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しかさん


子どもたちが小さいころ、ぼくの実家へは家族揃って車で帰省していた。

山陽自動車道、中国道、近畿自動車道、第二阪奈を経由して一般道に降り、そして奈良公園をかすめるようにして、そこかしこに鹿がいるのを楽しみつつ(動物好き)、天理インターチェンジから名阪国道に乗ってさらに東へと向かう。

ちょっと効率は悪いルートだけれど、奈良公園の鹿を見ることで途中のドライブ気分も少し味わう感覚で、帰りも同じ道を通ることが多かった。少し変化をつけるとしたら、奈良市内の経由をやめて西名阪道を通る。

子どももいるから何度も休憩をとる。

ちなみに名阪国道というのは、有料の東名阪(ひがしめいはん)自動車道と西名阪(にしめいはん)自動車道とに挟まれた国道25号の無料の片側2車線の高規格道路で、高速道路ではない(制限速度60km/h)ものの、どの車も高速並みにすっ飛ばしていて、覆面パトが大活躍している自動車専用道路だ。

愛知県の実家では2、3泊。

ある年の盆休み、ぼくの実家での滞在にものすごく疲れたことがあった。ぼく自身もぼく自身の実家ではあるのに疲れていた。

そんなどんよりした車内の空気、倉敷への帰り道、名阪国道の終点・天理近く、そうだ、気分転換にこのまま奈良で泊まってみるのはどう?という提案がぼくの方からか妻からかどちらともなく浮上した。ちょうど次の日までが会社の休みだった。

いいね、それしたい!と子らも賛成し、といっても当然宿を予約しているわけでもないので、天理インターチェンジで名阪国道を降りて、奈良市に向かって最初のローソンに飛び込んだ。

Loppiの前に立ち、当日空いていて家族4人が同室可能なホテルを探したら、あった。

今だったらスマートフォンを使う場面だけど、その頃はまだなかったのだ。

はっきりとは覚えていないけれど、正確にはエクストラベッドを含めたトリプルだったかもしれない。その場でホテルに電話をしてみて事情を説明すると、小さいお子さんなら4人大丈夫ですよ、と返事をもらったのだったかもしれない。たぶんそうだ。それでLoppiで予約を確定し、奈良の三条通りにあるそのホテルに向かった。

三条通りというのはJRの奈良駅前から近鉄奈良、興福寺、東大寺へと続く奈良の中心で最も賑わっている一角だ。

ホテルはJR寄りだ。いいロケーションだ。幸運だ。泊まることにして正解だと思った。

宿泊は当日の空きを埋めるためのプランみたいなもので、当然食事は朝食も含め付いていなかった。

チェックイン後、散策がてらどこか食べるところを探した。外はもう暗かった。

場所が場所だからホテルの周辺には食べるところは困らず、却って選ぶのにさんざん迷ったが、ぼくらはパスタを提供する店に入って、美味しい晩御飯になった。

ただ、ホテル館内は少し暗い雰囲気が漂っていた。そこそこ大きなホテルだったが、なんとなあく、じめっとしたような。あとで地図を見ると、近くに古墳があった。それかもしれない。そうでなくても歴史ある古い土地だから、まあそんな空気もあるのかもしれないな。興福寺も近いから平家による焼き討ちとかなんとかかんとか。

しかしそんなことは本文とは関係なく、とても疲れていたからよく眠れた。

翌日は、前日の雲の多い天気とはうって変わって真夏の太陽が照りつける好天になった。ホテルの契約している立体の有料駐車場に車を預けたままにして午前中だけ観光することにした。

朝食を、三条通りに面したチェーンのカフェだったと思うがそこで食べ、そのまま興福寺へと歩いた。

五重の塔を見たり阿修羅像を見たりした。小学校の修学旅行で来ているような気もしたが、その時は東大寺だけだったかもしれない。

そしてその東大寺へも行った。南大門前は人と鹿で賑わっていた。

鹿せんべいを買って鹿とたっぷり戯れてから大仏殿に向かう。

久しぶりに大仏を見た。何年ぶりか数えるのも億劫なくらいの年数だ。

大きい。

広い大仏殿の片隅でお守りやお土産を売っていた。家族で何か買おうか話していると、当時まだ小学校前だった息子が、これほしい、と指を差した。

指の先には鹿のパペットが、よくあるツリー型のフックがたくさんついて回転するラックにぶら下げられていた。極限まで造形をシンプルにした、鹿だ。赤いフェルトの蝶ネクタイがついていた。

普段あまりものを欲しがることの少ない息子が、いきなり前例のないようなものを要求してきたのでぼくらは多少面喰らったが、なんとなくかわいいパペットだったし、買うことにした。

買ったパペットは息子のリュックに入れた。

東大寺門前の飲食店はどこも混んでいたので、路線バスに乗ってJR奈良まで行こう、そこで駅前食堂でも探してお昼にしよう、という流れになった。

奈良公園すぐのバス停でそれほど待たずに到着したバスに乗ると、車内は意外と空いていた。

ぼくらは右側の席に座った。

窓側に座った息子が買ったばかりの鹿のパペットをリュックから取り出し、セロハンの袋からも出して左手にはめた。

そしてパペットを窓の外に向けて

『しかさん、外見るのはじめてなんよなあ』と話しかけていた。

キュンと胸が締め付けられる気がした。

自分の子がかわいいと思った。

駅前で見つけた小さな食堂で、具が載ったそうめんを食べた。

それから息子は小学校くらいまでは出掛けた先でぬいぐるみの類いを買うことが増えた。

キツネ、ライオン、牛、マンモス。

彼のひとつ上の従兄(ぼくの甥)がいっしょの時にも2人して買って楽しんだりしていた。

3つ上の娘はそういうものには強い興味を示さないのだが。

大学進学で県外に出たときにはそれらのぬいぐるみは持っていかなかったが、就職で上京し、帰省してきた時に3つほど連れて行ってしまった。寂しいのかもしれない。

今はベッドサイドにでも置いているのだろうか。たまには洗えと言ってやりたい。

先日、自宅の押し入れを整理しようとしたら、しかさんのパペットが残っていた。ここにあったんか。

妻にそれを言うと

「そうなんよ。捨てられんのよ」と笑っていた。

「捨てんでもいいよ、捨てたらあかんよ。おれが死ぬときには枕元で◯◯(息子)に手にはめて送ってもらわんと」

「何それ、なら早めに本人に伝えとかんと」

その鹿のパペットを自分の左手にはめてみる。ぼくが小柄だとはいえ大人の手には明らかに小さい。ぼくよりも背の高い息子にとってはなおさらだろう。

そうしている息子と、横にいる娘と妻とを想像してみる。どんなに痛みで苦しくても笑ってしまいそうだ。

娘には何をしてもらおう。

わりとほんとにアホな父親だと思う。


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