出産記録、それは便意との戦いの記録である

なんの衒いもなく
遠慮なく表現すると
陣痛と出産のすべては
「便意我慢大会」に他ならなかった

感覚を伝えようとすると
盛大にお腹を壊して
大きな固いうんちを出すべく
何度も来る便意を我慢する大会、
許可なく息むと怒られるというルール付きである。



私の出産の流れはこうだった。


当日の朝6時にトイレに起きて
そこでおしるしを発見、
いよいよかと思い、なんとなく来ている
生理痛のようなものを観察しながら
朝ごはんを食べてごろごろ。

なにやら痛みが定期的になってきたので
(それでも生理2日目くらい)
産婦人科に電話し、シャワーを指示されるがまま浴びて準備開始した。

すると、なんとなく10分切ってる気がして
また病院に電話をし、
本来15時半予約のところを
1時間繰り上げで診察に向かったのである。


産婦人科に到着する頃、
生理二日目の1.5倍くらいの痛みに成長していたが
まだこのころは腰が痛くなってきたな、くらいの感覚だった。
余裕をこいて内診をすると
なんと子宮口が8センチまで開いているという衝撃展開。

個別室にも行くことなく、
人生初の車椅子に乗って、
そのまま分娩台行きとなった。
(よくここまで頑張ったね、と散々言われたが
頑張った記憶がない。)


そして、ここからが便意我慢大会の
幕開けとなる。


それはそれは想像を超える
トラウマ級の我慢大会であって
時折来る盛大な便意を前に私が終始発していたのは
「出そう!なんか、出そう!
 出してもいいですか!!?!!!!」だった。


あと2回、この波を乗りこなせば、と
訳の分からない宥め方を自分自身にしつつ
あとどのくらいですか、と何度も助産師に聞く。

当然、残り時間を助産師は保証しないのであって
「もうちょっとで終わる」という
数時間単位の「もうちょっと」に惑わされ
出産を終えた。

最後赤子を取り出す時は
当然何かいろいろなリミッターが外れた感覚で
(気持ち的にも身体の股関節とか皮膚とか色々)
これで終わりにしないと死にそうだから
どうにでもなれ!!くらいの全力で
うんこを捻り出す作業をした気分だった
(やっぱり、あくまでもうんこ感覚だった)

出したいのに出してはいけないという
あの感覚は、なかなかにトラウマで
痛みよりもなによりも生理現象を制限される
経験の方が衝撃的だった。

会陰切開も尿道カテーテルも、
胎盤を出す後産も、
縫合(これは確かに痛かったし今もこうして眠れない痛さだが)も。
訳がわからぬうちに一通りを経験したが
想像の域を出なかった。便意しか勝たん。

とにかく、うんこは自由に出せるに限る。
色気もへったくれもないが
これが出産後の感想だった。




しばらくビクビクしながらトイレに通う日々だが
きっと出せないよりはマシなので
感謝して便器に向き合おうと思う。

きっと、やっぱり想像を超えると思うが、
少しでもこれから出産する方の
イメトレに役立ちますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?