Tokyo Blockchain Game Conference 2019 所感
※タイトル画像は公式サイトより引用
2019年9月17日(月・祝)に、TUNNEL TOKYO(大崎)会場にて開催された『Tokyo Blockchain Game Conference(TBGC2019)』ですが、登壇してきましたこともあり、感想などを書いてみたいと思います。
まず思い出したのが10年前の光景です。
2009年といえば、iPhone 3Gや3GSが爆発的な人気を博し、それまでもPDAやフィーチャーフォンで様々な機能が提供されていたとはいえ、いちプラットフォームとしてのスマートフォンのあまりに強力なUI/UXに「これで何ができるのか」「世界はどう変わっていくのか」ということに関心が向いていた時代です。
そしてそれに並行して「海外でFacebookというものが流行ってる。日本にはmixiがある」「初Tweetなう」的なところがありつつ、その流れがあっての『SNSのオープン化』に注目が集まっていました。PC版「mixiアプリ」を皮切りに、フィーチャーフォンでは「モバゲー 怪盗ロワイヤル」が頭角を現わし、気づけば、誰もがmixiのフレンドの農場を表示させては虫を入れる『サンシャイン牧場』の虜になっていました。「よくわからないがSNSでゲームを提供すると儲かるらしいぞ」というビジネス的な雰囲気の醸成です
ぼくはアプリランキング的にいうと1位『サンシャイン牧場』、2位『ブラウザ三国志』の、その下にある『カイブツライフ』の運営をしていたんですね。まだSNS側の決済システムを使わせてもらうことができず、広告を表示したり、アフィリエイト広告の成果としてゲームポイントを付与するという仕組みで売上を発生させていた頃です。(その仕組みが後々『リワード広告』に化けていくのですが、それはまた別の話)
その頃の「ソーシャルゲーム界隈」というのは、毎夜と言っては言い過ぎですが、でも言い過ぎではないくらいに、各社各所で毎日「ソーシャルゲームナイト」のような催しが開かれていました。お決まりのようにビールとピザが出て、投資家と事業家のマッチングだったり、事業家が開発者を探すためだったり、あるいはキャンペーン的なプロジェクトとしてアプリ開発チームに対して出資して紐付き援助をするための決起集会だったり、いろんな趣向のものがありました。「今この船に乗らない奴は溺死」とでも言わんばかりの盛り上がりがあったのです。
そういう記憶があったので、TBGC2019来場者300人以上の関心というのは、ほんとうにそういうものを想起するに充分でしたし、反面、10年前と比べて「ずいぶん盛り上がるのに時間がかかってしまっているな」とも思いました。
ソーシャルゲームは火がついてからSNS各社がオープン化を表明し「猫も杓子もカオスな状態」になるまで半年くらいのスピード感でした。でもブロックチェーンゲームは「海外でCrypt Kittiesってゲームがすごいらしい」から2年もかかっています。
その要因はデベロッパー側、ユーザー側に、次のようなブレーキとなるイメージがあるからかなと思います。
仮想通貨はじめブロックチェーンは胡散臭いんじゃないか
リッチなゲームじゃないと受け容れられないんじゃないか
口座開設やウォレット、METAMASK等が難しいんじゃないか
1に関しては、もうしょうがない。胡散臭いアフィブロガーとかのせいにするのは簡単だが、そのおかげで存在そのものが知られた側面は確実にある。テレビでも何でも「億り人」を特集したりして、「儲かりそう」一点突破でここまで話題をもってくるというのは、「ゲーム!楽しいです!」では成し得なかった境地ではあると思う。
2の10年前のソーシャルゲーム黎明期、ぼくはあるカンファレンスで「ソーシャルゲームはゲームじゃねぇ!」と吼えて喝采を受けました。もちろん、プレステやXbox等の「ゲームらしいゲーム」に比べてブラウザで遊ぶ「マフィアウォーズもどき」がしょぼく見えるからそう言ったわけでも、資源管理系のゲームシステムを否定したかったわけでもありません。それまでの「ゲーム」という文脈だけで語っていては、その面白さも、キーポイントも、課金要素も、ソーシャル要素も、プレイ・ライフ・バランス(←当時ぼくが流行らせようとした「ワーク・ライフ・バランス」のパクリ用語。全然流行らなかった)も見誤るという話だったわけです。
インストールタイプのスマホアプリにあるような画面や演出のリッチ化に慣れすぎてしまって、そこをまず達成しなければブロックチェーンゲームも世間に認められないんではないかというイメージがあります。
顧客の目が肥えているというような論調に持っていくのは簡単ですが、10年前を思い出すと、ソーシャルゲーム黎明期、見た目がヘチョいものは多かったわけです。フィーチャーフォン(ガラケー)で遊ぶ人が大多数でしたし。そこからスマホアプリに移って、SoCの進化やら画面の精細化や開発環境の整備やら何やらあって今の形になったと。
で、当然「それができるのならばやればアドバンテージになる」のは承知ですが、まずは「ブロックチェーンをゲームに組み込むと何が面白いのか」みたいなことに真摯に向き合っていくことが先決かなと思います。
おそらくブロックチェーンゲームにおける何らかの「型」が生まれたら、すぐそれを現行のスマホアプリ開発のノウハウ、すなわちグラフィックやエフェクトやリアルタイム性を用い、目や耳に嬉しい感じにするのは難しいことではない(期間やお金はかかるかもしれない)と思いますので、基本的な楽しさの根源を追い求める期間を過ごすのは、決して業界にとってマイナスではないと思います。
3ですが、まあこれは色々なUI/UXが満たされている現代においては、煩わしかった過去と比べてもしょうがないんですが、グラフィックボードをPCに挿して稼働するかどうか確かめるところからゲームが始まっていたような15年前のPCネトゲ黎明期、支払もWebMoneyをわざわざコンビニプリントで出力して画面へコード番号を入力していたようなPCネトゲ黎明期、駅前でY!BBモデムを配りまくったパイオニアがいなければ満足な回線すら得られなかったPCネトゲ黎明期、を考えたら、通信も決済も整っていてMETAMASKが難しいつっても概念の話じゃん、とか、仮想通貨取引所のKYCが面倒くさいつったってネトゲもなんかサポート受けるときとかにアカウントが「自分のものである」ことを証明するために免許証のコピーを郵送したりしたじゃん、とか、色々思ってしまうわけです。
もちろん、裾野が広がって簡易なUIで物事をおこなえる今に、過去の苦難の時代と比べてマシだからとユーザビリティの低いものをお客様に提供するのはアホかと思うんですが、そこで足踏みしていてもそれはそれで勿体ないな、と思います。仮想通貨取引所がゲーマー向けNFTトレード対応ウォレットアプリとか作ってくれたら神、とか思うけど。
……というようなところで、ブロックチェーンゲームを取り巻く環境が、ソーシャルゲーム時代と比べて「濡れ手で粟感が無い」のだろうなとは思います。10年前と違って「任天堂の倒し方知ってますよ」と吹いてられないほどに業界は場数を踏みましたし、ソーシャルゲーム時代にはおおよそ参照することなど無かった(=だから当時コンプガチャ問題が起こった)「法」の枠内でどうするかの論議が続いています。コンプライアンス、お客様への適切な情報開示……
「法や社会がゲームの姿を規定する」そんな時代だからこその、ブロックチェーンゲームというジャンルかなと思います。
TBGC2019の来場者の熱気を感じたときに、10年前と同じだと思ったのは、まさに時代の幕開け感です。
もちろん、ブロックチェーンで豊かになるのは、ゲーム用アセット販売の話だけではありません。「新しい権利」など形のないものについて、適切な認証と組み合わせて、人と社会の明るい未来を作れる技術であるとぼくは信じています。
ゲームやマネーが最初に話題になったかもしれませんが、きちんとその技術をどのように活用するかについては、見誤ること無く、広げていきたいと一層強く思いました。
……というわけで、そんな時代を切り取った小説『ブロックチェーン・ゲーム 平成最後のIT事件簿』を、どうぞよろしくお願いいたします。本当に平成最後の年に「あったかもしれない」パラレルなIT業界の物語です。
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