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ベートーヴェン生誕250年



今年はベートーヴェン生誕250年。コンサートはもとより、対談や企画展が予定されていたと想像しますが、コロナ禍で中止や延期、縮小になっている。残念だと思う。50年待って生誕300年に期待するしかない。話題の人、ベートーヴェンとはどんな人だったんだろうか。

ベートーヴェンさんとは 

「ルートヴィヒ・フォン・ベートーヴェンは1770年にドイツのボンで生まれ、幼少の頃から父のきびしい音楽教育を受けて音楽の道一筋にはげんだ。25才の頃から耳の病気に苦しめられたが、力を落とすことなく精進を重ねた。1827年に亡くなる。代表曲は交響曲英雄、運命、田園、合唱。ピアノソナタ月光、悲愴、弦楽四重奏曲、など」(出典①)。

参考書を読んでみるとこうあり、中学、高校の音楽の授業でも同じことを聞いたことがある。確かそのまま音楽鑑賞にうつった記憶がある。曲は「運命」。
 ダダダダーン、ダダダダーン。
 冒頭のダダダダーンは有名な運命動機と呼ばれるフレーズですと先生の説明があり、ベートーヴェンは弟子のシンドラーに「運命が戸を叩く」と語った逸話、「苦しみを克服して歓喜へ」が表されているとも教えられる。

 誰の記憶にも「こんにちはベートーヴェン、さようなら」モデルが学習されていると思う。運命とはダダダダーン、耳の病気と共存した、そんな偉人だったんだねと、これ以上にベートーヴェンとかかわることが少なくのでは?と思います。

 けれども、せっかくの生誕250年だからベートーヴェンへの接し方は学校年表アプローチではない方法もあると思う。

家族関係アプローチ


「彼(ベートーヴェン)の父はボンの選帝侯に仕える宮廷音楽家であった。この父は当時の楽士たちとしては当たりまえの無頼漢であり、家族に給料も渡さず、酔うと妻や子に殴る蹴るの暴行を働いた(中略)。長男(ベートーヴェン)は音楽の神童であり、幼い頃から宮廷オーケストラで父の代理を務め、父に代わってその給料を受取って家に持ち帰るという確り者(しっかりもの)でもあった」(出典②)

 タフな生い立ちだと思う。私の教養不足で19世紀のドイツ人の暮らしを知らないし、無頼漢、暴行の程度はわかない。子どもが稼いできた給料で生活をたてることが、同時のドイツでは正常・異常なことなのかわかならい。

 けれども、殴り蹴られる家庭状況で育つのはたいへんなはずだ。このショッキングさは本当のことなのだろうか。刺激的な情報の受けとめはセカンドオピニオンが必要だと思います。

 「息子(ベートーヴェン )が曲を弾き通せるまで、食事も与えずに部屋へ閉じ込め、暴力も厭わなかった父親は、やがてアルコール依存症で失職」(出典③)
 

 やはりタフな生活である。殴られて、蹴られて、食事も与えられず、部屋に閉じ込められる。出典はユニバーサルミュージックのHPだが、
似たり寄ったりの記述だから事実だろうし、その内容もコンパクトながら壮絶だ。ベートーヴェンのお父さんの名前を暗記しておきたくなる。

家族関係アプローチを知り音楽鑑賞にうつる。
 ダダダダーン、ダダダダーン
 運命動機の解釈を変えても良いのではないかと思えてくる。私たちがいま聞いている、ヘビーメタルやラップの先祖ではないでしょうか、不満を爆発させる、怒りをぶつけています、ダダダダーンのリズムもラップに合うと思います、と授業での音楽解釈が変わると思う。授業はダダダダーンに合わせて歌詞を作りラップとみなして歌いましょうと。ダダダダーンはYoYoYoYoーです、と。

 もちろん、生い立ちと運命動機を結びつけるには証拠と合理的な解釈が必要だけれども、聞く側の気持は違ってくると思う。つぎは社会人アプローチ。

もう一つは社会人アプローチ


 「そんな父を反面教師としたせいか、成長したベートーヴェンは稀に見るほど潔癖で倫理的な性格を見せている(他人に道徳性を強要するのが玉に瑕であったが)。半面、奇矯で直情径行、強情で唯我独尊、他人の言に耳を貸さないので、傲慢不遜と思われた。(中略)
彼の音楽(特にピアノ演奏技術)を評価する貴族たちは多く、なんとか生計を立てる。しかし、ベートーヴェンは”宮廷楽長”にも、平の宮廷楽士になることもなく(なれずに)、一生を独身で暮らした」(出典②)

 人はいろいろな生き方をする。性格も好みも違う。ベートーヴェンのまわりでも、ベートーヴェンって知ってるよね、ピアノが超人的なんだよね、演奏してもらっても曲もいいし、どうしてそんな超人的なことができるの?不思議なんだわ。 

 でも本人は、頑固でどうしょうもないんだよね。言っても聞かないし、何を考えているんだか、わからなくて困るってあるけれども、これは質問したりすれば解決すんだけれどもさ、ベートーヴェンの場合、考えていることがこちらにもわかるので、それを思うとこちらもウンザリして、気が重くなるんだよねみたいことがこそこそ囁かれていたような気がする。

 極めつけはさ、曲の感想言わされてたいへんなんだよ。いいねって言うとどこがって質問攻めだし、悪いって言うとおまえは何もわかっていないって罵られるし。あくまでも、私の感想に過ぎないのだが、おおむねそんなところではなかっただろうか。このアプローチだと音楽鑑賞に進まないかもしれない。
 ともあれベートーヴェンは、音楽史上まれにみる大作曲家ですが、耳の病気以外にもいろいろあったんだなと感じる。

運命は交響曲第5番

運命はクラシック音楽の分類でいうと交響曲に入る。交響曲の構成は第1楽章から第4楽章まで4つの楽章が普通で、ベートーヴェンも運命を4楽章で作曲している。第1楽章はアレグロ・コン・ブリオ、第2楽章はアンダンテ・コン・モト、第3章はアレグロ、第4楽章はアレグロ。要するに曲の速さです。
「ダダダダーン」は第1楽章で演奏され、運命を聞かされるたいはんが第1楽章でその他楽章は聞かされることがほんとうに少ないと思う。運命イコール「ダダダダーン」。運命が戸をたたく、その後どうなったのか、誰もあまり知らない(聞かない)。苦しみを克服して歓喜へ、歓喜はいつ訪れるのだろうか、これも知らない(同じく)。

 戸は叩いてみた、苦しみを克服したかしら。わからないまま、過ごすことになる。運命は第1楽章に偏って聞かれているのではないでしょうか。ちがう聞き方があっても良いのでは、と感じます。
 運命はいったん運命を忘れて、みなさま聞きましょうと言われるのだけれども、第1楽章から聞かされると、反射的に学校年表的な知識が呼び戻されて、いつものダダダダーン、あれね、さよなら、となりがちでは。

 今年は生誕250年、ベートーヴェンの生誕日は1770年12月16日(推定)。楽章の順番を変えて聞いてみると新しい発見と興奮があります。

忘れるための順番

忘れるには第4楽章からが良いです。歓喜が個人的にあふれ出るというよりも爆発、集合的に共有、みんなで感じるために作曲されたような感覚を得ます。サッカー、ラクビー、などの集団スポーツの表彰式に流すのがピッタリではと妄想しています。

レナード・バーンスタイン 指揮×ウィーンフィル

 CDはレナード・バーンスタインがウィーン・フィル・ハーモニー管弦楽団と1977年9月に録音したものです。ライブレコーディングです。我が家のオーディオでは、ティンパニの音がたいへん勇しく猛々しく聞こえ、ドラムロールが効果的に演出に使われる表彰式に合うと思います。

 第4楽章開始(CD再生スタート、秒はCDの再生時間です)。表彰式をイメージをしながら聞いてみると、優勝メンバーが観客の前に姿をみせて(1秒〜約10秒)、長い階段を使って表彰台まであがってくる、全員が登り終わる(〜約1分30秒)。表彰台から観客に向かって喜びをアピール、分かち合い(〜約2分)。試合の振り返りがトレーラー映像で流される(〜約2分30秒)。

 インタビューアーによるキャプテンへの勝利者インタビューがはじまり、試合の振り返りがされ(〜約3分40秒)、殊勲選手へのインタビューに変わり、その後賞状など授与が行われる(〜約6分20秒)。


勝手に創作「勝利の歌の合唱」

 約6分30秒からはインタビューアーが観客に向かって語りかける
「みんなで勝利の歌を歌いましょう」と。同じく勝利チームメンバーにも働きかけて合唱を促す。そのやりとりを続ける。
 約8分10秒からイントロと位置づけて、メロディに「勝利の歌」という歌詞をつけて、約8分22秒から合唱しはじめて約9分40秒まで選手とファンとで合唱をする。終了後は順次退場。こんな表彰式を思い浮かべながら、運命を聞くこともできるのではと思います。式がおわれば、第2、第3楽章を流してクールダウンする。
 バーンスタイン以外にも演奏はたくさんありますが、カルロス・クライバー、1975年録音のウィーン・フィルです。

 これは第4楽章が火を吹いている感じがする。炎がメラメラではなく。アメリカのロック系のコンサートでステージから垂直に火があがる演出があるが、火の柱が何本も出てくるイメージ。上半身裸の屈強な男性が松明を携えて、口から油を吹いて火をつけるファイアーパフォーマンスをする、そういうことにぴったりなサウンドだと思います。これはオープニングに聞きたいです。

ベートーヴェンを聞くスタイルとは 

 もうひとつ思うところは、コンサートで第4楽章を聞くと黙って椅子座っていられないほど高揚します。演奏が終わると拍手に包まれますが、私は椅子から立ち上がって叫びたくなります。ブラボーという言葉でくくれない叫びです。オーケストラ奏者の方からもそういう雰囲気を感じることがあります。
 本音は終わる前からステージに駆け寄って騒ぎたくなり、オーケストラとかけ合いたくなり踊り出したくなります。

 ともあれ、ベートーヴェンへのアプローチと運命を順番を変えて聞いてみるだけで発見と興奮があります。第4楽章に歌詞をつけたくなったりと。

出典
①供田武嘉津、1997年、最新学生の音楽通論、音楽之友社
②石井宏、2004年、反音楽史、新潮社
③ユニバーサルミュージック、楽聖ベートーヴェン、その生涯と創作の軌跡、
https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/

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