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出産が私を母親にするわけではなかったという話

ムスメが6ヶ月になった。
日に日に動く範囲は広くなって
プライスレスな笑顔を絶やさない。


かわいい。愛おしい。食べてしまいたい。
言葉にしても有り余るこの思いを
抱えて過ごす毎日だけれど
そう感じるようになったのは
ほんのここ1ヶ月だったりする。


妊娠が分かってから
むくむくと膨らむお腹を見て
私は混乱した。
自分の意思を無視して子が育っていくし
身体の形がどんどん変わっていく。
思ったように動かない身体と
ある感情が湧かない不安。

「愛おしい」「可愛い」

本やSNS、テレビで見ていた
愛おしそうにお腹を撫でる姿。

たしかに転ばないように
風邪をひかないように
大事に大事にお腹を育てた。
でも「愛おしい」のか?

エコー写真を見ても
おお、人間はこうやって育っていくのか、と
生物学的な感動はあったけれど
愛のような感情が湧かなくて
母親失格なのでは、と不安になった。


感情はどうしようもない
生まれてきて顔を見たら変わるかもしれない
そう割り切るしかなかった。



いざ生まれてみると
無事に産まれることの奇跡に感動した。
そして、何事もなく健康に生まれる奇跡に感謝した。
だって、お腹の中で目や鼻や口、
手や脚が作られて出てくるってすごい。
そんでもって、水の中に生きてたのに
外に出てきてすぐ肺呼吸を始められるって
なんか、すごくないか?

ひたすら感動したことを覚えている。

ありがとう。無事に生まれてきてくれて。

でも愛おしさはまだ生まれなかった。
私の母性はどこに行ってしまったんだろう?


そこからはいうまでもなく
怒涛の授乳である。
暑くないように寒くないように気を使って
一挙手一投足に息をつめて見守る日々。


必死すぎて「愛おしい」なんて思えなかった。
哺乳瓶を泣きながら嫌がられ
挙句せっかく飲ませたミルクを吐かれた日には
憎いとさえ思うこともあった。

こんな母親でいいのか?と混乱したし
愛情が湧かないまま子育てができるのか
不安で仕方がなかった。

だから、友人や家族に来てもらって
私の代わりに「可愛い」をたくさん言ってもらった。
「よかった、可愛いんだ。」
人に言ってもらって確認をする日々。
きっと今だけだと思って乗り越えた。


そして最近である。
私を見るとムスメは何が楽しいのかわからないくらいニコニコする。
変な顔だから?なんか動きおかしい?って
疑いたくなるくらい笑う。
毎日羨ましくなるくらい楽しそうだ。

「あぁ、可愛いな」
気づいたら自然に思えていた。
顔じゃない。笑うからじゃない。
この、私に全幅の信頼を寄せている
小さな存在が愛おしくて仕方なくなっていた。




そして気づいた。
生んだからって母親にはなれないし
愛おしいと思えるわけじゃなかった。

無償の愛を先にこの子からもらって
初めて愛おしいと思えた。
そうだった。先にムスメから愛されていた。
私がムスメに母親として育ててもらってる。
ムスメがいるから私が親でいることができる。


これまで感じたことない愛おしさを
教えてもらった。
ずっと見ていたいし愛しみたい。




でも、お腹から出た瞬間から
ムスメは私の手から離れていく運命だ。
彼女の人生の中で
一緒にいられる時間はきっと3分の1もない。
これからは私の知らない彼女の時間が
増えていく一方である。


まだ6ヶ月のベイビーだけれど
すでに切ない。
そんな未来が分かってるなんて
やってられない。


きっと私が知らない世界を
切り開いていくんだろう。


可能性を、選択肢をたくさんあげたい。
人の心を知り、世界を知る経験をあげたい。
そしてムスメと人生を楽しみながら
一緒に歩んでいける親でありたい。



6ヶ月おめでとう。
すくすくと大きくなってほしいけれど
まだ小さくいてね、と思う
天邪鬼な母ちゃんを許して。



























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