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水曜日、終電前の神さま

平日ど真ん中の水曜日の夜のこと。
次の日が祝日で休みなもんだから、会社の同僚数人と飲みに行った。
祝日なんて大概は有り難くって、平日4日間勤務で働きたいと常々思っていたのだが、ここ最近は仕事に追われすぎて、月末の祝日を恨めしく思うまでになってしまった。決して仕事が楽しいわけでない。追われているだけである。

いつもは会社の近辺で飲むのだが、その日は珍しく一駅先まで出向いて行った。予約時間がギリギリになるとタクシーを使うことも厭わなくなり、改めて社会人になったなあなんて思う。

予約していたのはお魚が美味しいお店で、入社してから変わらない顔ぶれで美味しいものを食べるのが心底嬉しかった。今は部署異動があってほとんど散り散りだけど、定期的に集まっている。私だけ4、5歳年下で離れていて、ちょっとだけジェネレーションギャップ。私の世代はようやく結婚ラッシュが始まったくらいだけど、先輩たちは出産ラッシュ世代だ。

1軒目では物足りなくって2軒目はしごして、終電近くなって解散した。少し歩いたら路線一本で帰れるけど、ほとんど時間も変わらないので、一番近い駅から一回乗り継ぎをして帰ることにした。




乗り換え駅まで一緒だった先輩たちとお別れして、あと3駅乗り継げば帰れるところまで来た。次の電車は3分後。本数が少なくなってる時間帯なのにラッキーだ。

そう思って待っていたのになかなか電車が来ない。どうやらちょうどこのタイミングで人身事故があり、数駅先から運転を見合わせているらしい。ここ最近、自分が乗ろうとした電車から遅延する呪いと、万札のおつりが千円札で返ってくる呪いにかかっているのだが、こんなところでも発揮されるとは。

ただでさえ終電の時間が近く人が多いホームに、どんどん人だかりができていく。しまいには階段まで人が連なるまでになってきた。



運転見合わせから30分強、ようやく電車が到着しそうな頃合い。
そんなタイミングで気分が悪くなってきた。飲み会終わりとはいえ少ししか飲んでないし、そこまで酔ってないのに。焦点が合わず、目の前が黒っぽくなっていく。

やばい、立てない。気づいたら並んでいるホームでうずくまってしまった。あと数分で電車がくる。これを逃したら次はいつくるかわからない。10分もかからない時間を耐えればいいだけなのに。

乗るか乗らないか迷った末に、私は電車に乗った。ホームに残ったところで、ベンチには座れないのだ。先程うずくまったので少しだけ楽である。幸い座席の前の手すりがあったのでつかまったけれども、30分強遅延した終電前の電車は言わずもがな満員だった。

酸欠なのか貧血なのかわからないけれど、電車に乗ってすぐでもう限界だった。扉が閉まる。どうしよう。そう思ったらタイミングで、「一度扉が開きます」とアナウンスがあった。大方荷物か何かが挟まれたとかそういうことだろう。

今しかないと思った。「降ります」精一杯の勇気を振り絞って扉に近づく。幸い人も退けてくれた。が、「一度扉が開きます」は扉が開いている時間が短く、扉から出る前に閉じてしまった。




ああ、もうだめだ。立てない。視界がぼやける。ふらふらする。
扉の横の隅っこに座り込んでしまった。座ると少しだけましだった。が、満員電車のこれはひどく迷惑であろう。

「大丈夫ですか」
見上げると、心配そうにした人たちがこちらを見下ろしている。

「大丈夫です、多分貧血っぽくて、座ってたら大丈夫なんです」
ただでさえ終電間近の、皆早く帰りたいであろう時間帯で、大幅遅延の満員電車で、少しピリついている空間である。これ以上「急病患者のせいで遅延する」なんて、ましてや自分のせいで起こってほしくない状況である。何事もなくあと3駅やり過ごしたい。



そうこうしているうちに、目の前の乗客の方が座席に向かっていってくださった。
「すみません、席変わってもらえませんか。体調悪い人がいるんです」

なんで優しいの。でもやめてぇ。こんな満員電車で座れてるなんて、電車遅延の中の不幸中の幸いだろうに、こんな私のために空けてもらっては申し訳が立たない。
そんな心の抵抗も虚しく、端から2つ目に座っている女性が進んで席を譲ってくれた。私より少しだけ年上に見える、髪を丁寧に巻いた女性だった。目がくりくりで、こんな時間にもかかわらずお化粧が綺麗だ。

頭が回らない中で精一杯の謝罪をし、有り難く座らせていただく。歳をとってわかったことは、漫画やアニメでよくある冷や汗は、比喩や誇張なんかじゃなくて本当に実在するということだ。冷たい汗がこめかみを伝う。



こんなに3駅を長く感じることは初めてだった。できる限り周りの方にお礼を言い、席を譲ってくださった女性にも感謝を述べて電車を降りた。ここまできたらもうなんとでもなる。
他の人たちが改札に向かう中、一人ホームのベンチに腰掛けた。少し休んでいこう。




「大丈夫ですか?」
そう声をかけてくれたのは、先ほど席を譲ってくれた女性だった。どうやらその女性の最寄駅も同じだったらしい。ただでさえ席を譲ってもらったのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

「大丈夫です、少し休めば自分で帰れるので」
「でも顔真っ青です。お水あります?買ってきましょうか」

そう言ってすぐそばの自販機でお水を買ってきてくれ、丁寧にキャップまで空けてくださった。この人は人命救助の訓練でも受けているんだろうか。

もう十分すぎるのに、さらに思わぬ提案を受けた。
「誰か迎えにきてくださる方いますか?私、彼氏が車で迎えに来てくれるんですけど、よかったら送りますよ」


いやいやいや!ただでさえもう十分気を遣っていただいているのに、彼氏さんにまでお世話になるわけには。もう24時をゆうに回っているのに、徒歩6、7分の道のりを送ってもらうなんて。
もちろんお断りしたが、半ば強引に行きましょうと言ってくださる。時にはその強引さも優しさなのだと感じる。私の整理されていない重たいカバンまで持って下さった。階段でなくわざわざエレベーターまで使ってくださる。神様なんだろうか。人生何周目だっていうんだ。



その女性の方は彼氏さんと同棲しているらしく、駅から少し歩く距離のため、毎日彼氏さんが迎えに来てくださるそうだ。この彼女あってこの彼氏ありか。彼氏さん、こんなできた彼女さん絶対離すんじゃないぞ。
「車めっちゃ汚いんです、すみません」なんて謝られたが、謝るのはこちらの方だ。

結局うちの近くまで送ってくださった。流石に何かお礼をと思ったが、生憎なんにも持ち合わせていない。「お礼なんて全然〜!」と言われて、ただひたすらに感謝を述べてお別れした。

24時をはるかに回っているこの時間。皆疲れきって一刻も早く帰りたいと思っているであろう状況で、こんなにも余裕を持って、見ず知らずの人間に親切に振る舞える人がいるだろうか。
体調の悪さよりも、その方の素晴らしさを心に染み込ませながら、その日は眠りについた。





ここ最近は本当に仕事に追われてて、いろんなことに余裕がなかった。余裕がないと人に親切にできない。エスカレーターで割り込みされたら腹が立つし、電車で空いてる席があればできるだけ座りたい。いかに自分が自分のことしか考えていないか身に染みてわかる。
四半世紀も生きていると、他人に親切にすること以上に、いかに危険から自分の身を守って生きていくかのことの方が大事になって、どんどん視野が狭くなっていたような気がする。


いろいろ言い訳してしまうけど、結局そんなの建前でしかなくて、きっと自分一番に生きてしまってる人間なのだ。
だからこそ、世の中にはこんなにも親切な人がいるのだと雷に打たれたようだった。行き過ぎた親切だと思うかもしれないが、やっぱり親切にされると心の方があたたかくなる。それと同時に、ありきたりな言葉でしか表現できない自分の語彙力のなさに悲しくなった。


直接お礼はできなかったけれど、その分私も人に優しくしようと強く思った水曜日の深夜だった。あの時助けてくださって、本当にありがとうございました。おかげで私は今日も生きています。

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