中村 哲医師を悼む

@@2019/12/04(水) 中村 哲医師を悼む
■ 中村 哲医師を悼む
  (急ぎ駄文を書き、facebookに載せましたが、FBだと読まない方が多いので、mail/messenger/line等にも送ることをご勘弁下さい)

 ※本文書の所在
  note: https://note.com/sawataishi/n/n5ae62ce93557
  twishort: https://twishort.com/76Gnc

 タリバンすら中村哲医師達の活動には敬意を払っていました。中村医師・ペシャワール会の偉大な業績の一つは、砂漠化した土地に用水路を導いて、何千人が生活できるようにしたこと。
 最も特筆すべきことの一つは、欧米の援助団体のように「先進国の技術と資材」をどかんと導入するという持続可能でないやり方をすることなく、現地の材料と現地人に伝統的に伝わっていた知恵を用いたことです。なんと、医師の中村は水路建設にあたっては江戸時代までの日本で古くから発展していた堰造りを独自に勉強し、それをアフガンの地で活用したのでした。
 『医者、井戸を掘る』など、まだ読まれていない方は是非とも。
 youtube等に、中村哲先生のことは莫大に記録されてます。
例えば、決定版は「武器ではなく命の水を 医師中村哲とアフガニスタン」(58分、2016/9/28)→ https://www.youtube.com/watch?v=Fu_iiTKIeos

(私が実際に中村先生と直接にお会いしたのは唯一度。1996年、ヒマラヤ登山(8201mのチョー・オユー山登頂後)から下山して、愛知県春日井市の名古屋徳洲会総合病院の医局にて。徳洲会グループは哲さんが九州の系列病院でアルバイトするカタチで支援していたので、名古屋徳洲会総合病院の招きに応じたのでした。
その数年前から中村哲医師の仕事に感銘をうけてましたが、現実に中村哲さんを拝見して、人格的迫力と魅力に圧倒されました。以来、著作はほとんど全部読んでます)

▼願い
1)ペシャワール会の活動が今後とも継続・発展しますように
 現地住民は農業用の用水路建設・維持に習熟していると思われます。アフガンの政府もタリバンも中村先生達のやり方の素晴らしさを知っているはず。この度の悲劇がかえってきっかけとなり、アフガニスタンの各地に広がるようになりますように。
2)ペシャワール会への資金援助が縮小することなく、かえって持続的に拡大しますように
3)日本政府として、ペシャワール会に継続して補助金を出すこと
 中村哲先生がご存命ならば政府資金なぞ絶対に拒否するでしょうし、ペシャワール会の方々も政府からのマネーなどいらないと思っていると推察はします。しかし、もしも、マネーは出すが口は出さない、ペシャワール会として政権批判をしても決して減らさないことが担保されるならば、私はOKだと思います。
 実現させるためには超党派の議員立法(継続して資金をだすためには法律でないといけない)がふさわしいと思います。毎年一般会計から支出するよりは、1兆円くらいの中村哲基金を創設して、毎年継続してペシャワール会に送り、中村先生の持続可能な方法での諸国民への援助に補助するとかもいいかも。低金利なので基金の利子のみで資金援助はできないで、毎年減ることとなりますが、十分に減ったら、国費で更に積み上げるとか。(外務省なぞに法案をまかせてはなりません。アフガン政府に直接資金援助するのは論外、いうまでもなく)
 
 以上について、森ゆうこ議員とか知りあいの国会議員に提案するなど、やっていく所存です。皆様も、1人1人が知恵を出して、やってみてくださいますように

▼伊藤和也さんのこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%92%8C%E4%B9%9F
覚えている方は少なくないと思います。哲先生と共に、アフガンの地で五年間農業指導をされてました。2008年に武装勢力に誘拐されて殺害されました。31才。合掌。
-まずはこれを→ 菜の花畑の笑顔と銃弾(1) https://www.youtube.com/watch?v=LgjH0LNKatQ

-こちらから中村先生、伊藤さんのことなどの動画のまとめ http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/afghanistan/2008/09/post_8d6d.html

-伊藤さん殺害から1年 アフガン...日本人医師の挑戦(1) https://www.youtube.com/watch?v=f9S9_txKzCM
- 『伊藤和也さんの思い 受け継いで』 https://www.youtube.com/watch?v=5-v5mb72BVg
▼西岡京治(にしおか けいじ)1933(昭和8).2.14~1992(平成4).3.21
ブータンの人々のために、人々のために、中村医師と同様に、現地の知恵を活用して持続可能な支援をされた方です。あまり知られてませんが、是非とも言って欲しいと思います。
http://tanizokolion.fc2web.com/nishioka_keiji.html
"1964年、脱穀機すら普及していないヒマラヤの国ブータンに奥さんと二人で赴任。実験農場を作る事から始めて、人材の育成、稲の並木植えの導入と新品種の導入による生産量の増大、野菜、果物栽培の普及と食生活の改善。実験農場が国家的農業機械化センターへと拡大していくにつれ、農業分野を超えた国家開発に精力的に従事。焼畑にのみ頼っていた山岳の最貧地域に水田を開き、橋を架ける際にも、いたずらに莫大な費用のかかるコンクリート製の橋を架ける事をせず、地元の吊橋架橋技術がそのまま使え、耐久性に優れたワイヤーロープ製の橋を多数かけて、流通を促進すると共に、身の丈にあった開発を、地元の人達の手で地道に推し進めた。
その成果は20年以上という異例の長期指導を続ける京冶に帰国を促す目的で派遣された、国際協力事業団の調査団すら絶賛するに至っており、日本の国際協力事業の最も成功した例とも言われる。
1980年9月4日、京冶らの活動を積極的に支援してきた王室から、「ダショー(BESTの意)」の爵位、ブータンの民族衣装「ゴ」にかけるえんじ色の布と銀の鞘に納まった剣を授かった。1989年、昭和天皇の大葬の礼には代表団の一員として、国王と共に帰国。90年の花と緑の博覧会では、ブータンの国の花とも言う「青いケシの花(メコノプシス)」、幻の花「ノビレ・ダイオウ」を展示、手配を行った。"

▼おわりに
Hannah Arendt は言いました。「いかなる悲劇も語られることにより癒される」と。悲劇ではありましたが、中村医師達の仕事はなんと美しいことでしょう。彼らのやり方は持続可能であります。彼らのような善行は、人類の遺産として永遠に残ります。しっかりと残るためには、語り続けることが必要だと思います。語り続けましょう。
 私ども残された者に望まれることは、中村哲、伊藤和也、西岡京治らのことをもっと知り、確認し、これからのこの世を「人間の顔をした」社会・国にするために、各自に与えられた能力・個性を活用して努力することだと思います。中には、ペシャワール会に加盟して、現地で仕事をすることができるので実際にそうするかたもおりましょうし、ペシャワール会に継続して資金援助することを始める方もいましょう、彼らの業績をSNS等で紹介しつづける方もおりましょう。それぞれのやり方で・・

ハナー・アレント(Hannah Arendt)の【全体主義の起源】(みすず書房)の最後の最後の文章を引用します。
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しかしまた、歴史におけるすべての終わりは必然的に新しい始まりを内包するという真理も残る。この始まりは約束であり、終わりがもたらし得る唯一のメッセージなのである。始まりは、それが歴史的事件になってしまわぬうちは、人間の最高の能力なのだ。政治的には始まりは人間の自由と同一のものである《Initium ut esset homo creatus est.》--「始まりがなされんために人間は創られた」とアウグスティヌスは言った。この始まりは人々の人間の誕生ということによって保障されている。始まりとは一人一人の人間なのだ。
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 中村医師の逝去は終焉であり、同時に始まりでもあります。アフガンの現地住民はこの悲劇的な終わりに直面して、継続し、何事かを始めることでしょう。遠い日本の地において、始まりという種がいくつも蒔かれ、そのうちにますます沢山の花が咲くことでしょう。

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