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侘寂と陰翳礼讃による日本における美意識

こんにちは、sayakaです。

今回は侘寂と陰翳礼讃による日本における美意識について述べて行こうと思います。

こちらの記事でもすこし谷崎潤一郎の陰翳礼讃の考え方について述べているので、ぜひこちらもご拝読ください。



みなさんは「わびさび」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?

侘寂の意味はこちら。

わび・さび侘《び》・寂《び》)は、日本美意識の1つ。貧困孤独のなかに心の充足をみいだそうとする意識。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。[1]美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが[2]、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする[3]。本来は(わび)と(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い[4]人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている[5]
Wikipedia

侘び寂びは日本文化特有の美意識の1つです。

現代では「侘」と「寂」はまとめて使われることが多いですが、意味としては異なります。

「侘(わび)」は、「つつましく簡素なものの優美」
「寂(さび)」は、「時間の経過とそれに伴う劣化」
BBC NEWS JAPAN

日本には水墨画や千利休による茶道など、完璧ではないその間を美意識として捉える心が昔から備わっています。対極的にヨーロッパなどの文化は豪華で煌びやか、欠陥などよりもいかに完璧であることが美しいという美意識を持っています。

陰翳礼讃の考え方からもこの概念を理解できます。

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰影のあや、明暗にあると考える」
谷崎潤一郎 陰翳礼讃

侘び寂び、陰翳礼讃の考え方から日本人は空想させられる「間」に美しさを見出していることに気づかれましたか?

美意識として日本語もそのような「間」を美しいと感じることができる唯一無二の言語だと考えられます。

例えば、日本語は主語がなく、単語の順番を並び替えても意味が通じる言語として有名です。(倒置法など)そのような言語は日本語以外にはなく、英語なども順番を変えるだけで意味が通じなくなってしまったり、主語が必ず必要だったりします。

日本語の場合は私や、あななたちといったような主語がなくても会話が成立しますよね。

このように私たちは日々、無意識のうちに「想像」をして会話をしています。これが海外の方々からは日本語の習得が難しいと言われている理由でもあります。

この「想像して考える」という習慣が日本人には昔から備わっています。
これを私は一種の「間の美しさ」だと考えています。

またみなさんは日本の陶器に使われる「金継ぎ」という技法をご存知でしょうか?

割れた陶器を「漆」を使って修復する日本の伝統的な技術
別名「金繕い」とも言われる
金継ぎが生まれた背景には諸説ありますが、今から400年以上前・安土桃山時代から江戸時代初期にかけての『茶の湯』の時代と言われています。
千利休が大成した「茶の湯」は、当時の大名や大商人など富をもった権力者の趣味であり文化でした。
【中略】
当時の大名たちは茶会を開くことは大きな憧れ
褒賞としても信長からもらった「茶道具」は富と権力の象徴です。
そんな世界に1つしかない大切な茶道具ですから、壊れてしまった時の元に戻したい気持ちは計り知れない思いがあったでしょう。
そんな時代の中から、修復技術「金継ぎ」は生まれました。
TABLELIFE

金継ぎが生まれた背景も、高価で丁寧に扱われていた茶道具を長く使うためにはどうしたらいいのかという、欠陥から見出す美意識でした。
ひびの割れ方も同じものはないので、一つ一つにオリジナリティーがでます。

また金継ぎをして生まれた跡を「景色」と呼びます。
この1つ1つ違う景色を楽しんで昔の人々は美意識を見出していました。

この景色を柿や雷のように見立てたり、このラインを川の流れと呼ぶこともある。
傷をなかったことにするのではなく、歴史として受け入れ、新しい調和を生み出すのです。それは、まるで新たな命を吹き込むかのよう。
warakuweb

この引用文の言葉とても素敵な考え方ですよね。欠陥を違う角度から見つめることで新たな命を吹き込む。もし割れてしまっても、あまりマイナスに考えることなく、それすらも表情として楽しむことができます。
景色という考え方からも「想像して考える」「間の美しさ」を感じることができます。

このような考え方は今述べたような日本語、金継ぎ、そして私たちの思考、ファッション全てに通じてくる考え方だと感じています。

その日本文化の間や侘び寂びや陰翳礼讃の考え方をうまく表現し、世界に発信したのが、黒の衝撃を与えた川久保玲、山本耀司です。

この二人はヨーロッパの人々が「みすぼらしさで不完全」と考えるものを「日本人が考える美しさ」として海外に発信しました。

この2人が与えた影響については長くなってしまうので次号へと….

最近なぜ私はこのようなお洋服を選んできたのかという根拠について改めて自分自身に問いかける機会がありました。

私自身「黒」「染めや手作業で生まれる職人の技」に魅力を感じていることにこの考え方から一貫性があることに気がつきました。

黒という色はもっとも力強く、そして儚く、生地の素材感を一番伝え、もっとも表情を変える色だと感じています。他の色よりもしっとりとした艶感を感じることができます。

そこには生地のドレープ感や影によってうまれる陰影の美しさがある。

また染や手作業で作られているもの、経年変化とともに表情を変えるものや先程の黒の考え方に共通するのは「無意識的に生まれる差異」です。私は意識的につくる差異ではなく、作る上でどうしてもでてきてしまう、善良の差異、表情が生まれる自然的な現象にとても魅了されていることに気づきました。

ISSEY MIYAKEをはじめとして日本の伝統的なブランド、そしてアルチザンブランドに惹かれていたのはこの理由でした。
ISSEY MIYAKEは身体と洋服の間に生まれる「空気の間」に魅了されます。

私自身無意識的に今まで選んでいたものはそのような「無意識的に生まれる差異」による美しさだったのです。
これは日本人として昔から備わっていた美意識に影響しており、魅了されるのは必然的なものだったのだなと感じています。

そして最近腑に落ち、私自身アートや建築などに触れる上で魅了されているものにも感じる一貫性であり、ようやくこのように言語化することができました。

この話を家族にした際に、「うちのおじいちゃんも日本のファッションはわびさびで芸術には触れ続けないといけないんだ。って毎日のように言っていたよ。」と言われました。

祖父もファッション業界で働き続けてきた人間だったので、そこの美意識に関しての考え方が一致していることを知り、この考え方は一理あるなと改めて自分自身のものとして吸収し、理解することができました。

偶然生まれたものの間を汲み取り、想像する。この美意識が真髄にあり、私のファッションや考え方とは切っても切れない関係にあることに気づきました。


私自身、今まで学んできた内容がすべて1つに、「点と点が線でつながる」という感覚を体感することができました。

今回は、20年間生きていた上での私なりに考え抜いた「間の美しさ」という考え方とわびさびや陰翳礼讃という考え方から感じたこの結論に至った経緯について述べてみました。

私史上1番良い記事がかけたのではと自負しております。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」もぜひご覧ください。様々な角度からの陰影の美しさについて理解いただけると思います。

もしよろしければ、みなさまの美意識の考え方もぜひDMなどでお聞かせください。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました!

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