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ソニー・ロリンズ『ソニー・ロリンズとコンテンポラリー・リーダーズ』

ソニー・ロリンズはコンテンポラリーレーベルに2枚のアルバムを吹き込みます。

1枚目は1957年3月にレコーディングした『ウェイ・アウト・ウエスト』。演奏のかたちはピアノレス・トリオです。このフォームでライブと録音を進めます。

2枚目は1958年10月の『ソニー・ロリンズとコンテンポラリー・リーダーズ』。このアルバムにはギターのバーニー・ケッセルが入ります。ギタリストの初参加は1958年7月の『ソニー・ロリンズ・アンド・ビック・ブラス』ですが、『コンテンポラリー』はギターが音作りに不可欠な要素として位置付けられます。

このレコーディングの後、音楽活動をし1959年夏にロリンズは数年間引退します。復活後のアルバム『ザ・ブリッジ』ではピアノ奏者が無く、ギタリストのジム・ホールが参加しています。

コンテンポラリーに吹き込むとその後、ロリンズが転換する。素晴らしいアルバムの影にそんな兆しを感じる一枚です。

🔵アルバム情報

メンバーです。リーダーはソニー・ロリンズ。
・ソニー・ロリンズ(テナー・サックス)
・ハンプトン・ホーズ(ピアノ)
・バーニー・ケッセル(ギター)
・リロイ・ヴィネガー(ベース)
・シェリー・マン(ドラム)
・ビクター・フェルドマン(ヴァイブ)
レコード基準の収録曲
A面
・アイヴ・トールド・エヴリー・リトル・スター
・ロッカバイ・ユア・ベイビー
・ハウ・ハイ・ザ・ムーン
・ユー
B面
・アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー
・アローン・トゥゲザー
・イン・ザ・チャペル・イン・ザ・ムーンライト
・ザ・ソング・イズ・ユー

レーベルはコンテンポラリーレコード。録音スタジオはロスのコンテンポラリースタジオ。録音は1958年10月20日・21日・22日の3日間。プロデューサーはレスター・ケーニッヒ、レコーディングエンジニアはロイ・デュナンです。


🔵アルバムの制作について

アルバム『ソニー・ロリンズとコンテンポラリー・リーダーズ』の国内版レコードにライナーノーツがついています。そこにアルバム制作に至った経緯が記されています。なおノーツではベースのリロイをルロイと表記されていますが、本エッセイでリロイで統一しています。

『58年秋にソニー・ロリンズはウエスト・コーストへ赴いた。モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルへの出演が主な目的だったのだが、サンフランシスコとロスアンゼルスにも寄り、そこでこのレコーディングの話がまとまった。ベーシストのルロイ・ヴィネガーは、サンフランシスコでレギュラー・グループを率いており、ロリンズはまず彼とアルバムを作ろうと思ったのである(引用、ライナーノート、LAX3021)』

ソニー・ロリンズは西海岸のフェスに参加し、その流れでリロイ・ヴィネガーとのアルバム制作を思いたつ。1956年暮れにプレスティッジとの契約が終了し、以後特定のジャズレーベルと長期契約を結んでおらず、自由に録音できる身の軽さも幸いした。

🔵ライナーノーツから感じるところ

ライナーノーツを読んで知りたくなるのは、どのように話がまとまり、どうしてロリンズはヴィネガーとレコーディングしようと思い立ったのか。その経緯と動機です。
ネット時代にあってその話題を探しましたが、なかなか出てきません。検索するなかで副次的にモントレー・ジャズフェスとリロイ・ヴィネガーについて知ることがありました。

🔵モントレージャズフェスティバルとは

ライナーノーツにあるモンタレージャズフェスティバルは、いまではモントレーと呼ばれていますが、ニューポートジャズフェスティバル(アメリカ)、モントルージャズフェスティバル(スイス)と並ぶ世界の三大ジャズフェスティバルのひとつです。いまも続く有名なジャズフェスです。

ちなみにフェスをレコーディングしたアルバムにはマイルス・デイヴィス・アンド・セロニアス・モンク『マイルス・アンド・モンク・アット・ニューポート』、ビル・エヴァンス 『アット・モントルー・ジャズ・フェスティバル』があります。

ソニー・ロリンズが参加したモントレージャズフェスティバルは、今や歴史あるフェスですが、ロリンズ出演時の1958年は初回開催です。場所はアメリカのカリフォルニア州モントレーで、発起人はジミー・リヨンズ(ラジオDJ)です。

🔵記念すべき第1回ジャズフェスの様子

フェス初回がどのような様子なのかは公式プログラムがアーカイブ化され知ることができます。スタンフォード大学(アメリカ)が保存し公開しています。

デジタルブック化されています。表紙を開くと広告があります。最初の広告はギターメーカーフェンダーの全面掲出です。ジャズマスターモデルを宣伝しています。ちょうどジャズマスターは1958年にリリースしたモデルで当時絶賛販売中です。
ギターは詳しくないので軽い気持ちで「フェンダージャズマスター1958年モデルヴィンテージ」と検索すると驚愕金額が検索結果として表示されそうです。

紙面を読み進めると、いまも残る名前がジャズレコードレーベルの広告があります。6ページにコロンビアが出稿しています。

マイルス・デイヴィス『マイルストーンズ』と『マイルスアヘッド』を宣伝しています。値段は3.98ドル。当時の円とドルの為替レートは1ドルが360円の固定相場のため単純計算すると、3.98ドル×360円で1枚が1,432円(税抜)です。1958年の日本の大卒初任給が約13,000円くらいと聞いたことがあり、レコード1枚がおおよそ給与の約1割です。

直輸入されてそのままの売価で販売される訳ではないですが、相対的に考えても当時のレコードは高額品です。いまは音楽はこだわらなければほぼ無料で聞ける時代です。

過去と現在の持続と断絶に驚くばかりですが、公式プログラム読んでいると『マイルストーンズ』の売出し時点から後年、マイルスが『イン・ア・サイレント・ウェイ』などへ音楽性を変化させることも妄想すらできません。

🔵ソニー・ロリンズの出番は?

大きく脱線しました。公式プログラムのページを読み進めるとモンタレー・ジャズ・フェスティバルはフェスなので一定の日時の枠でミュージシャンがステージに登場します。
20ページにメインステージの様子が写真で見れます。現在のフェスとあまり変わりがない印象があります。ステージと客席は簡単な区切りのみ。

26ページの下部にロリンズの名前があります。
ロリンズの登場は1958年10月4日20時30分サタデーイブニング、土曜の夜の部です。MCはジミー・リヨンズ、同枠にはマックス・ローチ、ボブ・ブルクマイヤー、ジム・ホール、ジェリー・マリガン、アート・ファーマー、ディジー・ガレスピーらの巨人達の名前があります。なんとも豪華メンバーです。

同ページの上部には午後の部の記述があります。開始時刻は1時30分から。そこにリロイ・ヴィネガーが自らのカルテットを率いて登場します。同枠ではシェリー・マンも自らのバンドを率いて名を連ねます。

28ページには展示会場の地図もあります。38ページには発起人でロリンズのステージで司会を務めるジミー・リヨンズの姿も知ることができます。
ここ何十年にわたりジャズは大人のための音楽のようなイメージがついていますが、公式パンフレットを読むと楽器やレコード、ジャズクラブの日程そして車の宣伝があり、当時ジャズは若者の音楽だったとつくづく感じます。

🔵素朴な空想

公式パンフの紙面を読んでいて素朴に空想することがあります。
フェスに参加するためにロリンズはモンタレーに赴いた。同日のフェス会場には1年前に『ウェイ・アウト・ウエスト』を録音したシェリー・マンが午後の部で登場する。そこで彼と再会した。

シェリー・マンはロリンズにウエスト・コーストのジャズミュージシャン達を紹介していった。そのひとりにリロイ・ヴィネガーがいた。

この時、ロリンズはヴィネガーに『やぁ、君のことは知ってるよ。シェリー・マンとプレヴィンと録音した『マイ・フェア・レディ』とかハンプトンとゲッツのアルバムを聞いてるよ』と言ったのか。『午後のステージ、最高だったね。アルバムや生演奏で君を聞いたことが無かったけど素晴らしいかったね』と語りかけたのか。

事前に知っていたのか、事後で知ったのか、リハーサルや打ち上げが、どのタイミングかはわかりませんが、なんらかの交流はあったような気がします。

🔵リロイ・ヴィネガーについて

リロイ・ヴィネガーは1928年アメリカインディアナ州インディアナポリスに生まれます。50年代と60年代は西海岸で音楽活動します。
モンタレーの公式プログラムでも「ウエストコーストでもっとも優れたベーシストのひとり」と称されています。

1986年にはオレゴン州ポートランドに移住し音楽活動を続けます。1995年オレゴン州議会はリロイ・ヴィネガーの州の文化への貢献をたたえて5月1日をリロイ・ヴィネガーの日と制定しています。1999年に同地で亡くなります。

オレゴン州にはオレゴン百科事典があります。地域文化へ貢献した人物を記録しています。

そこにリロイ・ヴィネガーの名前もあります。彼を紹介するページには経歴とともにインタビューが引用されており興味深い回答を残しています。

箇所は中段あたりで『Vinnegar recorded〜』からはじまる段落です。ミュージシャンとしての哲学が述べられています。
『1994 interview〜』以降の発言です。
原文は『I didn’t talk back and did what I was told—I gave them what they wanted.』
引用先はhttps://www.oregonencyclopedia.org/articles/vinnegar_leroy_1928_1999_/です。
意訳してみると
『私は口ごたえせず、言われたことをやったまで。ミュージシャンが望む音楽を与えたんだよ』

この姿勢が、ベースという楽器自体、主役を張れる音色ではないですが、600枚以上のアルバムに参加した秘訣であり、名盤にヴィネガーの名を残す理由でしょう。思いつくまま取り上げても、シェリー・マン『マイ・フェア・レディ』、アート・ペッパー『リターン・オブ・アートペッパー』、ライオネル・ハンプトンとスタン・ゲッツ『ハンプ・アンド・ゲッツ』、ソニー・クリス『サタディ・モーニング』などなどがあります。

🔵聴後感について『ソニー・ロリンズとコンテンポラリー・リーダーズ』

そもそものロリンズのアルバムにもどります。

サウンドの設計はソニー・ロリンズが膨張感のある音色のテナーサックスでメロディを紡いでいきます。シェリー・マンはくっきりとした点を描くドラミングでリズムを刻みます。
リロイ・ヴィネガーはビートとヴィネガーを含むハンプトン・ホーズ、バーニー・ケッセルたちが縦横無尽にハーモニーを奏でます。

本アルバムはギターのバーニー・ケッセルが入ることでピアノとは違うハーモニーが展開されます。ケッセルはジャーンと音を響かせ柔和さをロリンズのメロディに与えます。ピアノが伴奏に入るとその音がギターに比べて、硬質に響きロリンズのメロディの流れを細切れにする感じがでます。

特に「アイヴ・ファウンド・ア・ニュー・ベイビー」を聴き比べるとわかります。ただし視聴環境によります
レコードではロリンズの演奏から曲が始まりホーズのピアノが抑え気味でケッセルの伴奏が良く聞こえる風でロリンズに寄り添いソフトに聞こえます。

CDには同曲のアウトテイクがボーナストラックで収録されています。オープニングは同じですが、伴奏のホーズのピアノが前面に出てきます。ロリンズを強く促す演奏になります。


また曲の演奏順序の自由度が高い
です。モダンジャズの一曲の流れはテーマからソロそしてテーマで終わります。演奏形態がクインテットの場合、テーマ合奏後、リーダーの楽器をサックスとすると、次にトランペット、ピアノ、ベース、ドラムあるいはドラムとのインタープレイとソロが進む。あるあるの約束事です。
この約束事からいくつかの収録曲は自由です。順序を組み替えた演奏は新鮮な気分を与えてくれます。

🔵おわりに

本アルバムは全曲を貫いて感じるのはコンテンポラリーレーベルの音質に仕上がりの良さ、ロリンズの音楽的アイディアの豊富さです。にもかかわらず『コンテンポラリー・リーダーズ』後、2回目の引退をします。なぜなのか。

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