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「作品の醍醐味」「作家の醍醐味」。

「作品」の醍醐味と「作家」の醍醐味は違う。

子どもの楽しみと親の楽しみくらい、種類が違う。

今日はそんな話をします。


作品の醍醐味は、作品の起伏とか起承転結とか世界観とかを感じたりすること。
これは、受け手側も同じ。

作り手にとっての作品の醍醐味は、作った後に他人に読んでもらって感想を聞くとか、評価をもらうとか、次のアイデアを練るとか。

それに対して、作家の醍醐味は、自分をどう描くか。
どう人生を作るか、書くかだと思う。
自分と周りをどうやってワクワクさせていこう?みたいな視点。

わたしは、作ってる時のワクワクを感じたくて、
ワクワクを共有したくて描いてるところある。

作った後「これ最高の出来では……」と感じるのも好きだし、
「これ誰が作ったの?天才?」って、思う時もある。(正直な話)

だから、作品を作るのも好きだし、作家としての軸も大事にしている。

それはそれとして。

作家じゃなくても、作品は作れる。
世の中いろんな職業の人が、本やグッズやラップを作っている。

そして、作品を作ってなくても、作家になれる。
「わたしは作家です!」と言った時点であなたは作家である。

もちろん、作家を「お金を稼いだり名誉を得るための職業にしたい」というゴールに据えるのであれば、結構厳しい道のりが待っている。
富士山山頂くらいまでは登れる技術と体力がいる。

でも、別に近所の山にハイキング行くのが趣味でも、良いのだ。

なんか、みんな少しレベルが上がるとランキングとか評価とかコンテストとかコンペとか、すぐに参加したがるけどさ。

今の時代は、SNSでたくさん回し読みされた作品でも商業デビューとか出来ちゃう時代だし、
「ハイキング好きにたまらん山30選に挑戦した!」とかでYouTubeあげても別に構わんのだ。

他者に胸張って言いたい気持ちはわからんでもない。
わたしもキラキラした目でそういう人見ちゃうけどさ。

好きな気持ちを大事に大事に育てて、素敵な作品が出来上がる方に、わたしは進みたいから。
そこに、第三者の目を考えるのは、必要最低限で構わないのではなかろうか。という持論がある。

なんとなく違和感がある方には、行かない選択もあると思う。

わたしの感覚としては、

作品も作りたい、作家でもありたい、
でもコンテストとかは嫌だ、たくさんの人には読まれたい。
1番は楽しく描きたい。
お金も欲しいし、美味しいご飯食べたい。
売れたら良いな、とは思うけど、作品が読まれたり、手にとって喜んでもらえることの方が大事。

というものである。

こう思ってたわたしにはSNSがピッタリで。
今の時代に生まれて本当に良かったな、って心から思う。

作家としてコラボとかした時に、音楽性の違いで道を分つ人もいました。
進みたい方向性の違いで連絡とらなくなった人もいました。
逆にめっちゃついてくるの、ちょっとゾッとして距離感とった人もいました。

そんな感じで、10数年やってきて。

なんだかんだ、最初の分岐点に落ちつきました。

「どうしたいの?」
「さやえんどうは、絵本をどうしたいの?」

当時は、別にどうともせず、ありのままであって欲しい。わたしはそういう物を目指す。と思っていたのですが。

わたしが絵本を作る限り、何か世界が変わっていくのは、避け難いことで。

そんなジレンマと、モヤモヤを経て、「あー、こういうもんなのか。」と、やっと納得したというか、腑に落ちた気がします。

変わってほしくないものも、刻々と変わるし、
変わってほしいものも、良い変化と悪い変化があるし、
でもそう感じる心は主観的であって、
他の人にとっては別の意見を持ってるもの。

そんな、ふわふわで曖昧で、時の変化を感じることが出来るもの。

それが、作品なんだな、と。

そう思ったら、自分自身を書けるようになりました。
自分が作品だったら、線の集合体だったら、どういう書き方をするだろう。
どういうストーリーを書くだろう。
どういう結末にするだろう。

そうして得た知見を、作品づくりに活かす。

「線は、僕を描く」という作品をオススメしてもらったことがありますが、すごく良かった。。。

生活が作品づくりとか作家活動と密接につながっていて、そうして多感な思春期とか揺れ動く20代とか過ごしてきたから、「こういう感じでしょう」ってのが感覚として出来上がってる。

ま、それが整合性があるかとか、人を動かす作品になり得るか、みたいな軸としての話に繋がってくるのですが、それは別の機会に話せたらいいね。
そこまで成長するといいね。

そんな感じです。

読んでくださって、ありがとうございました!

それでは。

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