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残酷を学ぶということ

鬼滅の刃が残酷かどうかについてネットで色々紛糾しているけれども、そもそも大して少年ジャンプと対象年齢層が変わらんであろう進撃の巨人が別冊少年マガジンで連載されていたのはいいんかい?倫理観で言うなら鬼滅はだいぶ進撃よりも教育にいいぞ?という顔をキメていた。

自分の常識、他人の非常識である。

私は牛飼いの娘だったので、子供の頃から日常的にモツを見て育ったわけだが、残酷な物語はそこそこに好きだけどグロは大して好きではない。

日常的にモツを見るというのは、乳牛を飼っておると子牛と共に胎盤がはがれて出てくるし、なんならたまに子宮とか腸とか出すやつもいるので……。いるんだよ。今更グロくらいで何じゃ。

グロ=残酷ではない。

ここは割と勘違いされがちなところではないかと思う。

グロ=残酷ではない。

大事なことなので2回言った。


首が飛ぼうがモツが出ようが、そいつはグロであって残酷とはまたちょっと違うのである。

残酷というのなら、報われない現実とかの方が残酷なんである。

グロとセットになることが多いだけで残酷=グロではない。と、少なくとも私は思っている。

グロに対して残酷表現、という言い方をすることがあるので、グロ=残酷と思いそうだが、単なるグロっていうならもう北斗の拳の頃までさかのぼってしまうと目も当てられないことになるんですけど、北斗の拳、世紀末だけどそんなに「ざんこくぅ!」って感じがしないのは、残酷に対して報われないことが少ないというか、ある意味カラッとした物理的な強さによる解決がなされているからではないか。

そもそも、子供は教えないと何が残酷であるかを理解しない。

虫の足をもいだことのある子供はけっこういる。

芋虫をちぎったことがあるやつも。

少なくとも私が子供の頃は、同級生に一定数そういうやつがいた。

イトコが小さかったころ、夏の花火に飛び込んできたコガネムシや蛾を燃やして殺していたことがあった。

本来、そっちの方が漫画の流血表現よりも、ずっと残酷なことのはずである。

そういうことを残酷だと教えていかねばならないはず。

むしろ、人間の命を脅かす鬼を排除するだけではなく、その鬼の最期に心を寄せ配慮をする主人公、命を奪うということ、残酷がなんであるかということを教えるための見本としてよくできすぎている。


残酷のポイントはグロそのものではなく、無慈悲さにある。(自論)


とりあえず人が死ねば残酷だと思うのは、中学二年生あたりで終わりにしなければいけない発想だと私は思う。


というか~~~~ここから先いいことを言った感を台無しにする個人的なアレなんですけど~~~~。

手を尽くしてもダメだった時の絶望感、虚無感、希望を一瞬で断たれる時の瞬間とかが残酷のエモポイントなんで、ただのグロはグロでしかなくて残酷って言うの辞めて欲しいんですけど~~~。

もっと感情の話をして、感情の~~~。

エモの話をしろよ~~~~。

子供だって、ただグロなだけじゃおもしろくねーんですよ!!!

つうか刃物で首をきられてブシャーってするのなんて当たり前体操でしょうが!!そんなのよりミンキーモモで主人公が交通事故で死んだ時の方が百倍ショックだったっつーの!!!ちくしょう年齢がばれるな!!!!


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