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ソニー・ロリンズ『ムーヴィング・アウト』

『ムーヴィング・アウト』はとまどいがあふれるソニー・ロリンズのリーダーアルバムです。ロリンズだけではなく、聞き手も同じだと感じます。録音日とメンバーが異なるふたつのセッションをひとつのアルバムにしプレスティッジレコードより1954年にリリースされました。収録曲は5曲です。

1954年8月18日の録音はケニー・ドーハム(トランペット)、エルモ・ホープ(ピアノ)、パーシ・ヒース(ベース)、アート・ブレイキー (ドラム)のメンバー。収録曲の5曲のうち「ムーヴィング・アウト」、「スウィンギン・フォー・バンジー」、「シルク・ン・サテン」、「ソリッド」がロリンズの自作ナンバーでこの5人編成のクインテットが演奏する。

最後の1曲は同年10月25日にセロニアス・モンク(ピアノ)、トミー・ポーター(ベース)、アート・テイラー(ドラム)の4人編成のカルテットでスタンダードナンバーの「モア・ザン・ユー・ノウ」を演奏している。

ソニー・ロリンズには名盤『サキソフォン・コロッサス』があります。通称サキコロです。口ずさみやすく足先でリズムをとりたくなるアルバムです。

『サキコロ』を入口にして『ムーヴィング・アウト』、特に「ムーヴィング・アウト」、「スウィンギン・フォー・バンジー」を聞くと強く短く叩きつけるようなフレーズが気になります。サックスだけではなくトランペットも同じような演奏をします。ピアノも然りです。どうも演奏の呼吸や間合いに、聞くこちらが何か合わない。ベース音の録音が小さく飛び交うサックスとトランペットのフレーズを拡散させず吸収し安定を築けていないからかもしれない。

収録曲の後半の「シルク・ン・サテン」、「ソリッド」、「モア・ザン・ユー・ノウ」へと進むにつれてしっくりくる演奏になりますが、歌物が上手いロリンズ、即興演奏者としてのロリンズの像が重ならない。「モア・ザン・ユー・ノウ」もセロニアス・モンクの落ち着いたピアノが聴きどころだったりする。

録音とリリースの順序からすると『ムーヴィング・アウト』が先で『サキコロ』が後ですが、ジャズを聞く順序は名盤の上位からだと思います。アルバムのリリース順序を知っていてもどことなく消化不良があります。

時代に据え置いてみると1954年にマイルス・デイビスのセッションにソニー・ロリンズは加わります。6月29日録音のアルバム『バグス・グルーブ』です。『ムーヴィング・アウト』の2ヶ月前です。このアルバムにロリンズのオリジナル3曲が収録されます。「エアジン」、「オレオ」、「ドキシー」です。これらの曲は録音こそ少ないですが、ジャズのスタンダードナンバーと呼ばれます。録音の様子をマイルスはこう語ります。

その時やった他の曲は、全部ソニー・ロリンズのオリジナルだった。ソニーはすばらしく、才気にあふれていた。               マイルス・デイビス クインシー・トループ 中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝1』宝島社文庫

マイルスがロリンズを絶賛しています。ロリンズは作曲だけではなく演奏も冴えわたります。リラックスした流れるようなフレーズの数々で気持ちよくリズム隊も引っ張っていきます。マイルスと息がピッタリのハーモニーも聞きどころです。隠し味にベースのパーシー・ヒースは安定したビートの刻みます。マイルスはこのセッションを振り返ってこう語ります。

いいセッションだったし、オレの自信も日に日に大きくなって、スタジオ入りしたバンドは、とてつもなくすばらしいものになりそうだった。だが、定期的に仕事をするバンドとしてはやっていけないこともわかっていたから、少しばかり落ち込んでもいた。               マイルス・デイビス クインシー・トループ 中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝1』宝島社文庫

文脈はマイルスが今後の音楽活動の行く末を案じた語りですが、良いセッションだったからこその嘆きです。

『ムーヴィング・アウト』はこの2ヶ月後に録音される。よくあるのが兄弟のようなアルバムの出来となるのが定石だがそのサウンドには大きな違いがある。セッションメンバーの違いはあれど裏方は、ボブ・ワインストックがプロデューサー、ルディ・ヴァンゲルダーが録音担当と環境は同じ。

ソニー・ロリンズの1954年はオリジナルを7曲リリースし、マイルスには「すばらしい」と語らしめている。外側からみれば順風満帆で前途洋々だけれども。

この録音のあとにロリンズはニューヨークからシカゴに移住する。理由はネガティブな環境から自分を切り離すためでジャズシーンから姿を消します。その期間は守衛をやったりトラックの荷積みの仕事をしていた。もちろんサックスの練習はしていたようだ。約1年後にクリフォード ・ブラウン(トランペット)とマックス・ローチ(ドラム)のクインテットがシカゴに巡業演奏に来て助っ人で参加してジャズシーンに復帰する。

もしここでカンバックしなかったら伝説の人になっていたかもしれない。最後のリーダーアルバムが『ムーヴィング・アウト』になり、その後のソニー・ロリンズの名盤が生まれなかったかもしれない。

『ムーヴィング・アウト』はソニー・ロリンズ自身が演奏家、作曲者としての殻を破ろうとしているのか、その先はアレンジャーなのかトータルサウンドプロデューサーなのか、あるいは聞くこちら側がロリンズのリリースした音楽についていけないのか。とまどうところがあるアルバムだと思います。

ソニー・ロリンズ『ムーヴィング・アウト』プレスティッジ、1954年

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