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【十字軍の城★放浪記】サラディン城/エジプト/ファラオーン島

قلعة صلاح الدين

エジプトとイスラエル国境沿いの町、シナイ半島のタバから船ですぐのところにある、小さなファラオーン島を丸ごと要塞化した海の城砦です。

「サラディン城」と通称で呼ばれる城はいくつかありますが、ここはそのひとつ。シナイ半島の付け根にあることからもわかる通り、12世紀、シャーム※とエジプトのカイロを軍隊が陸路で行き来する時、シナイ半島を越える中継地点となった城だと思われます。

(※歴史的シリア。トルコとエジプトの間の広大な領地を指す言葉。現在のイスラエルとヨルダンの一部も含む。現シリアと区別するために、以降はシャームと呼びます)

十字軍の城砦の多くは、もともと中東にあった城砦(その多くはフェニキア・ローマ時代まで歴史が遡る)を制圧した勢力が、時代ごとに建て増していくケースが多いので、いろんな時代の建築が合わさったキメラ状態となりがちです。でも、ここはおそらくサラディンが建設し、アイユーブ朝期にしか使われていなかったようで、後世の建て増しなどがなく、アイユーブ朝期の城砦建築の特徴がよくわかる形で残っている貴重な城砦です。

また、この城は立地上、行軍の兵士が休憩することを想定していたと思われるので、バラック(兵舎)やハンマーム(風呂)、かまどなど生活空間の跡が豊富に残されています。

逆に言えば、この城をめぐっての攻城戦などはあまり考えられない立地なので、防御機能はそれほど持っていません。

これはバラック(兵舎)の跡。
3畳ずつぐらいに小分けされたスペースがズラリと並んでいます。遠征軍の兵士たちが何人かに分かれて寝泊まりしたのでしょう。部屋割りでモメたりしたかも?と想像すると楽しい。
これは、軍事用伝書鳩の塔。ダマスカスとカイロを結ぶ伝書鳩の中継地点だったと思われます。足に手紙を巻きつけた鳩が、この小窓に戻ってきます。
城砦の一角に、防御機能も備えたモスクがあります。ぽこっと出てる丸いのは、メッカの方角を指すミフラーブです。ミフラーブを外側から見ることは少ないので貴重な姿です。
近くにあるホテルにあった壁画です。
おそらくサラディン(左)とリチャード獅子心王(右)でしょう。ここはエジプトとイスラエルの国境の町なので、サラディンは花を、リチャードは書簡を持ち、「和平」を表すメッセージがこめられているようです。

場所はこのあたり。
現在では、エジプト(シナイ半島)とイスラエル、ヨルダン、サウジアラビアの国境が接するところです。

ダマスカス~カイロは約770キロメートルで、早馬のバリード(駅逓)を乗り換えれば3~4日の行程です。
行軍だと1日に移動できる距離はぐぐっと遅くなりますので、何の邪魔もなく、比較的急いだ場合で、2週間程度だと推測されます。

通常ルートであれば、ダマスカスを出た軍隊がカイロに向かうには、ダマスカスから西南方に下り、ティベリアス湖(ガリラヤ湖)の東を通ってヨルダン川を西に渡り、ジェニン、ラムラ、ガザなど沿岸都市を通って、シナイ半島の北の道を進むことができます。

ところが12世紀には、十字軍がエルサレムと沿岸都市を押さえていたので、その場合はこのルートを避けて、ダマスカスからティベリアス湖の東をそのまま南下し、内陸のカラク(現ヨルダン)を経由して、シナイの中央を横断する砂漠の道を進みます。おそらくこのルートの場合に、ファラオーン島のこの城砦が中継地点として必要になったのではないかと思います。
(ちなみにカラクは十字軍の無法者ルノー・ド・シャティヨンが押さえていましたから、イスラーム側はルノーと安全協定を結び、この領地をイスラーム側の人間が通る場合は、安全を保障してもらっていました。ところが、ルノーはたびたびこの協定を破ったので、後にサラディンが激怒してエルサレム奪還の直接の契機となります)

あと、これは想像ですが、カイロからメッカ巡礼に行く場合も、おそらくシナイ半島の砂漠の道を通ったと思われますので、もしかしたらこの城砦が巡礼を保護したかもしれませんね。

2000年当時、エジプトでは、国が管理している文化財や図書館などの施設を利用する時は、外国人はパスポートを預けなければなりませんでした。私はパスポートを身から離すのが嫌だったので、コピーを持ち歩いていて、たいていはそれでもOKだったのですが、この島だけは絶対に「生パスポート」を預けるように言われました。考えてみれば、この島を拠点にして、隣国へ無断で渡ろうと思えばできなくはないので、密航を防止する意図があったのでしょうね。

ここは観光ルートではないので、ヒッチハイクで行くしか方法はありません。シナイ半島では、現地の人もヒッチハイクを利用するので、乗せる車の方も心得ていて、道路で待っている人がいると、「どこへ行くんだ?」と声をかけてくれます。ただし、外国人を乗せている車は検問で引っかかるので「検問所のとこだけ降りて歩いてくれ。向こうでまた拾ってあげるから」って言われることがよくありました。

この海は紅海です。(アラビア語でも「赤の海」と呼ばれます。それに対して地中海は「白の海」)。ここから南下すると、世界でも有数のダイビングスポットやリゾート地であるダハブやシャルム・アル・シェイクがあります。一時はイスラエルが占領していたので、今でもイスラエル人御用達の保養地というイメージもあります。とても美しい海です。


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