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レールを降りて、行く道を選ぶ。

言っていることがコロコロ変わってもまあいいかーって気持ち、とてもよくわかる。私もそう考えるようになってから、生きるのが格段に楽しくになった。


必ず答えがあると思って生きてきたんだよね。
親も、先生も、「どっちでもいいよ」って言ったって、顔に大きく答えが書いてあるでしょ。「こっちを選べば怒らないよ。こっちを選んでほしいな。」っていう答えが絶対にあった。私なりの答えはどこか世間の答えとはずれていて、いつも不正解だった。

国語の問題。「この時の作者の気持ちを書きなさい」の正解がわからなかった。たまに運よくマルがついたって「どうしてそう言い切れる?」なんて思ったり。"そういうものだ"と知ってからは百発百中くらいでマルがつくようになったけど、正直納得はしていなかった。だって本当の気持ちなんて、こんな短い文章からはわからない。これが答えだってどうして言えるの?って大人たちに尋ねたかった。(問題の意図をわかってはいるけど、「人の気持ち」になると私は探究が容赦ないらしい。簡単にわかったふりするなー!って今でも思う。)私は、言葉を覚えて間もない頃から、いつも「なんで?」と聞いてまわって大人を困らせていたと母から聞いている。大人から見たらめんどうな子どもだったんだろうと思う。

算数の筆算式を書くテスト。当初「紙を綺麗に使いたい。できるだけ書き込みたくない」という謎のポリシーがあったから、広い空白のスペースを持て余して暗算で答えだけ書いた。自信満々だったのに、0点で返ってきた。問題文の「筆算式を書きましょう。」に赤いなみなみ線が引かれて、大きなバツがたくさん並んでた。先生は「式を書くんだぞ」とさらっと告げて次の子を呼んだ。
これまでテストはほぼ100点だったのに、初めて0点を取ったことが恥ずかしくて悔しくて、母に見せられなかった。ランドセルからくしゃくしゃになったそれを見つけた時、母は怒らず「式を書かなかったんだね。あら〜ざんね〜ん」といつものおどけた調子で一言言った。暗算で答えたことは褒められなかった。求められている答えでなければそれ以外は不正解。世の中には絶対的な答えがあるんだと子どもながらに学んでいった。そうやっていつの間にか社会のレールに乗せられたんだと思う。

私はきっと要領がいい方で、答えがあるものはコツを掴んで卒なくこなした。と言っても、私にとっての答えは「怒られない」「嫌われない」「恥をかかない」だったの。ないないないのオンパレード。自分でレールを狭めるタイプ。そりゃ息苦しいよね。


大人になっても絶対的な答えを胸にひたむきに走ってきた。
20代後半になってからかな、「答えがない仕事」が降ってきて。しかも前例はなく。めっちゃくっちゃにしんどかった。目指す先に靄がかかっているのに走らなきゃいけない。一応掲げられたゴールは「住民がいきいきと〜」なんていうぽやっとしたスローガンのみ。住民がいきいきと?なにそれ?何すりゃいいの?…って考える隙も与えられないままに走ることだけ指示されたような感じ。
中堅職員になりつつある中でどかーんと任された仕事。上司に相談するにも、最初は何をどこからどう相談すべきかもわからない。小さな自治体あるある、担当は私だけ系。手探りで毎日毎日考えては動いてみてまた考えて動いて答えがなくて苦しんで動いてを繰り返すしかなかった。


揉まれに揉まれて気づいたことがあった。
答えがある方がコツを掴めば楽ちんだということ。答えがないことは、終わりがない分、自ずとそのことに対する深い理解と私自身や住民の価値観にとことん向き合う覚悟を持って走ろうとするということ。なにより、そもそも答えがなければ、失敗なんてないんじゃない?って。

その経験が私の価値観や人生に大きな影響を及ぼしていたんだと最近やっと気づいた。そのあたりから退職を考えはじめたし、それが今に至っている。

私はきっと小さい頃から「自分なりの答え」を見つけていきたかったんだと思う。「それもいいね」って受け入れられたかったんだと思う。私の価値観の根底にあるものは「たった一つの答えなんてない」ってことなんだなって、最近繋がってきたよ。
あてがわれたレールを走るんじゃなくて、自分で道を選ぶ。今はそういう感覚。どの道に行こうか?こっちも行きたいけどあっちも気になる。じゃあ、こっち行ったら戻ってきてあっちに行くのもアリじゃない?ってな具合で日々が楽しい。

答えがないからこそ、人のことも知りたい。自分のことも知ってほしい。「あなたはそうなの?どうして?へ〜!それもいいね!おもしろいね!私はね、」って、互いの今の答えを見せ合いっこして、そのきらめきを分かち合う瞬間が大好きなんだ。

きっとそういう風に思って、人と出会って分かち合える人が1人でも増えたなら。なんなら「それならこういうのもよさそう!」って新しい新鮮な答えを見出すことができたなら、世界平和も夢じゃないなって本気で思う。

「人類みんなハッピーであれ」って心からの願いが、自分が大切にしている価値観で叶えられるかもしれないなんて。大袈裟かもしれないけど、なんだか夢のようだよ。こういうことに気づけたのも、自分や周りの人や物事と、自分なりに誠実に向き合ってきたからかな。

答えが見えないのは苦しいけど、その先に、自分を認めて、誰かを尊重することがきっとできる。AI?タイパ?んなもん知るか!もっと人生あがいてもがいてじっくり向き合おうぜ!って訴えていきたい。

あーーー、人間おもしれぇええーー!!

#さやかとはなこの交換日記



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