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水無月


旧暦6月を水無月っていうね。

そんな名前の和菓子があるのを知ったのはもう10年以上前のこと。8月の末に宇治の平等院にドライブしようということになって、何か美味しそうなお土産あるかなと思って検索していて、京都発祥でそんな名前の和菓子があるのを知った。

名前が風流、さすが京の都どすなあ、と思って、それを平等院の近辺で買えるお店があるかなと地図アプリで探してみると、宇治川を渡った対岸に良さそうな雰囲気のお店があった。

よく考えたら『水無月』なんだから旧暦の6月が一番出回る時期のはずだけど(起源は旧暦6月ついたちにあるとの説)、涼しげな見た目から夏の間は作られるのかも知れない。

実際、平等院に行った8月末でもそのお店で買うことができた。

白いういろうの上に甘く炊いた小豆を乗せて葛で固めて、三角形に切り分けてある。見た目から涼やかだ。暑気払いにぴったりだ。確かその時はイートインでは抹茶だんごを冷たい緑茶といただいて、水無月は自宅用のお土産にした。

自宅で食べたそれはもちろんおいしかった。見た目からだいたい想像できそうな味ではあるけれど、上品な甘さで2、3個は軽くいけそうだ。そんなに食べたら上品ではないが。

翌年の夏にまたその和菓子のことを思い出して、倉敷岡山近辺で買えるお店あるかなと探してみたのだけど、見つけることができなかった。

譲れない点は、地域の小さな個人商店であること。なぜだか大手メーカーでは味気無い気がしていた。

それ以来毎年は探さないし、毎年京都に行くわけでもないけれど、また水無月食べたいなあと毎年恋い焦がれる心持ちでいた。

そして今年も6月がきた。旧暦での6月、水無月はまだもう少し先だけど、6月の声を聞くと、やっぱり思い出す。

今年はたまたま毎日のように岡山市まで通院している。大都会ならあるかも知れないと、地図アプリで岡山駅周辺の和菓子店を調べてみたら、クチコミコメントには無いけれど、水無月らしき写真が投稿されているお店が、ちょうど駅前のデパートの裏手筋に示されていた。

よく晴れて気温の上がりそうな土曜日の午前、クリニックでの診察を終え、そのデパートの隣のビルの薬局で薬を処方してもらってから、繁華街の雑然とした道を抜けてそこまで歩くと、目的の建物が見えてきた。

店の前に立って広くはない店内を覗き込んでみたが、ショーケースにはそれらしいものは見えず、それでも一応店内に入ってみる。女性の先客がひとり、ちょうど会計を終えるところだった。

その間キョロキョロと見渡してみたけれど、水無月らしきものは見当たらない。

少し迷ってから、お店のスタッフさんに

あ、あの、水無月、ってあります?

と聞いてみた。

え、あの?

あ、すみません、水無月が欲しいんですけど。

ぼくは声が小さい。
クリニックのスタッフさんには優しい喋り方と言われるが、小さい声なんだろう。

2回目は聞こえたみたいだ。

水無月ですね。ちょっと聞いてきますね、と彼女は奥の調理場に行ってしまった。

この様子だと無いかもな、と半ば諦めていたら、すぐに戻ってきた彼女が、

今出来上がったところだそうです。いくつご入り用です?と聞いてきた。

あ、あるんですね、ふたつください、と希望を言うと、もう一度奥に行き、今度は小さなパックを持ってきた。

こちらです、と見せてくれたそれは小豆の乗ったまさしく水無月。

小躍りしたいくらい嬉しいのを抑えて、財布から代金を払う。五百円でお釣りがくる。

なかなか水無月を置いているお店がみつけられなくて。でもあって嬉しいです。

そうですね、どこの和菓子屋でも作っているということはないですね。うちもちょうど始めたところです。作るのに少し手間がかかるんです。ういろうを作って小豆を炊いて葛で固める、と工程がいくつもありますから。でもこの近くでは確か◯◯町の△△庵さんは作っておられると思いますよ。

え?同業者教えちゃうのか、と驚きながらも、へえ、そうなんですね、と今後の参考に覚えておくことにする。

10年越しの想いが叶って晴れ晴れした気持ちで電車に乗った。

家に帰って妻に袋の中身を見せると、あ、あったんや、よかったなあ、ブルーくん毎年水無月食べたいって言いよるもんな、と笑っている。

冷蔵庫で少しだけ冷やして、3時のおやつで早速食べた。

少しもっちりとしたういろうと、ほどよい甘さの小豆。

うん、やっぱりおいしいうれしいいいことあった。

もうそれだけで満足な初夏の一日だなあ。

食べきってしまうのが惜しくて、最後のひとくちも写真に撮った。失礼しました。

ちなみに『水無月』は梅雨まっただ中なのに水が無いと書き表すけれど、この『無』は『の』の意味、つまり水の月である、という説があるみたい。


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