見出し画像

母娘

上の娘が今年の四月で年長さんになった。
(このコロナ禍のため、六月から年長クラス始まったけど)

オムツがとれない
寝かしつけが大変

そんな悩みを抱えていたのがつい最近だと思っていたのに、いつの間にか勝手に解決していた。
そして最近の娘と接していると、物の言い方や考え方、人間関係、と、一人の人間としての在り方に関わってくる問題に直面してきたなぁと感じる。
更にそこには、親との、特に母親である私との普段の関係性が強く関わってくるのだなぁと痛感している。
これはとても責任重大なことだ。


娘との関係性に考えを巡らせていると、どうしても過去の自分と母親との関係を思い出させられる。
以前にも書いたように、私は母を出産前に亡くしている。
ほぼ母子家庭で育った一人っ子なので、絵に描いたような親離れ子離れの出来ない母娘だった。
母は私のすべてだった。
大好きだった。


けれども…亡くして10年経った今認めざるを得ない。
亡くなったことで美談にしてしまっている面もある、と。


母の存在が恐怖であり、重圧でもあり、逃れたいと願っていた子どもの時の自分が急に目の前に現れる。
娘に姿を変えて、訴えられているような感覚に陥る時がある。
今まではこの幻覚幻聴にひたすら抵抗してきた。この恩知らずめ!と自分を責めてきた。目を背けてきた。思考を強制的にストップさせていた。


だが、10年という節目を迎えたからなのか、娘が年頃になってきたからなのか、この押し問答は頻繁に繰り返されるようになってきたし、急に現れる子どもの頃の自分を「そうだったよね」と認めてあげないと、前進出来ないのだなと思うようになった。
これはとても辛い作業だ。
大好きな亡き母との思い出は、すべて美談として心にしまっておきたいものなのに。


ただ、母を責めるとかいう話ではない。
自分が母親となった今思うと、唯一無二の存在、最強だと思っていた母も一人の人間だったのだな、迷いや弱さがあったのだな、と思う。
今母と話せるとしたら、そこを一番話し合いたい、聞いてみたい。

母も過去の自分も、そして今の自分もありのままを認めてあげて、子どもの頃に感じた重圧や生き辛さを少しでも軽減させてあげられる子育てを我が子達にしたい。
そう思いつつも今のところは歴史は繰り返されてしまっているようで、私は娘に過干渉の依存状態…なので、これからもリハビリを頑張りたいと思う💦

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?