短編小説「嫌いな男にキスされたのでやっぱり嫌いです。」

 嫌いだ。
 俺はそう思った。いや、もしかしたら言葉にしていたかもしれない。
 
「僕は高崎くんみたいな子好きだけどね」

 あいつはそう言った。
 そういう所が嫌いなんだよ、と今度は確実に心の中で呟く。

 あいつが転勤してきたのは一ヶ月ほど前だった。
 本社からこの営業所の売り上げを伸ばすために転勤してきたのである。
 俺が働いているのはオフィス用品を取り扱う会社だ。全国に営業所があり、消しゴムのような文房具からコピー機やパソコンまで幅広く取り扱っている。
 本社は東京にあり、俺は京都の営業所に配属されていた。
 京都の営業所は俺を含め、五人の営業と二人の事務で成り立っている営業所で大きくはない。
 そして、勘違いしないでもらいたいのだが、出身は東京である。
 二十二歳で入社してすぐにこの京都営業所に配属され、もう五年が経った。
 仕事にも京都にも慣れ、平凡ながらも充実した毎日を送る二十七歳男性である・・・・・・はずだった。
 一ヶ月前、この矢野 圭介が転記してくるまでは。

「東京からこちらの営業所に異動してきました。矢野 圭介、三十歳です。少しでも早くこちらの営業所に慣れて、結果を出せるように精進いたします・・・・・・なんて言いません。皆さんが僕に慣れてください。僕が結果で、結果が僕です」

 矢野は爽やかに笑顔でそう言い放った。
 無駄に高身長で、無駄に整った顔面がさらに言葉の攻撃力を増している。
 話を聞いていた京都営業所のみんなは言葉を失う。
 いきなり自分が結果だと名乗るこの男に驚いたのだ。
 横にいた所長が慌てて補足をする。

「彼は本社の営業部で何年もトップの成績を保っています。我が社の売り上げの半分以上は矢野くんによるものと言っても過言ではありません。そんな彼が来てくれたのは幸運です。全員で協力して営業所全体の成績を上げていきましょう」

 そんな所長の補足に対して矢野は首を横に振った。

「所長。何年も、ではなく五年間トップです。そして僕の営業成績は我が社の売り上げの四十七パーセント、半分以上ではありません。伝えるときは正確にお願いします」
「あ、ああ、そうだったね。すまない」

 顔を引きつらせながら所長はそう答える。
 しかし、矢野の言葉は止まらない。

「そして一番の間違いは全員協力して、です。僕の邪魔をしないでください。その上で僕に負けないように頑張ってください。以上です」

 矢野はそう言い放って、用意されたデスクで資料を見始めたのだった。
 もちろん第一印象は最悪。
 いくら立派な成績を残していようが、会社の空気を壊してしまうような男を受け入れるのは難しい。
 俺以外の社員も矢野に対して心の距離を持っていた。
 それが一ヶ月前のことである。
 しかし、矢野はその態度に負けない結果をどんどんと出していったのだ。
 新規の取引先をいくつも見つけ、既存の営業先からはこれまでにない商品の注文を受け、京都営業所の売り上げは大きく伸びたのである。
 矢野の行動に触発された他の社員は自分の仕事を見直し、各自が成績を伸ばした。
 俺も例に漏れず、矢野に負けないようにと成績を伸ばしている。
 そして気づいたのだった。
 矢野の態度や言葉は全て俺たちのぬるい空気感を壊し、仕事に対しての姿勢を改善するためだと。

「あの、ありがとうございます。矢野さんのおかげで、仕事に対する気持ちが変わりました」

 現在深夜一時、残業をしていた俺は喫煙所でタバコを吸っていた矢野にそう伝えた。
 しかし矢野はこう答える。

「僕は僕の仕事をしただけさ。それよりもお礼を伝えるときは言葉より行動だと思わないかい?」
「行動ですか?えっと、じゃあ、何か飲みませんか?」

 俺はそう言って自動販売機を指差した。
 すると、矢野は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「はははっ、お礼と言って缶コーヒーかい?子どもじゃないんだからさ」
「な、じゃあ、どういうお礼が大人だって言うんですか?」

 ムキになって俺がそう言い返すと、矢野の笑みが変わった。
 それを言葉で表現するならば、性的だろうか。
 その視線で相手を裸にするような目つき。少しだけ開いた唇。上がった広角。
 俺は一瞬、その笑みに飲み込まれた。
 その一瞬のうちに矢野はその唇を俺の唇に重ねる。

「なっ!」

 慌てて突き放した。
 だが、口の中にはタバコの苦味が広がり、唇には柔らかな感触が残っている。

「何してるんですか!」

 俺がそう捲し立てると、矢野はタバコを咥えて笑った。

「はははっ、いい反応するねぇ」
「セ、セクハラじゃないですか!」
「高崎くんが言ったんだろ?大人のお礼を教えてくれってさ」

 タバコを吸い、煙を吐き出す矢野。
 変に意識をしてしまい、その動作すら性的に見えてしまう。
 俺は慌てて反論した。

「なんで、キスがお礼なんですか!」
「キスは挨拶でお礼で謝罪でコミュニケーションだよ。知らないのかい?」
「知らないですよ。それも男同士でなんて」
「狭いねぇ」

 矢野はそう言って煽るように煙を吐き出す。
 俺は声を荒げて言い返した。

「何がですか」
「視野と世界だよ。男とか女とかそんなものに縛られてるから目の前のことに気づけない。緩い空気を壊せないのさ。キスくらいしたい相手にしたい時にするさ」

 そう言われた俺はこう心の中で呟く。
 嫌いだ。
 それが声になっていたのかどうかはわからないが、先ほど話した通り矢野はこう答えたのである。

「僕は高崎くんみたいな子好きだけどね」
「もういいです。お礼を言って損しました」

 俺はそう言い放って、喫煙所を出た。
 そのまま自分の鞄を持って、退勤する。
 会社を出たところで俺は矢野の言葉を思い出していた。

 キスくらいしたい相手にしたい時にするさ。

 矢野は俺にしたかったのだろうか。
 よくわからない感情が俺の中で渦巻く。
 気づけば耳まで熱くなっていた。
 俺は心音を消し去るようにこう呟く。

「嫌いだ」

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