怒りの『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想

最初に言っておくとこの感想はネタバレを含みますし、かなり否定的な意見も多いので、それが気になる人は絶対に読まないでください。
好きなものを貶されるのは悲しいでしょうし、世間的には大絶賛されている作品なので私のような少数派の意見をわざわざ目にすることも無いでしょう。



SEEDへのスタンス

というわけで劇場版の『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を初日の夕方に友人3人と見てきました。

そして既に一週間経ってますが、見た日から毎日毎日この作品のことを考えていていい加減自分の気持ちを整理しないと埒が明かないので、noteで一度このモヤモヤの原因が何なのかををまとめてみようと思いこの記事を書き始めました。

私としてはまあ一人のガノタとして『SEED』も『SEED DESTINY』もリアルタイムで見てますし、その後のHDリマスターやスペシャルエディション、スターゲイザー辺りも見ている「特別思い入れがあるわけではないが、全体としては結構好きな部類」のガンダム作品という感じでした。

実際ガンダムのゲームやらなんやらやっててUC限定でもない限りSEEDに触れないことは不可能ですから、今となっては常連メンバーとしてかなり親しみはあります。
個人的には『SEED』は名作でガンダム中興の祖だと思っていますし、『スターゲイザー』もかなりの名作だと思っています。

あとこれはこの映画の感想を書く上で外せない『SEED DESTINY』の評価ですが、私個人は「正直駄作だとは思うが、物語の根っこや展開などは嫌いじゃないし、流石に叩かれ過ぎでは」と当時から思っていました。
まあ雑に言うと所謂「普通に受け入れてる」側ですね。

そしてこれもおそらくこの後感想を語る上で大事だと思うので言っておくと、私は基本的に登場人物は「舞台装置」の1つだと思っているので、キャラクターがどういう動きや感じ方をしていようがそれに説得力や納得出来る理由があれば好きなキャラだろうが嫌いなキャラだろうがどう動いても特になにも感じないということです。 

この点は私のこの映画の感想として後々大事になりそうなので先に書いておきました。


映画の印象

さて、という訳でまずこの映画を見終わった直後の私の感想を端的に言うと「エンタメ映画としては非常に面白かったので割り切って楽しめるが、それはそれとして不誠実でファンのことを馬鹿にしているとしか思えない非常に腹立たしい映画」という感じです。

実際見終わったときに最初に感じたことは「一体20年弱も経って何を見せられたんだ……?っていうかファンのこと馬鹿にしてんのか?真面目に作れよ!」という怒りの感情でした。

しかしSNSの蓋を開けてみたら基本的には大絶賛!
もちろん合わなかった人などもいるでしょうが、観測範囲ではほぼ全員と言っていいほど絶賛してニコニコホカホカしていて「え……?嘘だろ……?これでいいのか……?」と思ったのが本音です。

という訳で上記のようにまだあまりにも世間との解離が大きくてモヤモヤした心持ちなので、自分としてもこんな感情は初めてなので何とか気持ちに折り合いをつけようと一週間ずっと考えていました。

「いや嫌いなら無理する必要ないじゃん」と思うかもしれませんが、何となくこの気持ちはここに書けば落ち着きそうなのと、克服しないとガンプラもガンダムのゲームもこの先やっていけんという理由からです。


前後半で違う映画

この怒りの原因が何なのか、まず初めに思い付いたのは「前半と後半のギャップ」です。

おそらく映画を見た人は皆さん分かると思いますが、好き嫌いや是非はともかくこの作品はだいたいアスランがズゴックで突っ込んでくるところ辺りから空気がガラッと変わります。
簡潔に言うと真面目パート(?)からお祭りパートに。

まず私個人としてこの映画自体は上に書いたように基本的には「非常に面白かった」のですが、それは「戦闘シーンが良かった」ところや「その後のキャラの描かれ方(シンを除く)」などの、まさにキャラクター映画としてのエンタメの核を為す部分がしっかり出来ていたところや、前半のSEEDっぽい何となくギスギスしてお互い距離を感じている描写などは非常に満足できました。

問題は後半部分です。

正直前半部分を見ているときの私は「あーSEED見てるわー。そうそうこの空気感がSEEDだよねー。でも流石にちょっと退屈になってきたぞ?」という感じでした。

つまりまあ『SEED DESTINY』の続きを見てる感がありつつも、後半きちんと盛り上がるのかちょっと不安という感じで「納得」していたんですね。

後半部分は、この記事は基本的に既に鑑賞した人を想定しているので詳細は省略しますが、もうとにかくお祭りパートです。

主人公サイドの一転攻勢、これでもかと新機体や多作品のパロディのオンパレードに、もう仕組みや原理を考えるのなどアホになるほどの武器や、キャラ同士の笑っていいのか分からないシュールなギャグパートが延々と繰り広げられます。

ただ、これがとにかく全部嫌だったという訳ではありません。

実際戦闘シーンは忙しすぎて何が起きてるのかよく分からないシーンはありましたが、よく動いていて見ごたえ十分でしたし、前半でボロボロにされたキラ達が後半一気に盛り返すのも王道ながらカタルシスはあったと思います。

しかし物事には限度と段階と言うものがありますし、楽しませることふざけることは違います。


怒りの正体

この記事は私がこの映画を見ていてどこで怒りを覚えたのかを自分なりに結論付けて納得したくて書き始めた記事ですが、ここ一週間考えて出した結論は「途中から考えるのを放棄した」と感じたことだと思いました。

具体例としてどの部分かというのをいくつか思い返すと

  • シンがキラを慕っている説明が無さすぎる

  • 前半で起こった出来事に対しての後半での解決法方が力業過ぎる(ふざけすぎている)

  • そもそもキャラと機体を活躍させればシナリオなんてどうでもいいと思っている(ように私が感じた)

  • アスランの描写はいくらなんでもふざけすぎている

  • ブラックナイツの読心術の説明も無さすぎる

  • シンの心の中のステラ

などの点はやはり一言で言えば「説明不足」あるいは「説明放棄」に感じました。

特にシンがキラを異常に慕っている描写は個人的には一番気になる部分で、前半のアグネスに「殺し合いしてた相手に背中任せられないもんね」みたいなこと言われたときですら過去にキラを慕う何かがあったかなどの説明がなく、後半どこかであるのかなと期待していたら後半はそもそもそれどころじゃなく全て投げ捨てたのでこちらとしては唖然とするしかありませんでした。


シンの描写

最初の方で私は登場人物を舞台装置として見ているので、キャラクターが活躍したかどうかなどよりは納得感を優先すると書きました。

私はSEEDシリーズの登場人物で好きなキャラを挙げるとするならば「クルーゼ」と「シン」かなと思っているのですが、映画を見た方は分かると思いますが今回のシンは『DESTINY』とは別人と言えるほどシナリオ上でも戦闘上でも目立っていますし、活躍もしています。

ただ結局最後の最後まで何故キラにあそこまで尊敬心を抱いているかの描写がなかったせいで、私個人としては今回のシンの行動がいまいち納得出来ずこの描かれ方は非常に残念でした。

別にキラを慕っているのが嫌なわけではなく、流石にスペシャルエディションの握手ひとつで「勘違いとはいえ自分の家族を殺したと思って、お互いに殺し合いをしていた人間」をあそこまで慕っているのは無理があります。

「シンは過去のことは一切気にしないそういう人間なんだよ」と言われてしまえばそれまでですが、それならそれで本当に数秒でもいいですから「俺はキラさんと昔色々ありましたけど今は本当に尊敬していますよ」と回想シーンでも入れてくれたら本当に納得出来たんですよ。

アスランへの態度が昔と変わってないのも余計にそこを目立たせる原因でした(アスランへの態度が変わってないのは分かる)。

そしてステラがドズル・ザビの怨霊のようになるシーンも、本当にただポッと出でステラを出しただけみたいでそこでのシンのテンションと合わさって凄く違和感がありましたし、やはり説明不足を感じました。


説明不足なのか放棄なのか

長くなりそう、というか考えるだけ無駄だと思うので上記の箇条書きは特に私が気になったシン関連のものだけにしましたが、正直シンの部分は「説明不足」あるいは「描写下手」であると私は感じたのでまだ仕方ないかと思えなくもないのですが、その他の後半部分は基本的には「説明放棄」であると私は思いました。

この話を映画を見終わったあと、一緒に見に行った友人たち3人と話していたのですが(残りの3人は当然かなり楽しんでいた)、やはりその友人たちのうち少なくとも2人は、言い方は悪いですが基本的に「悪ノリ」を楽しんでいたのだと思います。

実際私が色々と文句を言っていたときに、友人が「真面目に考えすぎだよSEEDを」と言われたのが非常に印象に残っています。

私は所謂ネタバレを全く気にしない人間なのですが、今回は流石に初日ということもあり、日付変更直後の最速上映で見に行った友人からも「今回は絶対にネタバレ無しで見に行った方が良い」と言われたので、珍しく出来るだけ目に触れないように自衛して映画に臨んだのですが、今回ばかりはネタバレを見てから行ったら普通に楽しめたんだろうなと思ってしまいました。

理由はシンプルで「この作品は接合性とか設定とかじゃなくてキャラ同士の絡みやMSの戦闘を楽しむ映画ですよ」と分かって行っていれば何も考えずに見られたからということです。

つまり「キャラ同士の絡み」や「贔屓のキャラが目立っていたか(活躍していたか、幸せそうにしていたか)」、「新しいMSはかっこよかった」などの方を重視しているファンがSEEDのメインターゲットであって、製作としてもそのボリューム層が最大限楽しめるように出来る限りのことをやったので、最高の映画と言われているわけです。

なので根本的な問題として、そもそも私はこの映画のターゲットでは無かったということです。

ただこれは自分の好き嫌いは脇に置いておいて客観的に見ても、やはり流石に前半と後半のチグハグさや後半の説明放棄具合やふざけすぎ感は少々酷かったとは思います。


結論―『DESTINY』の続編として

結論としてはやはり同じことの繰り返しになりますが、「真面目に考えている人を置いてきぼりにしてキャラと戦闘の圧倒的暴力で何とか誤魔化したのを、私はファンを馬鹿にしていると思い込んでいたが、結局多くのファンが望んでいたのはそっちの方だったので、私の方が勝手に被害妄想で馬鹿にされていると感じて上記のファンがただ羨ましかった」のかなと思います。

Twitterで私は「『DESTINY』が無かったことにされたみたいで嫌だ」と言った趣旨の発言をしましたが、この作品は間違いなく途中まで『DESTINY』の続編でした。

ただ多くの『DESTINY』を受け入れられなかったファンが『DESTINY』で終わったままのSEEDの世界をどうにかしてほしいと思っていて、その結果後半で一気に「DESTINYなんて忘れてとにかく祭りにしようぜ!」とした結果をプラスと捉えたかマイナスと捉えたかの違いだと思います。

最初の方で言った通り私は『DESTINY』は駄作だとは思うが「受け入れていた」ので、この辺りが鑑賞時は非常に腹立たしかったんだと思います。

そして何だかんだ言っていますがここで書いて気持ちの整理がついたら、もう一度見たいと思う作品ではあるんですよね。

正直この作品がエンタメとして面白いのは間違いないとは思っていますので。

今度は中身も分かっているし、余計な心配も過度な期待もしないで絵だけに集中できそうなのも非常によいです。

というわけで、正直ガンダムSEEDのことを人生でこんな考えることがあるとは夢にも思いませんでしたが、私にとっては非常に腹立たしく嫌いではあったが、何度も見たくなる面白さがある不思議な作品という我ながら初めての立ち位置になる映画でした。

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