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【妊娠出産】35歳初産婦、妊娠41週0日予定日超過・出産記録

2023/10/14(土)、出産予定日からちょうど1週間超過した妊娠41週0日目、無事に3650gの娘を出産しました😊👶💐。

ただ、予定日通りに産まれなかった我が子は、産院が指定している安全な分娩ができる範囲41週0日で(※私が通う産院での基準)、陣痛誘発剤を利用してのお産となりました。

このノートでは出産予定日を1週間超過して、実際に感じた事や出来事について、陣痛誘発剤を利用したお産についての感想など、出産についてまとめたレポートとなります。

35歳初産婦の出産当日レポ(予定日1週間超過、妊娠41週0日での出産)


妊娠サポートアプリ トツキトウカより

妊娠予定日を1週間超過…!妊娠41週0日での入院

当初の出産予定日は2023/10/7(土)、予定日までに陣痛(or破水)が起こらなかったら、10/10(火)に産婦人科健診を受けて方針決定となりました。診察結果としては以下の通り、

《2023/10/10の産婦人科健診・妊娠40週3日目》
◎健診内容と結果(助成券無しでの費用)
・NSTモニター検査
胎児はすこぶる元気。不定期なお腹の張りが計測されるが規則性は無し。

・内診&診断
子宮頸管の長さは残り17mm
子宮口の開きは3cm
長さも開きも順調で、41週前には産まれるのでは?という先生の見立てだったけれども、もし40週で出てこなかったら、産院が定めてる安全なお産期間範囲「妊娠41週0日」で入院が決定しました。※私の入院する産院での基準です。

・エコー検査
子宮ぱんぱんに育った胎児は推定体重は3586gで上下に誤差1割。エコー画面からも分かるぷくぷくとした赤ちゃんの元気な様子に嬉しいやら悲しいやら…😂。

尚、行政からの産婦人科健診助成券は妊娠39週健診で使い果たしたので、妊娠40週の検査では合計8000円の出費になりました。お高い…💸💦

《確定した入院日日時、その前日まで》
入院日時が確定した事で、いちおのゴールが見えたことへの安堵感と、一方で同じ出産予定日の人や、自分よりも先の予定日のママ達が出産したと報告や連絡を受けたりと、焦りが生まれたのは正直な感想です😅。

とはいえ、焦ってもしょうがない…!
入院日まではできるだけの事をしようと、毎日10000歩消化できるよう、お散歩、お家掃除をしたり、そしてお腹で感じられる胎動もこれで最後なんだって、まんまるなお腹を毎日写真摂ったり触ったり、リラックスを心がけました😊。


入院当日、陣痛誘発剤を使う。…え、この痛みでまだ4cm?

入院当日のお昼 まだ余裕をぶちかます

2023/10/14(土)、連日動き回っていたせいかお腹の張りが長時間頻繁に続くようになっていたけども、ついに入院日当日の朝を迎え😅、最後になる妊婦姿で夫と写真撮影してのんびり病院へ向かい、8時30分に入院となりました。

《陣痛誘発剤を使うまでの流れ》
8:30 入院手続き、PCR検査、お小水、体重・血圧計測
9:00 病室や院内の説明、確認
9:40 NST40分、胎児の様子を確認
10:30 内診、陣痛誘発剤(子宮に入れるタイプ)を使用
尚、この時の子宮頸管と子宮口は10/10診察時点と変わらずでした…😰
11:30 病院でのお昼ご飯
この時点で、自宅に居る時に不定期に起こっていた前駆陣痛と同じ強さの痛みが起こるようになっていて、間隔が長め。痛いものの会話も食事も問題なく出来るレベルでした。

14:00 急に陣痛の質が変わる。「ドン!」と金槌で腰を叩かれるような痛みが起こり、3分間隔の規則性が。「ドンドンドンドンドンドンドン」、弱中強中弱と、押して引いてく波のような陣痛。この痛みが始まってからは唸るしか出来ず会話する余裕はない、ひたすら痛みに耐え、大量の汗と身震いを不快に感じながらエネルギーも削られていく。

そして14:30頃、助産師に呼ばれた先生が内診に来て、子宮口が4cmに拡大しているのを確認、そしてついに少量の破水があり、子宮から薬を抜き取られる。

「よし、破水もしてるね。陣痛始まってるから痛いでしょ。頑張ろう。今日中に産もう。」と先生が言って。

その言葉を聞いて、痛みで破水すら気付いていなかった現状に呆然としながら、これから始まる本陣痛との戦いに対してか。
ついにか…と数滴の涙が流れ落ちた。

本陣痛開始!甘く見てた本陣痛…「食べて!草だんご!」

陣痛が始まってからはとにかく凄まじかった。規則的にくる強い衝撃、痛み、鈍痛に心が挫けそうになった。
でも、ずっと付き添って支えてくれる助産師さんの励ましやアドバイスが本当に心強く、出産予定日を過ぎて病院内で陣痛を誘発する事となったのは、むしろ私にとっては精神面で最適な環境になったのではと思った。

もう言葉なんて話せない、頷くのも精一杯。押し寄せる波に恐怖しながら、ひたすら「開け開け開け」と頭の中で叫び続けて、七転八倒。態勢を変えるのも、動くのも辛い。でも動いた方がお産は進む、って言われて、泣き叫びながら少しでも少しでも、と姿勢を変えて陣痛に耐える。

「食べて!草だんご!」
産院から15時頃におやつが出されて、助産師さんが、「お産には2000kcal消費すると言われているから食べて!」と言った。
その時は、いきみ逃しで四つん這いの姿勢で陣痛に耐えていて、汗だくで意識朦朧。
そこへ差し出された草だんご。口元に寄せられたそれを正直食べる気力は無い。。荒くなる呼吸の中、決死の思いで口に含む。
陣痛、痛い、耐えて、いきみを逃して、そして2つ目の草だんごがまた口に放り込まれる。
そして直ぐに陣痛、咀嚼するのも辛い、吐き戻しそうになる、でも耐えて食べる。

…頭の片隅に、四つん這いで陣痛に耐えながら草だんごを食べている自分の絵面を客観視して、こんな経験二度と無いな…て思う自分が居た。

この時私に付き添ってくれていたのは、助産師見習い(助産師学院の実習生)さんと、ベテラン助産師さん。草だんごを放り込んできたのはもちろんベテランさん、「食べて食べて!動いて動いて!お産進むよ!」


私はこうゆう人、嫌いじゃない😂。地元ならではのローカル感、個人病院だからこその人情味溢れる感じ、出産後の今、この時の出来事を思い出しても叱咤激励する助産師さんの逞しさ、存在の有り難さを感じてならない😌。


子宮口全開!朦朧としながら夫を呼び出し分娩室へ

18時頃、ついに子宮口が10cm、全開に。分娩室の準備が出来て移動になった。夫は立会分娩を希望していたので、このタイミングで夫を呼び出す。陣痛で朦朧とする頭と震える指でLineを打つ。短く一言、「来て下さい」と。

そして助産師さんから分娩室への移動も、「(自分で)動いた方がお産は進むけど、車椅子も用意出来るよ」と尋ねられた。陣痛の痛みはこれまで生きてきた人生で経験した事のない最大級、汗だく、身震い、結んでいた髪ものたうち回ったせいでボサボサ。

身なりなんて構っていられない、何より、私が入院する産院はコロナ感染の拡大以降、未だに入院中の面会NG、立ち会い分娩の場合は朝9時から夜20時までの時間制限有りでなら立ち会い可能という条件。

直ぐに決断した、言葉を発する余裕なんてない、乱れてぐちゃぐちゃになった身なりは放置、枕元に散らばってる携帯、メガネ、マスクを手掴み、呼吸荒くベッドから這い出て部屋を出る。
助産師さん達もすっと誘導、支えてくれて、入院部屋がある3階から分娩室がある2階へ向かうため、一歩一歩何とか足を進めてエレベーターへ乗り込む。陣痛が来たら耐えて、エレベーターを出て、陣痛が来たら耐えて、そうやって何とか分娩室へ辿り着く。


本陣痛から約5時間、3650g超で産まれた我が子に涙

2023/10/14 sat 18:44 快晴 産院の夜


分娩室に入り分娩台に上がったところで、助産師さんから「次はもういきんで大丈夫。ここからはさっきまでのいきみ逃しとは別の呼吸法にするよ」と。

陣痛が来る度に、傍でいきみ方を教えてくれる助産師さんに従い必死に対応する。何もかもが痛い、「痛い」「割けそう」歯を食いしばって力んでいきんで、分娩室に入ってから暫くして夫が到着して入ってきた。
何時ものように私の頭を撫でようとする夫、いきんでる私にはそれが辛くて頭を振って抵抗。夫も何をすれば良いのかテンパったろうな…、助産師さんから私がいきむ時に介助をするよう指示されて辿々しく対応してた。

ここからはもう同じ事の繰り返し、途中、いきむために呼吸を止めてしまうため酸素アラートが度々鳴ってしまい、途中から酸素吸入器を付けていきむ。
状況から赤ちゃんは頭部吸引が選択され、夫は一時分娩室から出されて、私は必死にいきみ継続。

そして、分娩室へ入ってから18時44分、
体重3654g、身長52cmの立派に育った娘がとうとうやってきた。

産まれる直前に分娩室へ戻ってきた夫が傍にやってきて。
へその緒が切られた娘が泣き出す声が聞こえてきて、夫の手を強く握りしめた。

「ああ、良かった、良かった…」私の口から出てきた言葉はこれだけ、その時、握られた手を強く握り返され、夫の顔を見ると涙を流す夫の姿。夫婦2人で笑い合いながら涙を流した。

出産後も痛みと戦う。けど、我が子の泣き声が癒し。

痛みも疲れもこの子のためなら頑張れる

「出産は命がけ」と言うけれども、体験したからこそ実感した。母体も子供も十人十色、何の傷も負わずに出産出来たとすると、それはかなりラッキーだと言って良いと思います。

妊婦の6〜7割が行うと聞く会陰切開、私も漏れず左側会陰が裂傷し縫合となりました。
またこれはどの妊婦さんにおいても同じですが、子供を通すために広がった骨盤のガタツキ、子供を守るために大きくなった子宮が元のサイズに戻るために起こる痛みと悪露、汗を含む血液を大量に失う事で起こる貧血と体力消耗、「産まれたての子鹿」ごとくガタブルしながらヨボヨボにしか歩けない💦、出産を終えた身体が全治2ヶ月と表現される理由が実体験してよく分かった😅。

その日は痛み止めを飲んで就寝となり、でも身体はヘトヘトなのに眠れない。悪露の様子を定期的に確認しにきてくれるスタッフの方が「もし(眠れず)歩けそうなら新生児室に見に行きますか?」と声をかけてくれる。

日付が変わった頃、点滴台を転がしながら新生児室へ向かうと、部屋の前から大きな泣き声が。
近いお誕生日の赤ちゃん達が並ぶ中で、ちょうど泣いていたのはうちの娘だった。

大きな声量で泣く娘、妊娠前なら、どう思ったろう。泣いていてかわいそう?うるさい?
全くそんな風には感じず、愛おしい、可愛い、元気、っていう気持ちで胸がいっぱいになり、身体はボロボロだけど、娘の泣き声は私の元気玉になった😌。

備忘録◎臍帯血の採取と出産までに行ってた運動やマッサージについて

  • 臍帯血の採取(胎盤排出) →私は臍帯血保管をお願いしていたので、分娩中にその処置が行われました。これも正直辛くて…。いきみ中に血液採取をされるのだけど、いきんでしまうと採血出来ないため「いきむの我慢して!」って言われた時は…😭でも、それ以上に得られるものが大きいので必死に我慢しましたけども😅ちなみに、胎盤が剥がれるのも痛いと聞いていたけど、私は臍帯血保管があったため?か、胎盤が取り出された実感はなく(縫合やら疲れやらで痛みもよく分からなかったせいもあるが💦)終わりました…。

  • 会陰マッサージ →臨月に入ってからでは遅かったのか、念入りにマッサージしたのですが、ベビが大きかった事もあり左側会陰が裂傷しました😢

  • 1日10000歩 →これは結果的にやっていて良かったと思います。出産予定日は過ぎたものの、自宅に居る間に子宮口が3cm開いていたから、産院での陣痛時間が少なく済んだのかなと。

  • 乳房マッサージ →出産にどう影響があったのかという部分だけでいうと、私の場合は陣痛誘発には至りませんでした😅。(※乳房マッサージは陣痛誘発に影響があるので臨月以降に産院から対応指示が入りました。)ただ、産後2日目には母乳が出たので、やるやらないでは絶対にやっていて損はないと思います🤰!




これを記録している今は産後一週間経ち、ベビちゃんは生後8日を迎えました😊
産後直ぐに始まる育児、マタニティブルー、傷付いた身体の回復状況などはまた別の機会に記録したいと思いますが、私の出産記録はこれで以上となります。

35歳でやっと妊娠して、出産を終えて、そして母親になって…。この2023年は私にとってとてもかけがえのない年となりました。
妊娠すること自体が私には尊く、だからこそ出産を終えた今は妊娠していた頃が遠い昔のようで、終わってしまったマタニティライフへの寂しさ、愛おしさを強く感じてなりません。
もちろん、それを経たからこそ、私の傍に娘が居て、それがとてもとても幸せに感じます。

この日、この瞬間まで感じていた事、思っていた事、葛藤した過去があるからこそ、今ある幸せが尊く大切になる。
この気持ち、思いは絶対に忘れたくない。忘れない。

最後に。「この痛みは一生に1回だけの宝物」

2023/10/14 産まれてきてくれてありがとう

陣痛の合間、助産師さんに言われたこの言葉。

「この陣痛の痛みはこの1回しかない一生の宝物だからね」

私は娘を授かるまで時間がかかったため、この先二人目を、とまでは具体的に考えてませんが、この助産師さんの言葉は胸に響きました。
今回が最後かもしれないし、また次もあるかもしれない。けれども同じ出産は二度とないってこと。

陣痛で頭が朦朧として、心も折れそうな中で掛けられたこの言葉。「頑張らなきゃ」って、シンプルにそう感じて、自分を奮い立たせて最後まで突っ走ることが出来ました。

初めての出産はもう二度と経験したくない、って思う程辛かったのに、それでも良い経験として想い出に刻まれたのはこの言葉のおかげです😌。

これまで起こった事や人との出会い、良いことも、悪いことも、ここまでの全てのご縁に、このかけがえのない命を授かったことに感謝です😌。




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