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帰る場所があるという幸せ

私はよく自分のことをヤドカリのようだと思う。

日本や世界を津々浦々、転々と居住地域を数年ごとに変え、なかなか定住をしない。

私の戸籍謄本は、新住所となるたびに、前の住所が二重線で消されていく。

とても、長い長い戸籍謄本を取り寄せるたびに、私は、ヤドカリだなと思う。

私の帰る場所はどこだろう?

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新しい土地へ向かう時の私の気持ちは、いつも、ワクワクドキドキが半分半分である。新しい土地での新たなる出会いに期待し、その土地での自分自身の成長が、いつも楽しみである。

しかし、少しその土地に慣れてくると、ふと、我に戻る瞬間がある。

私が本来帰るべき場所ってどこなんだろう?

・・・と。

私は中学生の時に親元を離れた。そして、大学進学を機に地元を離れ、それ以降、至る所を転々と渡り歩いてきた。だからこそ、そんな私にとって、各地を転々とすることには、なんら抵抗はない。

なのに、どの土地に行っても、私は自分の「帰る場所」というものを求めてしまっているような瞬間を感じる。

ヤドカリのような人生

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たった数年という短い滞在期間の中で、私は至るところの地域の住民となり、その地域の方々に支えられながら生活してきた。

その中には、私に心のよりどころとしての「帰る場所」を提供してくれた人は、たくさんいる。それは、私にとって、誇らしいことであり、私の生きた証とも思える。

今、私が過去に住んでいた場所を訪れると、まるで、実家を訪れるかのように、必ず当時のように私を受け入れてくれる方々が存在している。

その時ばかりは、過去の記憶が昨日までのことであったかのように感じるほど、自然と話が盛り上がる。

それは、それは、幸せなひとときある。

たとえ、ヤドカリのような人生でも
たとえ、14歳で親元を離れた過去があったとしても

私には、訪れた先々に「帰る場所」があるという、お金では買えない、幸せがあるのだ。

帰る場所がある幸せ

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人間にとって「帰る場所」があるということは、心のセーフティーネットとしての役割があると感じる。

私たちの人生には、辛い時、しんどい時、何かに失敗して落ち込む時が、何度も何度も訪れるであろう。

それを、静かに見守り「おかえり」と言ってくれる存在がいることは、どれだけ心がホッとし、幸せと言えるのか、私は身を以て感じている。

訪れる先々で、今後も私は様々な肩書きを得て、能力を高め、少しずつ成長していく。そんな成長していく私を、昔と何も変わらず、接してくれる存在は、私の心の支えであることは間違いない。

そう断言できるのは、いつ、また訪れるかも分からない、何者でもない「わたし」というヤドカリのような存在を、彼らが無償の愛で受け入れてくれると心から感じるからなのであろう。

今後も私が日本中・世界中、津々浦々、ヤドカリのような人生を歩んでいくとしても、その帰る場所を構えてくれている方々への感謝を忘れず、これからも、人間として一回りも二回りも成長した私自身を見せられるように、努力していきたいと思っている。

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