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源義経は史料によると水夫を射ていないし、卑怯でもなかったっぽいので、濡れ衣を晴らしたい話

タイトル通りの話なのですが、最後にはちょっと現代の闇についても。

歴史に興味ない方も、よかったら読んでみてくださいね。

さて。源義経をご存知でしょうか。
鎌倉幕府の創設者・源頼朝の弟で、いわゆる源平合戦で平家を討滅した将軍です。

日本史きっての人気者で、少し前までは本当に絶大な人気があり、歌舞伎や劇などでは、特に出てくる必要もないのに義経が出てこないと観客が不機嫌になった、という話まで聞いたことがあります。
かくいう私も子供のころから、義経の軍略のかっこよさにファンになり、日本史が好きになったのは義経がきっかけといってもいいくらいです。
あと新選組(王道)。

さてそんな義経なのですが、ネット上のブログやTwitter、あるいは研究書籍などでも「卑怯者」と呼ばれることがとても多いです。
私も何度となく、自称”歴史に詳しい人”から、「義経って本当は英雄じゃなくて卑怯者で、当時から嫌われたんだよ」と言われたことがあります。

その数々のエピソードを知った時、少年時代の私は、とてもショックでした。
華々しい活躍は後世の伝説で、史実ではただの卑怯者だなんて。
聞いてみると、悪い点が出るわ出るわ。
いわく、水上戦で非戦闘員の水夫や梶取を射殺す作戦をとった。
いわく、作戦として民家に火をつけた
いわく、当時のルールだった「一騎打ちの名乗り」をせずに卑怯な奇襲ばかり行った。
いわく、独断専行を繰り返して自滅した「政治的無能」だった……
もしかしたら、これらを聞いたことのある方もおられるかもしれませんね。

お陰で、ネット上では「義経はクズ」「天才でもなんでもない」と一方的に言われまくりです。

よければ、TwitterでもYahoo知恵袋でも「義経 卑怯」で検索してみてください。
「義経は卑怯者」とするブログもたくさんあります。
また、図書館で義経に関する書籍を見てみてください。こちらも同様です。

義経ファンとしては、悲しいことは悲しいのですが、史料にそう残されているというのなら、尊重しなくてはなりません。
が。

いざ自分で史料を読んでみると、あれ? となりました。
義経、水夫射てなくない?
卑怯な戦法もしてないんじゃない?
ということなのです。

以下は、主な「義経卑怯者説」「義経クズ説」なのですが。

1.非戦闘員である水夫・梶取を射殺す作戦をとった。
2.非戦闘員である安徳天皇や平家一門の女性たちを死なせた。
3.作戦で、漁村の非戦闘員の民家に火をつけた。
4.当時の戦闘開始時のルールである「名乗り」をしてからの一騎打ちをしなかった。
5.当時禁じ手とされた奇襲や挟撃をした。
6.兄・頼朝による鎌倉政権構想を理解しておらず、軍略の鬼才だが政治的には無能だった。

ネット上で主に義経が大勢の方々から批判されているのは、上記のような点です。
それに対して、現状、史料的見地からの結論を簡潔に述べます。

1.非戦闘員である水夫・梶取を射殺す作戦をとった。
史料として吾妻鏡、平家物語(延慶・覚一)、玉葉、愚管抄、源平盛衰記、義経記を調べましたが、そのような記録はありませんでした
近年生まれた都市伝説みたいなものです。
これを唱えている人に、史料的根拠を聞いてみてください。まず出てこないと思います

2.非戦闘員である安徳天皇や平家一門の女性たちを死なせた。
最終決戦で入水した平家一門は、殺されるどころか義経の命令で引き上げられています。
これは安徳天皇を渡さないための、平家方の無理心中です(ちょっと冷たい言い方かもですね……すみません)。

3.作戦で、漁村の非戦闘員の民家に火をつけた。
屋島の合戦の時のことです。
しかし、放火戦術は源義仲の他、平家も大和田の泊や、何より南都大火(大惨事)などで盛大にやっています
「義経が」卑怯というより、当時の武家の一戦術だったのでは(一般人はたまったものではありませんが)。
なんで一部の歴史オタクは義経にだけそんなに厳しいのですか!

4.当時の戦闘開始時のルールである「名乗り」をしてからの一騎打ちをしなかった。
そんな「当時のルール」が当時の武家に守られていた形跡は見られません(お題目としてはもっと前からあるのですが、少なくとも「当時のルール」として守られていた記録はないのです)。
これも史料的根拠はないです。あったら凄いです。
最初に名乗って一騎打ちとか、戦のマナーとか、なぜか「あった」と言い切る人もいますがただのイメージなのです。
『平家物語』でも源平含め誰もやってません(戦後の論功行賞のため一方的に名乗ったりはしてる)。

5.当時禁じ手とされた奇襲や挟撃をした。
当時禁じ手とされていません
なぜそんな作り話をするのかと。平氏も源氏も奇襲してます

6.兄・頼朝による鎌倉政権構想を理解しておらず、軍略の鬼才だが政治的には無能だった。
最前線で戦いに明け暮れている将軍が、鎌倉にいてろくに顔も合わせない兄貴がかつて日本になかった武家政権構想を立ちあげているとか分かるわけないでしょう
当時はスマホもLINEもないですよ!
これで義経を無能呼ばわりするのは、後世に日本史を俯瞰した現代人の傲慢というものです。

このように「義経=卑怯」というのは、長年の判官贔屓史観に対する、昭和からこっちの近代歴史オタクの斜めに穿ったカウンターみたいなものなのです。
義経のアンチの方々は、とにかく史料を読まずに風説を信じ過ぎです! 特に1と4!
「~と言われている」という柔らかい言い方をされることもありますが、どこで「言われている」というのでしょうか!
家か!?

私は冒頭で、「TwitterでもYahoo知恵袋でも「義経 卑怯」「義経 水夫」で検索してみてください」と言いました。
実際にやっていただければ分かるのですが、これを書いている現在、そうすると
『源義経は水夫を射たのか!?』
『源義経卑怯説に、史料から反論するッ』
といった、「小説家になろう」や「カクヨム」に投稿されたエッセイがトップに来ます。
すみません、これらは書いたの私です
あまりに義経の創作的悪口が横行しているので書いてみたものです。
「あれ、言うほど義経は無根拠な悪口言われてないんじゃないか? ちゃんと反論されてるじゃないか」
と思われたら、すみません、これらは私の独り相撲であり、私一人で叫んでいます
大体ここに書いたのとおんなじことが、もう少しやかましく書いてあります。

でも、恐ろしいと思いませんか。

上の通り、現代社会において義経が受けている誹謗というのは、無根拠か、あるいは想像です。
噂が独り歩きして、800年前に死んだ、反論できない有名人が揚々と貶められているのです。
悪気もなく、確認もされず、「自称:歴史に詳しい識者」も加わって、半ば史実化されている様子すらあります。
だって図書館の本にも水夫撃ったって書いてあるんだもん! 根拠が書いてあったことないけど!

インターネットやSNSはもちろん、リアルの生活の中でも、「目立つ人をあることないこと言って貶める」という現象はよく起きます。
これを読んでくださっている方々の中にも、そんな思いをされた被害者がいるかもしれません。
こうした問題で難しいのは、「濡れ衣を着せられて苦しんでいる人の懸命な訴え」よりも「面白おかしく風聞を広める『嗤うスピーカー』」の方が圧倒的に拡散・浸透力を持っているということです。

義経は兄・頼朝との意志の不疎通から破滅の道に追い込まれました。
皮肉ながら、情報が氾濫した今でも、だからこそ別の形で不幸を押し付けられる人というのはいます。それもたくさん。


歴史は、私たちに多くの教訓をくれます。
恐れ多くも、この記事が単なる豆知識としてではなく、そうした現代の悲劇を防ぐ一助になりましたら幸甚です。

歴史なら、史料。

人間なら、本人や、信頼できる情報。

それはとても大変だけど、できる限り、「本当のこと」を探そう。

史料に書いてあることは本当かどうか分からないけれど、目の前にいる人のことは、思いやることが出来るはずですから……。

(ちょっと最近、「噂と傷」について周りで思うところあったので、少し唐突ですが、こんな結びです(^^;))

追記:
・「義経 水夫射殺説」は、昭和期にある高名な歴史研究者が自著内で触れたことがきっかけで生まれたようですが、その根拠もいまだに確認されていません。
「根拠」をご存知の方は、どうかご一報ください。
私も、存在するのならその史料を見てみたいのです。

おわり

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