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デジタル化が進む病院で見た孤独について。


よく晴れた日だった。初秋の東京の気温は、34℃でまだまだ暑い。暑いからだろうか。いつものように消化器内科へ行くと、受付でおじいさんが怒鳴っていた。

よくよく話を聴くと、おじいさんは病院の予約をせずに来院してしまったようだ。駅前から徒歩2分の消化器内科はいつも混雑している。予約もせずに、いきなり来てしまうなんて無謀だと思った。

予約なしの突然の来院は、どうしても診療が遅くなってしまう。待たせられると人はイライラするもの。受付の人に文句を言ったあと、受付の人は遅れている理由についての説明し、あとどれくらいで呼ばれるのかを説明しながら、おじいさんをなだめていた。

「混み合っていて、ごめんなさいね」「もうすぐ呼ばれますからね」受付のお姉さんは、そんなふうに優しく声をかける。

その様子を見ていたら、突然胸が苦しくなった。

公共施設の窓口で働いていたときのことを思い出したからだ。わたしもよくご年配の男性に怒鳴られていた。手続きが遅くなったときは、「まだ終わらないのか、遅いぞ」「なんで明るい夕方から電気をつけているんだ。節約しろよ」そんなことも言われた。

振り返れば、キリがないくらいに怒鳴られる日々だった。そのたびに、相手に優しい声をかけ、なだめていた。病院で見た受付のお姉さんみたいに。

わたしが働いていた窓口では、急速にデジタル化が進んでいた。それまで窓口で受付けていたイベントの申し込みは、人員削減に伴い、インターネットでの申し込みのみ・・に変わったのだ。

サービスが変わったときも、窓口で怒鳴られた。「税金返せよ」「都民のことを考えていないんじゃないか」なんて言われた。そのたびに、怒鳴っている人を落ち着かせるために、優しく声をかけていた。

病院で見た受付の人の対応は、間違っていなかったように思う。それなのに、怒鳴られてしまうんだって理不尽だ。34℃という暑さ。待たせられるイライラ。どうしようもない。

駅前にある病院は、LINEで予約をするシステムになっている。だから、突然の来院は基本的には、受け付けていない。それは、おじいさんも知っていた。だけど、おじいさんはスマートフォンやパソコンを持っておらず、予約をしたくてもできないと訴えていた。

わたしはそこで、おじいさんの暮らしが透けて見えた気がした。一つ屋根の下に、デジタルに強い人がいないのだ。

わたしの両親は、わからないときは、兄や弟に訊いている。母が、YouTubeの収益化申請に戸惑っているときは、わたしが英語の翻訳をし、弟がパソコンで申請を手伝った。

だけど、病院で見かけたおじいさんには、LINEで病院を予約してくれる近しい人がいない様子。これまで、ずっと怒鳴ってくるご年配の男性が苦手だった。だけど、急速に進むデジタル化で、世の中についていけずに取り残されてしまったのかもしれない。

そのイライラ、悲しみが溢れてしまい、怒りにつながってしまったのか。とは言え、やはり怒鳴り続けるおじいさんの声は、気分の良いものではなかった。どうして、公共のたくさんの人がいる場所で感情を露わにして、自分の気持ちを訴えることができるのだろう。わたしは、とても怖くてできない。

おじいさんが帰ったあと、診療の医師が受付にやってきて「大丈夫だった?」と声をかける。てか、医師が出てくるのが遅い! おじいさんは、医師には怒鳴らずに、終始ヘコヘコしていたようだ。

人を見て怒鳴る相手を選んでいる人は、やっぱり苦手だ〜

秋には干し芋を買って、12月までに新しい手帳を買いたいです。