鬼滅の刃は現代的な善性の物語だ

鬼滅の刃が大流行しはじめたアニメ放送時期、私は「週刊連載のやつは無限に本が増えていくし買うのも読むのも追いつかないので、無理!」と頑なに読まなかった。多分読んだらハマるだろうな、と思っていたからこそ、である。

週刊連載を追いかけるのが大変なことは、うっかり青年漫画だから月刊じゃろと思って買ったら週刊で刊行ペースに追いつけなかったヤンジャン作品(具体的に言うと東京喰種とゴールデンカムイ)で学んだのだ。

しかし鬼滅の刃は完結した。そこでフォロワッサンはおっしゃった。

「いい加減原作履修したらどうっすかwww」

「誠に申し訳ないが今びっくりするほど金がない」

「お年玉に送ってやんよwww」


全巻電子でプレゼントされた。石油王か???


読みました。(石油王フォロワーのおかげで)


読んだ感想「これ、あまりにもたんじろが教育に良すぎない??」

炭治郎、教育に良いとは聞いていたが、あまりにも最初から最後まで教育にいい、近年まれに見る善性の主人公すぎてびっくりしたので、このクソでか感情を日記にまとめます。

長文だぞ!当然のようにラストまでのネタバレがある前提だぞ!


炭治郎はあまりにも教育にいい(大事なので繰り返す)

あまりにも教育に良すぎる、この主人公。

古式ゆかしい勧善懲悪ものであれば、主人公はゴリ押し系熱血パワーキャラであることが多いが、炭治郎はパワーで自分の意見をゴリ押しはしない。

常に誰かのために行動し、仲間の独善的行動は諫める程度の分別があり、自分より弱いものを馬鹿にせず、努力の成果が報われなくてもふてくされたりはしない。

いうて、彼は自我のない慈悲の化身なわけではなく「長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」という本人の言の通り、空気を読んで色々と我慢はしているのである。それに不平不満を言わないだけで。ちゃんと怪我は痛い。

炭治郎は、慈悲のかたまりでまったくキレないのかというと、そうでもない。無惨様相手には最初から最後までキレ通しである。まぁこれは当然か。

猗窩座にもキレまくったし。エンムにもキレまくったし。基本的に、同情の余地がない場面ではキレるのが炭治郎である。

そもそも炭治郎は善逸に「なんでそんなに恥をさらすんだ」と言ってのけた男である。

しかも、毒づいたとかではなく真摯にこれを言うのがTHE竈門炭治郎。

しかし、善性の主人公である炭治郎は、どんなクソ野郎の鬼が相手でも、彼らが死ぬ時には彼らの中にひとかけら残った人間性を想い、心を傾ける。

仲間のことも、決して見捨てない。唯一彼が仲間を見捨てたのは、禰豆子と鍛治の里の住人を天秤にかけた時だ。そして、その時は禰豆子が彼を突き放した。そして彼はその後、戦いが終わるまで禰豆子を振り返らなかった。

無惨屋敷に潜入後は、様々な人間が戦う群像劇の体を見せる本作であるが、様々な戦いの各所で炭治郎が仲間に対してした善行が支えとなる。

炭治郎が決して見捨てなかった善逸は、兄弟子に一人で立ち向かう勇気を得た。

伊之助を最初にほわほわさせて人間性を獲得させたのも、炭治郎である。

カナヲに自分で選択する勇気を与えたのも炭治郎である。

そういった彼の善性が、仲間を助けた。

そして、炭治郎が善性の主人公でなければ、無惨に乗っ取られかけて鬼化した時に、彼は問答無用で首をはねられただろう。彼を鬼化から救ったのは、彼自身が心を傾けたことで信頼を得た仲間たちである。

善性が必ずしも良い結果を招くわけではない本作であるが、善性によって獲得した信頼によって救われることは間違いない。

「情けは人の為ならず」をこれほど綺麗に実現している主人公、なかなか見ない。

そもそも日の呼吸が受け継がれたのも、炭治郎の祖先である炭吉が縁壱の剣技を神楽としてずっと引き継いできたからだ。炭吉の善性が縁壱との縁を結び、それが脈々と受け継がれて炭治郎の世代になってついに鬼を倒す。善性が最終的に悪性である鬼に打ち勝ったわけだ。

そういう意味で、ものすごく現代的な価値観にもとづいた「勧善懲悪」の物語だと思う。

「主人公が正しい」ではなく、「主人公が正しくあろうとする」という姿勢の勧善懲悪ものであることが、現代だなぁという感じである。

いついかなる時も正しくあることは難しいけれど、なるべく正しくあろうとする。鬼滅の刃的に言えばそれは「生殺与奪の権利を他人に握らせるな」である。(最後まで炭治郎は、これを貫く

正しくあろうとすることの責任から、炭治郎は最後まで逃げなかった。

この主人公、あまりに教育にいい。


そりゃ子供に人気も出るわよ

炭治郎が人間の善性を体現する存在だとすると、鬼は人間の悪性の体現である。

己の弱さや欲望に負けた者をキャラ化している、と言える。

無惨様が「頭が無惨様」と揶揄されたのは、マジで「こいつにも事情があったんだな」と思わせないレベルで人間の悪いところの煮こごりみたいな性質だからだろう。例の「お前たちにはうんざりしている」のくだり、マジでラストバトルで言うセリフかよ感すごいし、同情の余地もなくぶっ叩けるぞ感がやばい。

炭治郎は善性の主人公なので、割とクズい鬼の最期にも割と丁寧に心を傾けてくれるのだが、十二鬼月の中でも同情の余地がかなりあるのは猗窩座くらいだろう。他は割と人間の愚かさフルスロットルである。

炭治郎に道を示して、最後まで心の礎となる煉獄さんの仇である猗窩座が、一番同情の余地があるというのが、やりきれないポイントである。そして、猗窩座だけが鬼殺隊ではなく自分自身の手で最期を迎えている。

これは猗窩座の中にあった人間時代、師匠や恋雪との絆によって醸成された善性が、人間に裏切られ続けて醸成された猗窩座の悪性に打ち勝ったからだ。この点でも、「どんなことがあっても、最終的に人は善性によって悪に打ち勝てる」という勧善懲悪のスタイルが崩されていない。

うん、教育にいい。

子供というのは、本当は努力なんて大してしたくない。でも認められたい。

認められるためには、多少は努力が必要なことを教えなくてはいけない。

鬼滅の刃という物語は、炭治郎をはじめとして鬼殺隊がきちんと努力をする。怪我をしたら治療もする。しかし、努力だけのターンをずっと続けない。

適度に切り上げて「また次」となる。修行が2話で終わる。

修行→実践という古式ゆかしい少年漫画の王道を踏みつつも、かったるい部分はそれなりにショートカットしている。

そして戦闘で、必ずしも主人公たちは勝利しないのだが、なんらかの結果は獲得する。無駄ではない。

この「無駄ではない」が、子供にとってすごく重要なことだと思う。

鬼滅の刃はわかりやすい悪性の敵=鬼がいる。

わかりやすい善性の主役がいる。

わかりやすく刀を武器にして戦い、属性の必殺技があり、常に勝てるわけではないけれど努力の結果は何かしら出る。

子供が憧れるような必殺技の格好よさと、子供でも納得できる勧善懲悪のストーリーがある。何よりも、苦労した分の成果がちゃんと出る。

小さい子供は、細かい設定の妙はわからなくても「自分が何を獲得できるか」には非常敏感だ。鬼滅の刃はその点、実にわかりやすくストレートで、これは小さい子にも人気出るのがわかるなぁ、と感じた。

あと、これは個人的な感覚のお話なんだけど、鬼滅の刃においては炭治郎って決して「天才」ではないんですよね。

それをいうと、壱の型特化でしかも寝ている時しかまともに力を発揮できないのに鬼殺隊に合格した善逸(急ごしらえとはいえ上限の鬼を単騎で撃破)とか、我流で呼吸開発した伊之助とか、選抜試験をほぼ無傷で突破したカナヲの方が天才なんですよ。

あの物語に置いては、決してチートキャラではないんですよね、炭治郎。

チートって、実はあんまり子供に優しくないんですよ。だって、チート的な才能を手に入れなければ、結局何にもできないんだって結論になっちゃうから。「ありえないような才能を手に入れてチートでうはうは」っていう文脈を楽しめるのって、才能に対する割り切りができる分別がついた後の特権ですよ。

心の真っ直ぐさと本人の努力でで、天才チート持ちの仲間を救うことができる炭治郎は、子供にとっては「頑張ったことは無駄じゃない。認められる」という夢のあるキャラ造形だと思います。


担当編集さんはめちゃくちゃ有能なのでは?

単行本を見ると、結構頻繁に裏話的なものが書かれている。

話の中にいれられなかったというそれらは、知らなくても本編に大きな影響は無い。知っているとなるほど、とはなる。

多分、入れられたら入れたかったエピソードのはずだけど、多分入れていたら鬼滅の刃は全五十巻くらいになっていたのではないか。

そして、入れていたら炭治郎という善性の主人公が、鬼を倒す目標を成し遂げる物語としては、だいぶブレてしまったのではないか。

その辺の匙加減を調整していたのは、おそらく担当編集さんのはずで、そう考えてみると担当さん恐ろしく有能な方なのでは???

しかも、アニメ化→映画化、映画後それほど間をおかずに完結してブーストをかけるところまで、完璧な戦略。

映画があそこまで爆発的ヒットになるのは予想外だったにしても、アニメ映画の制作期間を考えれば2年前くらいから丹念に計画してないとこんなタイミングでお出しできないでしょ???めちゃくちゃ有能な担当さんだな!!

ジャンプ系には疎いので、他にどんな作品を担当されているのか知らないんだけど、この担当さんプロデュース力が半端ない……。


鬼滅の刃に続編はあるのか

一部で、鬼滅の刃のオマージュ元であるジョジョのパターンでいけば、続編があったら炭治郎が鬼になる、なんて話題が出ていたけど、それはない気がするな。

というか、一度鬼化を止められているわけだし、メタ的な話をすれば、ここまで善性が勝つ勧善懲悪の物語として完成したものなので、担当編集さんがその展開はOK出さないんでは???

あと、炭治郎や禰豆子(と善逸)の子孫がいるので……。

炭治郎(というか日の呼吸の継承者)は長生きできない。縁壱という例外はあるにしろ、少なくとも炭治郎の父は病弱だったと考えると、恐らく炭治郎は割と早い段階でカナヲと結婚したはずなんですよね。自分の余命がどこまであるかわからないから。正直鬼になっている暇ないと思うんだよ。

日の呼吸の使い手(というか継承した竈門家)の特性なのかもしれないけれど、炭治郎も禰豆子も、鬼の血を自分なりに制御できていた(と考えられる)。

炭治郎の子孫の炭彦が超人的な身体能力を持っていながらよく眠るのは、鬼の血は現代にいたるまで受け継がれている(完全に消えてはいない)と考えられる。

禰豆子は眠ることで鬼の食欲を抑えていたので、炭彦にもぼんやりとだけどその力があるのではないか。

そう考えると、鬼滅の刃をそのまま続編にするよりは、子孫の代で鬼の力を逆に利用する現代物異能で同じ世界観の別のストーリーにする方が可能性が高くないかな、と思う。

新作を用意するにしても、鬼滅の刃の売れ方を利用しない手はないと思う。だからといってあそこまで綺麗に完結させた物語なので、どう続けてもあそこから続編にすると蛇足になってしまうしね。


個人的に気になったところ

冨岡義勇と添い遂げた女がいたんか??

子孫の話で一番びっくりしたのそこだよ!伊之助とアオイの子孫がいたことよりも、冨岡義勇と添い遂げた女がいたことにびっくりだよ!

しかも義勇さん、痣者になったから恐らく短命だったんだよ!!

あまりにも衝撃だったんですが、フォロワーさんが「多分影の人とか、事情を知っている人と懇意になったのでは」と言われて、なるほど!となりました。

産屋敷や鬼殺隊の関係者なら、義勇が口下手なことも知っているし、戦いの中で恩義などがあって懸想できる程度に想いがあってもおかしくはないな……。

いやそれにしても、恐ろしく結婚している図式が浮かばないな、義勇さん……。

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