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情緒ナイナイファミリー戦国時代

丁度ツイッターで家族の話になっていたので。

割とオタク界隈、虐待サバイバーみたいなしんどい家庭の子が多いので、おばちゃんは心配になることがある。

私は親をあんまり親と思っていない情緒ナイナイの民なので、しょせん別個体の人間であるから仲良くしなくても大丈夫、家を出ちゃいな!と思ってしまうけど、現実として家族というものは問題があってもなかなか離れられないものなのだろう。私がちょっと特別に情緒ナイナイの民なだけで……。

せっかくなので、情緒ナイナイなマイファミリーの話でもしようかと思う。


我が家の家族は全員コミュ障である。


唯一何となくウェイ系である兄ですら、コミュニケーション強者とは言い難い。

父は必要な時だけコミュ強モードを発動するが、家の中では必要な日本語すら喋らない。ボディランゲージは日本語ではない。

母は還暦をこえてなお「お母さん友達一人もいない」とドヤ顔で言う。それはドヤるところではない。

兄は何となく八方美人にいい顔をするウェイ系であるが、妹は無条件で兄を慕ってくれると思っていたり、自分より強い相手には言いなりになったり、あと恋愛ごと100%の確率で相手から告白され、100%の確率で相手に捨てられる。モテ期が瞬間最大風速で過ぎ去る。

ちなみに祖父も何も話さないオブ話さない人で、唯一コミュニケーションの塊のような存在だった祖母が誰よりも早く亡くなったので、我が家はコミュ障戦国時代に突入した。

誰に言われるでもなく勝手に本を読んで勝手にオタクになった、家族のことを誰ひとりとして家族のように認識しない私。(だって、会話が成立しないから……)

中学になったら普通に妹の方が成績が良かったので兄貴ヅラしづらくなって、私に(ヘタレなのでケガをしない程度に)蹴りをかましてくる兄貴。

百点を取ってきた娘に「私だって本当は〇〇(幼馴染)のお母さんみたいにうちの子供できがいいって自慢したいけど、イヤなヤツって思われるからできないんだよ!」と謎の逆ギレをかます母(知らんがな。というかこの場には家族しかおらんがな。普通に褒めろや)

普段必要な日本語を話さない癖に、たまに「自分がこう思うからお前は間違っている」という怒り方をしてくるし、一度そうなると何度言ってもまるで他人の話を聞かない父。

コミュ障戦国時代である。群雄割拠である。

なお、限界集落ド田舎で回りには店どころか民家すらほとんどなく、学校も中学まで一クラスしかなく、高校も大半が同じところにいくので人間関係から脱出する機会は一切ないものとする。


そうだ、進学しよう。(高校生になった頃の私の悟り)


母「うちそんなにお金持ちじゃないので大学は無理。あと道内にして」

私「そっすか。まぁ、学費払ってもらうんだからしかたない」

~数年後~

母「大学だったら奨学金のもらえる額違うの? じゃあ大学でも良かったね。せっかく大学いける成績あったのに~」

私「待って? そんな基本的なことすら調べずに大学反対したんです?」


父「一人暮らしは許さん!!寮に入れ!!」

私「学生のうちから一人暮らしに慣れておきたいんだけど」

父「一人暮らしで遊びたいんだろ!!」

私「人の話聞けよ」


情緒のない家庭の情緒のない攻防戦である。

一言説明して、一つ余分に考えるだけで解決したことを、

誰も!何も!話をしないし聞かないので!

全く解決しない!!


それでも私は進学して、都会の荒波にもまれて、なんやかんや色々あって多少は補正がかかったのだが(まぁ、世間的に見れば100%コミュ障ですけどね??)地元にいる両親&兄は補正をかける機会もない。

むしろ閉じられた世界で閉じられたコミュニケーションを続けているので田舎にしか通じないコミュニケーションに特化しすぎてしまっていて、ますます私とのコミュニケーションができなくなる。深刻なバグ。

あまりにも話が通じなさすぎて、兄貴が結構酷いやらかしを私にぶちかました時「何か妹の私の方が、勝手に色々納得してくれるから楽じゃろ」みたいな感じで「あんたの方が折れて❤」とのたまってきたので、5年くらい半絶縁状態になりながらめちゃくちゃメンタルをボコり返した。

こういうことをしていると「親にお世話になったのに、感謝の気持ちがない」とか、「社会人なのに大人げない」とか言ってくるのであるが、子供への投資額=親への感謝ではないし、前述の通り我が家は大変に情緒ナイナイヒューマンの戦国時代だったので、本気でボコらなければ話が通じないのである。

思春期の反抗期、(多分父を相手にキレるのは怖いので)妹の私に殴る蹴るをしまくって尊敬の念をゼロどころかマイナスにさせた兄は、私が小説で賞を獲った時「ちゃんとお父さんに報告しろよ」と偉そうに電話をかけてきたのだが、実はチューハイを飲みながら「妹は俺の知らない言葉をたくさん知ってるし、小説で賞を取ったのに俺はなんもできてない。俺はだめな兄貴……」とクダを巻いていたことが母の証言により判明している。

ところで兄貴、私が貴方を尊敬しないのは、貴方が何もしないのに私を蹴ってきたりツバをはいてきたりした過去の実績によるもので、小説のことは1ミクロンも関係ないです。

そもそも、小説の賞を獲ったことを、私は母にしか言わなかったし、絶対にややこしくなるので父と兄には言わないようにとクギを指したのだが、普通に家族どころか親戚全員に情報を拡散していた。母、そういうところだぞ。

父は読みもしないのに地元の本を買い占めようとした。止めた。


母「いいことなんだからみんなに言わないと」

私「兄と父の暴走を見ても、私の意思を全部無視したことを正当化なさるか」


母、友達がいないことと取り柄がない(と思っている)のがコンプレックスなので、かわりに私のことを自慢したかったらしい。(でもご近所さんには世間体とか考えてできないので身内に広める)


や め ろ 。


情緒ナイナイファミリーの我が家であるが、(とりあえず兄貴には近づきたくないものの)一応円満家庭である。

別にそこに愛がないわけではないのであるが、愛の方向性が家族それぞれ全くかみ合っていないのである。


上京を決めた時、父は言った。

父「東京で遊びたいのか?」

私「なんでぇ?都会に行く=遊ぶって発想しかねーんですかぁ?」


ちなみに母はこういった。


母「札幌を出るなら東京じゃなく地元の方に戻ってくればいいのに」

私「私はぁ!仕事を探しにぃ!東京にいきまぁす!札幌より田舎にいってどうすんの?」

母「車の免許を取るお金位なら出してあげるよ」

私「冷静になって母。多分車の維持費と給料の差額の方が、東京の家賃よりもでかいです。あとそっちに私ができる仕事ねーから!」

母「仕事はお父さんのコネで!」

私「地元のクローズドサークルに私を取り込むのをやめろぉ!」


兄は言った。


兄「Amazonの通販の仕方わからねーから友達に設定してもらった」

私「おい、私と2つしか違わないのになんでその程度のネットリテラシーで生きてるんだよ。」


兄は地元以外で生きていけないと思うので、永遠に地元にいてくれ。


別に虐待されたことはないし(兄、お前は別だ)、ロスジェネ直撃世代で就職難民になり、一人暮らしでも余裕ができるほどいい仕事にも恵まれず(私がコミュ障すぎてあんまり正社員職にありつけなかったのもあるが)親に金銭面的に世話になった回数が多いのは事実であるし、そこに感謝がないわけではないのだけど、それはそれとして要所要所で子供に金を出すこと以外のコミュニケーション的な方面の愛情の示し方が絶望的にヘタクソな人間しかいない家庭であるので、機能不全やむなしなのである。

実際、私は実家の手伝いをきちんとするからという理由で、少なくとも田舎でも手に入る範囲で好きな漫画を買いまくれる程度に、周りの子供に比べればいい感じのお小遣いをもらっていたわけだが、そこには「雇い主と従業員」以上の感情が発生するわけではないのだった。だって、やることやってもお小遣い増えるだけで褒められたりとかしないし……。

なんなら、跡取り補正&キレたら面倒くさいという理由で、兄の方がずっとヨシヨシされていたので、私は本当に自分が稼いだお小遣いで自分で勝手に漫画を買い、図書館の気になる本を片っ端から読み、一人で学び一人でオタクになり、そして一人で札幌へ飛び立ったのである。

しかし、そんな情緒ナイナイファミリーでも亀の歩みで前進する。

私が兄と揉めた際にめちゃくちゃに言いまくったタマモノである。

5年もかかったし、私の場合本当にバイトで食いつなぐ限界女生活で「いざという時に親を頼れなくなったら、私は間違いなくのたれ死ぬ」ので必要に迫られてコミュ障なりに私よりさらにコミュ障の親を、説教し、説得し、ほめて伸ばして叱りつけて補正をかけた。

その上で2年前上京した時に「遊びにいくのか」とか「地元に帰って」とかのたまったので、私の労力とは?と思わないでもないのだが、それでも両親の価値観は微妙にアップデートされているのである。


父「お前の結婚についてはもう諦めてるし、変な男と結婚するよりは……老後の面倒は子供には見させないから大丈夫」

母「今は子供に面倒みさせる時代じゃないし、子供が産めない人とか、同性カップルの人とかもいるんだから、そういう時代じゃないのよね~」


顔を合わせれば「結婚は早めの方が~」「子供を産まないと~」とか言ってた両親が、今やこれである。

15年かけて結婚して家庭を持つことが重要な時代ではないことを啓蒙し続けていたら、いつのまにかLGBTQへのご理解まで獲得していた我が両親である。情緒ナイナイファミリーなのに、そこはちゃんとご理解するのか……。

しかし、これは私の功績である。15年かけて啓蒙した功績である。


両親は私が育てた。



余談であるが、情緒ナイナイファミリーではあるけど別に上手くいっていないというわけではないし、母は普通に東京に遊びにきたし、父はボランティア手品師として今も元気にやってます。

兄のことは知らんけど、何も言ってこないので多分元気!


まぁ、色々語ったけど壊滅的なほどの毒親ではない我が家ですら私はこんな情緒ナイナイの子供に育っているので、殴る蹴るしてくるような親は親と思わなくてもいいと思うよ!

進学でも就職でもいいから、高校まで出たら理由つけて飛び立とうぜ!

ユーキャンフライ!

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