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私がこれまでやって良かったと思っていること

私がこれまでやってよかったこと

私がこれまでやって良かったと思っていることは「ボランティア」である。

初めて自ら「ボランティア」をやってみたのは、中学生の頃で、市町村で行われていたマラソン大会の「給水係」をやってみた。

なんか、特別感があって楽しいなーという思い出は残っている。

その次に行ったのは高校生の頃の老人ホーム訪問のボランティア。老人ホームの利用者のみなさんと、障子の張り替えをやった覚えが・・・。

ここまでは、本当に学校で募集していたものに対して、なんとなくの感覚で申し込みをしてやってみただけだった。

大学でバーンアウトをした時期

大学に入学するや否や、自由な時間が一気に増えて、5月は多少バーンアウト気味だった。

それまでは受験勉強などで一生懸命だったのに、大学に入学したら、急に熱中できるものがなくなってしまった。

ただ、授業は楽しくて一生懸命取り組んでいたのだけれど、それ以上に時間はたくさんありすぎて、他に何しようかな・・と悩んでいた。

サークルにも入ってみたものの、お金がないとサークル活動は難しいということがわかり、あっという間に退部した。

このままバーンアウトをし続けててもよくないなと思い、お金を稼ごうと思って、バイトをすることにした。

バイトと言っても時給630円のコンビニバイトだった。

ただ、18歳の当時の私にとっては、バイトで仕事を覚えるのも、楽しかったし、自分で頑張ってお金を稼げるようになるのも楽しかったから、コンビニバイトは総合的に良かった。

学習支援ボランティアと出会って

大学1年の終わりに差し掛かっている時、「とりあえず」で取っていた教職の授業に知らない先輩がやってきて、中学校で学習支援のボランティアに興味がある人はいませんか?と宣伝していったのだ。

ボランティアならお金もかからないし、近くの中学校だし、なんとなくで取ってた教職も、もしかしたら、本当に教員になるかもしれないから、挑戦してもいいかな?と思って、そのサークルに参加してみた。

それが、私の人生を変えていった。

サークルのメインの活動は、近くの中学校へ行って、放課後の学習支援教室を開講したり、理科の授業の実験補助に入ったり、文化祭の時にブースを開かせてもらったり・・と色々なことをさせてもらえた。

いつでも授業に入っていいよと言われていたので、事前に連絡を入れると、好きな時に好きなように授業参観をして、必要があれば、中学生の補助にも入ることができた。

私はメンバーの中でも比較的熱心な方だったので、私の手帳は1週間に1回は学校に行く予定が書いてある日もあった。

今思うと、あの経験は私の教師としての素地を養ってくれていたと思う。

人生を変えた自然の家でのボランティア

学習支援ボランティアのミーティングに参加していた時、先輩からとある自然の家のボランティアについての案内をされた。

「英語のキャンプ6泊7日」というものだった。

なんだか面白そうだなぁと思ったのと、先輩は私が英語が得意なのを知っていたので、私に行かない?と声をかけてくれた。

もちろん私の返事は「はい」一択だった。

その時は何気なく参加したキャンプだったけれども、このキャンプは私の人生を大きく変え、私が今、UCLの教育学研究所で博士課程に進学しているルーツとなっていると思う。

このキャンプは、ALTと子供達が英語のみで宿泊体験をするものだった。政府の支援事業ということもあり、多くの方が参観に来られていた。

私の役割はキャンプリーダーという役割で、子供達のお世話、ALTと、職員との連携みたいな感じだった。

キャンプリーダーは複数人いて、みんな大学生。

夜、子供達が寝静まったあと、キャンプリーダーと職員さんとで、夜の反省会をする。これがまた、楽しかった。

さらに、このボランティアは謝金が出た。時給630円のコンビニバイトでは稼ぐことのできない金額を、「短期間で」一気に稼ぐことができた。

毎食美味しいご飯も出るし、冬だったので、スノーシューハイクをしたり、気球に乗ったり、大きなお風呂に入れたり、温かい部屋でぐっすり寝れたり、こんなに楽しくて快適な生活が送れて、お金が出るなんて、なんていい場所だ!と思ったのが、最初の印象だった。

青年の家のボランティアに明け暮れる

キャンプが終わりに近づいた頃、ある職員さんに、「来月も別のキャンプがあるけどくるか?」と声をかけられた。

もちろん、私の返事は「はい」だった。

次のボランティアは森林に入って、植林をしたり、木の伐採をしたりと、これまた楽しくて楽しくて・・。今でもいい思い出だ。

そこからというもの、次から次へとボランティアの案件は舞い降りてきた。

夏になると、子供達と100km近く自転車を漕いで、キャンプをしながら北海道を巡った。100kmも自転車を漕いでいると、お尻が痛くなってきて、子供達とお尻がいたいー!と言いながら自転車を漕いだのもいい思い出だ。

最後のゴールは感動のフィナーレすぎて、号泣した。

あまりにもボランティアに参加しすぎて、北海道にある自然の家という自然の家は、ある程度制覇したのではないかとも思っている(1、2箇所は行ってないかも)

私は子どもたちと一緒に、電車で、いろんな自然の家を巡って、体験活動をして、子どもたちと一緒に成長していった。

当時は、やりたいことを、いっぱいさせてもらった日々だったなぁと、心から感謝している。

東日本大震災のボランティアに参加して

私のボランティア活動は、どんどん広がりを見せていった。
私は東北出身なので、東日本大震災は衝撃が大きく、あのニュースを見たとき、必ずボランティアに参加しようって思っていた。

そしたら大学の生協で、ボランティア参加者募集のチラシを見つけた。

もちろん自費だったが、そんなの構わなかった。何かできることがあればと思って参加した。

そのボランティアは、日本各地の大学生が参加しているもので、毎晩ボランティア活動から帰ってくると、大学生同士情報交換と、話し合いがあった。

それは私にとって本当に新鮮な経験だった。

微力ながら震災のボランティアとして参加して何かお手伝いをしたいと思って参加したのだけれども、このボランティアを通して、私が学ぶことはたくさんあった。

スリランカの孤児院に直撃訪問をしてボランティアをしてみて

実は私は大学4年生の前期が終わるタイミングでスリランカの大学に留学するという不思議なタイミングで、意外な国のチョイスでの留学を果たした。

それはそれは、とっても貴重な経験だったと思っている。

さらに、留学中はスリランカのマザーテレサの家に直撃訪問をしてボランティアをした経験をしてみた。

これこそ、あのタイミングでしかできない、貴重な経験だったと思っている。

私が訪問したマザーテレサの家は、高い塀に囲まれていて、普通に歩道を歩いているだけでは見つけられない場所にあった。

たまたまバスに乗っていて、マザーテレサの絵が見えたから、もしかしたらここは・・・?と思って、塀をノックしてみた。

そしたらシスターが出てきた。

「ボランティアがしたいです」と伝えたら、いいよと言われ、障害を持っている子供達の部屋に連れていかれた。

その子供たちの障害は、重度な障害ばかりで、とても過酷な環境だった。

私は何をやっても良いと言われていたので、とりあえず、英語の数を数える歌を教えてみたりした。

子供たちはとても喜んでいたのを覚えている。

けれど、あの場所へは3ヶ月通って、終わりにすることにした。私の中でボランティアの限界を感じる経験でもあった気がする。

ボランティアを通して

私の大学生活はボランティアに明け暮れる日々だった。
大学に通っているのか?ボランティアの人なのか?そんな状態だったと思う。

今回の記事では、大きなボランティアだけをピックアップして紹介したが、実はその他に、数えられないほどのボランティアに取り組んでいた。

なんでここまで私がボランティアを好んでいたのか?というと、たぶん「出会い」が楽しかったんだと思う。

もちろん社会貢献したいという思いや、ボランティアで得られる経験をしてみたいという思いは基本的には持っていたけれども、ボランティアを行えば行うほど、新しい人に出会い、そこでいろんな話を聞いて、面白いなぁ、私もそんな人生歩んでみたいなぁ、とたくさん考えを深めることができた。

普段の大学という環境だけでは出会うことができない人にたくさん出会って、年齢を超えた繋がりをたくさん作ることができて、とても楽しかった。

大学院に進学してからは、外国の人に日本語を教えるボランティアや通訳ボランティア程度には参加していたものの、学部生の頃ほどアクティブには行えなくなってしまった。

もちろん就職した後や、イギリスに来てからもあまり行えていないし、そういったまとまった時間の確保も難しくなってしまった。

だから、大学生の頃は、私にとって「ボランティア」というライフステージだったのかもしれないなぁと思っている。

そしてボランティアと出会って、たくさんのことを学び、今につながっていると思うと、ボランティアはこれまでの人生の中で取り組んでよかったことの一つだと心の底か感じている。


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