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感情が動かない

社会人歴が長い人ほど実は感情が動かなくなる傾向が高いですが
これは人として成熟したからではなく、感情を抑え込む方法を獲得したからです。
※どれだけ人が成熟しても、意識の進化を遂げても、成長し続ける限り喜怒哀楽はあります。

が、感情が動かなくなるとその人たちは自分は成熟したと思い、自分のことを「穏やかな性格」「穏やかな人生を送ってる」と表現しますが
その人たちの話を注意深く聞いていると、実は怒りの沸点がとても低のが印象的。

私の経験上の話ですが、どれだけ感情を抑え込んでも怒りだけはそう簡単に抑え込めません。
その理由は怒りの対極に愛があるからだ、と私は考えています。

怒りとは生きていくためには必要不可欠な感情であり起爆剤。
そして、その怒りは自分が愛を向ける対象にのみ感じる。
なので愛の対義語は無関心と表現されますが、それは自分の中にある怒りを抑え込んだ結果を表すものだと思うのです。
そして人はどんな状態であろうとも、愛から離れては生きられないから怒りを抑え込むことは相当難易度が高い。

ですので、完全に自分の愛を閉じた人は怒りも感じなくなり、ある意味「無」になり、人生は停滞するので感情を動かすタイミングも起こらず
その結果「穏やか」と言う表現になるわけです。

こうなると何が好きで、何が嫌いで、何が楽しくで、何が楽しくなくて、なぜ今の仕事をしているのか?それが分からない。
自分の事が何も分からないから、淡々と毎日を過ごす。
でも、心の奥底ではこのままではよくない事も分かってる。
だから、穏やかな割に苦しい。

過去のHARUMIさんもその一人でした。

私がHARUMIさんと出会った頃、彼女の印象は冷静沈着。
でも彼女の奥の奥に隠れている強烈な怒りと悲しみを感じる。
でもその怒りの前に門番のようにHARUMIさんが立ちはだかり泣きながら「これは封印しましたから!」と私に言っているようで、実は自分自身に言い聞かせている、そんな感覚がありました。
でも、その怒りの封印を解除したら、門番の彼女にとって一番困る事(魂の願いを叶えたくなる)が起こるんだろう、と。

*      *

怒りのエネルギーは強烈なため、自分の中にある怒りを再体験したり感じるのは誰でも抵抗があります。
それでも、普段から色んなことに対して「怒る」事が出来る人は慣れているため、再体験しやすいのですが
自らの意思で怒りを封印した(つもりの)人が怒りを再体験するのは本当に難易度が高いです。
そもそも「私は実は怒っている」「腹を立てている」という事実を受け入れる事からスタートなのと
怒るという事に慣れていないので、その怒りの扱い方も分からないし
封印する事に慣れているので、その封印を解除したままにする事自体が難しくなるのです。
ですので、

「どんな感情が出てきても受けとめます」
と宣言しました。その直後(嘘みたいな本当の話ですが)、ポンッと栓が抜ける感覚がして、「罵詈雑言」が嵐の如く口から出てきました。

https://note.com/3186st/n/n3e8351317a43

となったのは、よほど「マズイ」と思ったんだな、と思います。

*     *

愛の対極にあるのは怒り。
怒りを表現できる人は愛も表現できるし
怒りが深いという事は、その人の愛情も深いという事。

だからこそ自分が何に怒っていて、何に怒りを感じるのかを知ることは自分の愛の性質を知ることでもあります。
そして怒りの存在を認めて表現するという事は、自分の愛の存在も認め、表現するという事。
でも、怒りと愛を封印しているという事は、自分の愛に気づいて、愛に基づいて行動すると傷つくというトラウマも抱えているという事。

その場合は怒りを解放しつつ、愛に基づき行動してできたトラウマにも向き合う事が必要です。

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