今の私が思う、仕事(専門職)だからできる事。
私は最初の職場を辞めてから、心底「今までどんな事も怖くなかったのは、みんなに守られていたからなんだ」と思うようになりました。
当時は全然辛くも怖くもなかった事が、今は普通に辛いし怖いです。場数を踏んで「慣れた」のだと勘違いしていた自分が、本当に恥ずかしいと思います。
それで、何がそんなに違うんだろうかと思った時に、ぼんやりと思い出したことがあって。
まだ私が若手の職員だった頃。担当していた利用者さんから、初めて本気で殴られた時(と言っても怪我はなかったのでそんなに大事ではなかった)密室で二人だけで、抵抗しようのない状況で一方的に蹴り倒されて殴られた事にびっくりした私は、普通に泣いた。
痛いとか怖いとかじゃなくて、本当に、びっくりして自然と泣いてしまった。
とは言えその利用者さんだって、わざと私を殴ったわけではない。それ以外の感情の取り扱い方を、その子は知らなかった。だからその子の名誉のために言うけど、その子は悪くないので誤解しないでほしい。誰だってイライラして物に当たったりした経験があると思うけど、その子はその何十倍も何百倍もの衝動を、抱えきれずに放出してしまっただけなのだと思う。
何発か殴られて、どうやってお互いが我に返ったかは正直覚えてない。覚えているのは「ごめんなさい」と謝るその子の申し訳なさそうな顔と「でも、手塚さんは先生(職員)だから、許してくれるよね」という言葉だ。
正直「なんだって?」と思ったけど、若かりし日の私は「うん、勿論許すよ」と答えた。だって、仕事だから。専門職だから。学生の時から、この仕事してたら殴られる事くらいあります、危険な事もあります。それを乗り越えるための専門知識と技術ですと教わってきた。だから、プロとして「許さなくてはいけない」と思った。(今振り返れば「許さなくてはいけない」という上から目線な考えもどうか?と思うけど)
ちなみに同じ頃、近所の病院のコメディカルスタッフは患者さんから殴られて骨折した。そこの病院の院長は「殴られる方が悪い」と言った。
確かに「患者さん第一」と考えれば、ある意味で院長の発言は覚悟があるし、さすがだなと思う。
でもうちの施設長は私を殴った利用者さんに「許しません。何があろうと、人を殴らないでください。うちの職員に暴力を振るわないでください」って言ってくれた。衝撃と言うか、素直に表現すると、嬉しかった。
たぶん専門職としての私は「許さなくてはいけない」と思ってたけれど、一人の人間としての私は「殴られてびっくりしたし悲しかったし、許したくなかった」んだと思う。施設長のその一言が無かったら、私はきっと、自分でも気付かないくらい心の深い所でその子を恨み続けたかも知れない。だけど代わりに「許しません」って言ってもらったその一言で、そのお陰で、私は今もその子が好きだ。
話は変わるけど、最近私は「自分の人生と仕事が対になるように生きたい」と思う一方で「仕事じゃなきゃできない事」と「仕事だとできない事」があるなとも思う。
ちなみに今の私が思う「仕事(専門職)じゃなきゃできない事」は、ギリギリまで傷つくことだ。利用者さんたちに対して「私を困らせても、傷付けても良いよ。だってそれが私の仕事だから」っていう覚悟を持っていたい。
上手く言えないけど、きっと私も、めちゃくちゃ辛い時、死ぬほど苦しい時。たぶん、誰かを傷付けてしまうと思う。だから専門職として本当に苦しんでいる人の側にいる時、私は「私を傷付けても良いよ」と思っていたいし、思えていた時があった。
そしてそう思えていたのは、私が強いからでも凄いからでも何でもない。誰かがいつも、私を守ってくれていたから。誰かがいつも、私の痛みを肩代わりしてくれていたから。
だからもし私がいつか、専門職としてめちゃくちゃ理想の職場を作るとしたら「ギリギリまでやる」集団でいたい。でもその「ギリギリ」がどこかは、誰かの基準じゃなくてその時そこに居るみんなが決めるべきだと思う。そして何より、お互いがお互いの痛みを肩代わりして働くことだと思う。
「何をするか」も大事だけど「誰とするか」はもっと大事だ。いつかそういう仲間に出会えたらいいなあとか、あの頃の仲間とまた働けたら楽しいかなあとか思ってしまうけど。今は、こういう気付きを手放さないように書きとめるくらいしかできない。でもいつか、そんな仕事ができたら幸せだな。