写真嫌いだから、SNSと上手く付き合っていく為に ~作家売買~

誰でも「カメラ」を持っている時代。

街を歩けば、駅でも、公園でも、カフェでもスマホを取り出しパシャリ。

以前なら「観光の思い出なのかな?」っていう集合写真のアングルを撮っている光景を目にしたので、集合写真の邪魔にならないように避ければ写り込んでしまうことはなかった。

写真の撮る側、撮られる側に棲み分けがあったように感じていたが、今は『なんでも』撮っている。

散歩風景から、食事中の大口を開ける時や咀嚼してる時まで。


日常風景、街並みなどと称して、壁の汚れから、他人の口元のアップなど、驚くほど様々な被写体がネットにアップされる。


好きな人は、好きなことを突き詰めていって、好きなモノを楽しんでほしいと思う。

そして、同時に「嫌いな人もいる」ということを、必ず頭にいれて被写体を選別してほしい。

好きという感情に理由がないのと同様に、嫌いという感情にも表現しきれないモノがあるんです


私も、気心しれた人と写真は撮るし、その写真を元に思い出話に花を咲かせる。

けど、なんでもかんでも毎日、どっかで、見ず知らずの誰かに、勝手に撮られるってのは嫌なんですよ。

って、感性も認めてください。

批判したいんじゃなくて、「写真を好きな人もいれば、写真が嫌いな人もいる」その事実の確認と棲み分け。


artとして、クリエイティブの一環で「町にいる人々の生活感ある風景の写真が撮りたいだけ」って気持ちがあるんだろうなと推察する。

けど、世界に70億以上の人間がいて、この国だけで1億以上の老若男女がいる。

写真が好き!って人を認めているからこそ、

写真が嫌いって人もいることも認めてほしいのです。

というか、風景写真や日常風景という被写体に紛れて、自分が見切れて写っている可能性があるのが、本当につらいんです。

形に残したい人もいれば、形に残したくない人もいる。


なんでもカンデモ、撮影される苦痛、ただ歩いているだけで、誰かの写真に写り込んでしまう苦痛。

一言、言ってくれれば「写真を撮られる瞬間」に協力できる。あなたのカメラアングルやら、画面からハケるのに「日常風景を撮りたいんだよ。」なんて、言われても迷惑である場合もあることを忘れないでほしい。


見ず知らずの人に、気づかぬうちに写真を撮られ、それを『街を行きかう人々』の一人として混じることに苦痛と感じる人もいるのを、写真のシャッターを押す人は感じてほしい。

アートだから、creativeだから、と言われても、被写体からの同意がなければ盗撮以外のナニモノでもないと私は1つの意見としては有効だと思う。

ただし、アートだから、CREATIVEだからってのも一つの有効な意見だし、その情報や技術、感性が総合しあって、現代が到来してる。

今は丁度、時代柄、情報を集めている時期なので、それに乗じるしかないとも感じる。


そして、アップされた写真は生涯消せないデータとして、保存されている現実も忘れてほしくはない。

自分のアップ元のデータを消せば、消えると本気で思っていますか?

どうして、『無料』なのかは、『同意』した上でお互い使っているのだから。


それが、あなたの「撮影者」として、覚悟ある行動であるように、切に願って。


だから、自分が認識してないうちに誰かの被写体になってしまうのなら、普段からちゃんと清潔感ある服装でいようとも思う。

着古した着心地は最高だが、ボロいインナーに半纏とジャージに、つっかけで、外には出ないようにしなければ。

いい年しても、雑な生活の面は誰でも持っているから写真に残されるとハズいんですよ。


昔は、「お天道様は見てる。」とか言って、人の目を気にして節度ある行動をとるように教育したりする手法があったが、

今は1つの事実として、ただただデータとして、誰でも動画・写真を撮れてアップされて、一生データとして残る時代だから、ちゃんと他所様に恥じないような行動をしようと心に決める。


時代の流れに、なんとか同意を感じようと努力した中年の日々。

その辺のモブ被写体の一人として、AIを込めて。


今日も、誰かに笑われていますように