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ホラー嫌いだった私へ

『近畿地方のある場所について』を読んだ。
感想は気が向いたら読書記録マガジンに追加するとして、驚くべきところは、昔あんなに怖い話が大嫌いだった私がこの本を買って、さほど怖がらずに読み切ったことである。
『ヴァチカンのエクソシスト』も『M3GAN/ミーガン』も全然怖くなかったし(ミーガンは微妙にホラーの文脈が違いそうだけど)、ジャンプスケア系があまり好きじゃないから本編は観なかったけど、『ミンナのウタ』のバリバリホラーな予告編を見せられた時も平気だった。
あんなに怖がりだったのに……!

ホラーに対して鈍化しきっている感のある今の私からすると嘘みたいな話なのだが、私は大のホラー嫌いだったのである。
学校の怪談レベルの怖い話でギャン泣きするほど、ホラーがダメだったのである。私は実家のトイレ(古い家だったのでボットンだった)が怖すぎて結構大きくなるまで夜中に一人でトイレいけなかった女……。

学校の先生って、なんで泣いて嫌がっている児童がいても夏場に怖い話するんだろうね。義務なの? 泣いて嫌がる子に怖い話聞かせてなんか得することある? イジメじゃない? ホラーが平気になった今でも、私は納得してないよ。怖がっている子に怖い話を無理やり聞かせるな。
特にイヤだったのは、赤いちゃんちゃんこの怪談でしたね。学校も校舎が古くて建て替えるまではボットントイレだったんで……怖さがマシマシに。なんだ私、ボットントイレに呪われてるのか?

今でも何となく学校の怪談系はあんまり好きじゃなくて、怖いからじゃなくて「怖い話を無理やり聞かされるのが心の底から嫌だったから」なんですよねぇ。怖いからというより、嫌。ひたすらに、嫌な思い出しかないのでダメ。

ホラーをさほど怖いと思わなくなっても、怖がりだったころの底知れない恐怖感を忘れたわけじゃないんですよ。むしろ覚えているからこそ、あの頃の恐怖感を超える恐怖に出会えないんですよね。あの頃想像していたものの方が百倍くらい怖かったから。

あと、ホラーの怖さって一種の「わからなさ」にあると思います。何をするのか、どうなるのかわからないものへの恐怖。
歳を重ねて世の中の色んなことがわかっていくにつれて「わからない恐怖」を感じる機会が減ったので、怖がる必要がなくなったのだと思います。

あと、これ前にも書いた気がするんですけど、昔、霊感のある友達がいて、心霊スポットにいったら幽霊たちがウェイウェイバカ騒ぎしていたりとか、峠で背中に張り付いてきた女の幽霊が生前の愚痴を延々と垂れ流して、峠を越えたら満足して去っていった話とか聞かされて……。
いや、全然怖くないな。こんな怖くない怪談ってある??ってなって。
それが20歳くらいの頃の話なんですけど。なんかこの怖くない怪談を聞いたあたりで私の中で革命が起こって、ホラーを全然怖がらなくなったんですよね。

そういう色々な「ホラー、意外と怖くないんじゃない?」という気持ちの積み重ねがあって、今の大体何でも怖くない私ができあがったんだろうなぁ。

でも、なんとなくあの激しい恐怖感と同じくらいの強い感情を抱いてみたい好奇心みたいなものも感じる。だからちまちまホラーを読んだり観たりしているんですけど、あの子供から思春期にかけての激しい感情をおばちゃんになった私が持つのはなかなか難しいかな。

何となく映画だと、ガチガチの幽霊ものや殺人鬼ものよりは、サイコサスペンスとかの方が好きかなぁ。ジャパニーズホラーはあまり観ていません。

ホラー大丈夫になった話をすると、高確率で『残穢』を勧められるのですが、あらすじから察するに何となく嫌な気分で終わりそうなので、読んでいません。なんか引っ越すのが嫌になりそうだし……。引っ越す予定ないけど。
そもそもホラーに読後感の良さを期待するなという話をされたら、それはそう。でも何か私には合わない気がして読んでいない。
でも『近畿地方のある場所について』を読み切ったんなら、いけるんとちゃうかと思わないでもない。

『ヴァチカンのエクソシスト』みたいに、途中はバリバリのホラーだけどハッピーエンドになる映画もあるし。『ラストナイト・イン・ソーホー』みたいなちょっとビターなエンドも好きだよ。

こうして考えると、私、洋物のホラー映画ばかり観てるな……。

小説では『リング』を読みました。映画版観たら怖いんかなー、と思いながら読んでいた。平気だった。原作では貞子テレビから出てこないんだね。

平気だな……案外平気だな……って思いながら、私はホラーを摂取している。思春期の怖がりだった自分に、今の私のことを見せたら驚くだろうなぁ、と思いながら。

『エクソシスト 信じる者』は観に行こうかな。また洋物じゃないかい!


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