーシカ・コルニコフの宝石④

        『その昔、人間は頭が二つ、体が一つの、丸い球体のような姿をした生き物でした。この組み合わせは男女であったり、男同士であったり、女同士であったり、様々でした。 二人で一つの体を持つ人間たちはとても幸せで満ち足りていましたが、そのせいでいつしか怠け、驕り高ぶり、神をも恐れないようになってしまいました。 その姿は全能の神ゼウスの怒りに触れ、ゼウスは人間の体をそれぞれ一つずつに引き裂き、バラバラにしてしまいました。 そのうえ、もともとは一つであった人間の言語を何百、何千通りの別

        • ワーシカ・コルニコフの宝石③

          大学生になった私は、福祉の道を志すようになりました。 けれど学べば学ぶほど、自分はこの道を進んでいいのか迷うようになりました。 ……自分の心身が健康でない人間が、人の幸福の為に働けるだろうか? 他にやりたいこともない。できそうなこともない。どうやって、生きようか。 教室の片隅でいつも泣きそうに過ごしていた私に、先生は「この道を諦めようと思うな」と声を掛けました。 「いつかその痛みが、誰かの痛みを理解する助けになる。誰かの痛みに心から”わかるよ”って言える日が来る。だ

        理解と誤解と無理解と、それを巡る妄想の話

          ワーシカ・コルニコフの宝石②

          おとうさんは、世界の半分。 おかあさんは、世界のもう半分。 小さな私にとっては、それが世界の全てでした。 生まれた時から既に半分が荒れ果てて機能しない世界に生まれて、だから一生懸命、もう半分を守ろうとしたのかも知れません。私は懸命に、父を憎みました。 そうすることで、自分は汚れた血に乗っ取られずニンゲンとして生きていける。そう思っていたのかも知れません。 けれどその小さな世界が完全に壊れてしまうのは、あまりに簡単で、あまりに突然でした。 ある日、伯母…父の姉が大し

          ワーシカ・コルニコフの宝石②

          ワーシカ・コルニコフの宝石①

          1. 「真実告知」という言葉を、聞いたことがあるでしょうか。 何らかの事情があって実の親と暮らすことができない子どもたちは、施設や育ての親や、新しく縁を結んだ家族の元で暮らします。 その子たちには必ず自分の出自と、新しい場所で暮らすことになるまでの短い人生について、本当の事が伝えられます。 自分がどこの誰から生まれたか。なぜその人は自分を手放したか。 ……例えそれが、どんなに残酷で理不尽な事実だったとしても。 勿論大人は一生懸命、あれこれ頭を悩ませて、少しでも希望

          ワーシカ・コルニコフの宝石①

          誰とでも仲良くなる孤独

          家庭環境が複雑な子や、施設で育った子。 誰とも上手に関係を築けない子もいるけれど、反対に「誰とでも仲良くなってしまう」という困難を抱えている子は、意外と多い。 数年間かけて付き合いを重ねてきた相手にも、ついさっき初めて会った人にも同じように接してしまう。 だから関係が浅い時には、愛嬌のある可愛い子だと思われる。でも関係が深くなればなるほど、相手は違和感と寂しさを感じるようになる。 例えばの話だけれど、その子を親代わりに育てると決めて自分の家庭に迎え入れるとする。「私に

          誰とでも仲良くなる孤独

          ひとりで居るのが好きと ひとりで居るのは違うこと。

          子どもの頃、自分はまるでバベルの塔に住んでいると思っていた。 自分の言っていることは誰にもうまく伝わらない。自分の言いたいことは誰とも分かち合えない。そう思って、自分の事を語るのを控えてきたように思う。 最近、久しぶりに会った友人から「さやかは、こっちから聞かないと話さないから。時々、そんな経験してたの?そんな事あったの?って、後からびっくりするよ」と言われた。 自分にとっては、何がそんなにびっくりされる事かは分からない。私の人生はいつも平凡で、人に話すような出来事は何

          ひとりで居るのが好きと ひとりで居るのは違うこと。

          無題

           専門職としての自分と、一人の人間としての自分。職業と、生涯を通して挑む使命。 この二つが全くの別物の人もいるだろうし、とても近くてほぼ一体である人もいると思う。 私は、間違いなく後者である。 最初に働いた職場は生活支援センターという特性上、常に利用者さんの生活が自分の側にあったし。その中で一緒に泣いたり笑ったりして、一緒に生きてきた。私たちは利用者と専門職でありながら、同時に「生活を共にする者」だった。私にとって利用者さんは一方的に支援をする対象ではなく、いつも互いに

          退職に寄せて

          黒木渚の「ロックミュージシャンのためのエチュード第0楽章」 彼女の “簡潔に言う 気に入らない” “フェイクばかりで薄っぺら こざかしいんだよ くたばれ” っていう怒りを聴いていたら、私もちょっとばかし言っても良いかしら…という気になってきた。 私はこの春、11年働いた障害福祉分野から離れる。はっきりと理由を述べるのは難しいけど、11年前よりも随分福祉制度が整って、時代が変わった。 今の障害福祉分野は、私みたいな人間を必要としていない。 ただ私は、自分がもう時代遅

          退職に寄せて

          今の私が思う、仕事(専門職)だからできる事。

          私は最初の職場を辞めてから、心底「今までどんな事も怖くなかったのは、みんなに守られていたからなんだ」と思うようになりました。 当時は全然辛くも怖くもなかった事が、今は普通に辛いし怖いです。場数を踏んで「慣れた」のだと勘違いしていた自分が、本当に恥ずかしいと思います。 それで、何がそんなに違うんだろうかと思った時に、ぼんやりと思い出したことがあって。 まだ私が若手の職員だった頃。担当していた利用者さんから、初めて本気で殴られた時(と言っても怪我はなかったのでそんなに大事で

          今の私が思う、仕事(専門職)だからできる事。

          危機介入アプローチに特化した相談支援がやりたい②

          一番最初に勤めた職場を辞めて以降、ずっとタイトル通りのことを考えてはいるんですけど、なかなかこれについて真剣に意見を交わせる人がいない事もあって、どうにも思考が深まらないまま想いだけで時間が過ぎてしまいました。 やっぱり誰かの感想でも批判でも同意でも疑問でも良いから、何かしらもらえないとこのままな気がしています。なので形としては全然まとまっていないけど、もし何かしら思うことがあればぜひ教えていただきたいです。 まず「危機介入アプローチって何だっけ?」って話ですが、 危機

          危機介入アプローチに特化した相談支援がやりたい②

          危機介入アプローチに特化した相談支援がやりたいという話①

          正確には「危機介入アプローチ」という表現が正しいのかは分からない。でも、今私の頭の中に思い描いていることに近い既存の取り組みを探すと「危機介入アプローチ」が一番しっくりくるのではと思っている。 今現在、法律の枠組みの中で公的な資金を投入して行われる「危機介入アプローチに特化した相談支援」というのは、私が知る限り無いに等しいと思う。 「いのちの電話」とか、危機介入の一部分を担う相談窓口はある。でも継続的な関係を築いて、お互いに顔を合わせて相談支援を提供する場所はない。 し

          危機介入アプローチに特化した相談支援がやりたいという話①