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after 社会人選手権 ”2015/2016 監督1年目”

2015年5月1日から監督に就任し最初の社会人選手権を終えて、大会後に改めてこのチームの現状を整理し、課題を抽出し、優先順位をつけてアクションに起こす日々が続いた。

「世界と対峙している人間に触れること」「ハンドボールでお金を稼ぐこと」「からだ作り」「栄養補給」など、この時期に行った幾つかの取り組みを振り返ってみよう思う。

とその前に今回のnoteは、下記のnote(社会人選手権編)の続編で御座候。

「三重バイオレットアイリス×銘苅淳 ハンドボールコラボイベント」

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6月15日の三重バイオレットアイリス×銘苅クリニックには全国から51名の参加者が鈴鹿に集まってくれた。三重県内はもちろん、東京、福井、大阪、京都、滋賀、岐阜、愛知県と平日の夜開催にも関わらず本当に多く方が鈴鹿に足を運んでくれた。(参加者は、小学生、中学生、高校生、大学生、指導者、ご父兄、ファンなど多種多様)

銘苅さん(今季からオムロンのコーチ就任)は皆さんご存知の通り、ハンガリー1部リーグでの得点王経験(日本人として欧州主要リーグで初得点王)もある世界を知る男だ。(2019/2020シーズンまでは北陸電力ブルーサンダー在籍)

彼との出会いは彼がまだ筑波大学の学生時代の頃だ。2007年の夏まで遡る。僕がドイツでの1シーズン目を終えて、シーズンオフを利用して一時帰国中のことだ。沖縄開催のハンドボールクリニックに当時大学生だった彼がきてくれた。「櫛田さん、教育実習で沖縄に帰ってきているんで、クリニックのお手伝いに行ってもいいですか?」そんな感じでmixiからだったかな、連絡をくれて一緒に沖縄の子供達に指導したのがきっかけだ。

その後、彼はトヨタ車体に、僕は北陸電力に、加入し何度か選手としても対戦した。その後銘苅は一念発起してハンガリーリーグに渡り、スペインリーグを経由して北陸電力ブルーサンダーへ加入。

「そんな世界のMekaruを三重県内はもちろん、全国のハンドボール愛好家と直接触れ合う機会を作れないだろうか?その環境作りを三重バイオレットアイリスとして出来ないだろうか?」と社会人選手権の出発前に思って、直ぐさま動き出していた。

この時、北陸電力時代にJr.チームのコーチをさせてもらっていた福井の鍋ちゃんが授業を終えてから三重まで親子で来てくれたり、滋賀医大の学生が滋賀から来てくれたり、そこにバイオレットの選手もいて、三重県のハンドボール関係者もいて、そこの歩くパワースポット銘苅も居てって感じだった。

当時、小学5年生の鍋ちゃんなんて「将来、海外でプレーする為には今はどんな事をするといいですか?」ってその他50名の参加者の皆さんの前で堂々と世界のMekaruに質問したもんね。

「三重県高体連技術講習会 with ブンデスリーガー Akira」

7月12日は三重県内の高校生男女&指導者対象の技術講習会。生徒が約100名、指導者が約50名、コートは2面で3時間。こんな条件で依頼を頂いた。

僕が全体のプラグラム作成&進行を行い、バイオレットの選手達がデモンストレーター&各グループのサポート役を務める形で進行。

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こんな感じで、子供たちの中にバイオレットの選手がサポート役で参加。(なんて豪華な。はい、今は世界の池原さんも子供たちと一緒に)

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ゴール型ボールスポーツのゲーム構造を説明。

「セットOF⇒バックチェック⇒セットDF⇒速攻」この循環でゴール型のボールゲームは成り立っている。

そのどの部分の練習かって言うのを理解しながら指導すること、練習することが大切だ。

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この後ろ姿わかるかな?(そうです。ご存知 Akira Kajihara)

最後はゲストコーチのエムスデッテン(ドイツ)の梶原サン(現梶原GM)が登場、サイドシュート&GKについて20分程のスペシャルクリニック炸裂。

実はこのタイミングで現梶原GMは、初めて鈴鹿を訪れて色々と下見に来ていたのだ。

更には下見に留まらず、「バイオレット・ドリーム」と題して地元企業さん&行政の皆さんなど多くの方にお集まり頂き今後のバイオレットの展望についてお話しさせもらったのだ。

ちなみに、これは2015年7月の話で、この後彼は再びドイツに戻り、2016年になって本格合流に至るのだ。

「計画的なフィジカル強化と栄養補給  ~Made in Suzuka~」

所謂「心技体」の「心」と「技」の部分は社会人選手権前から少しずつアプローチしてきた。「体」の部分は、チームに合流してから、選手に「ここは社会人選手権後にじっくりと取り組んでいく、今はこれまで自分達がやってきたやり方を継続してもらっていいよ」と伝えてあった。

大会終了後の6月からウエイトトレーニングのフォーム作りに着手。最初は自重からのスタートだった。(この頃は自分たちが自由にかつ定期的に使えるトレーニング場所がなく、その調整にも四苦八苦だった)

8月15、16日の国体予選に向けて6月末から5週間のトレーニングサイクルを組んだ。トレーニングサイクル導入前と導入後(国体予選直前)とでフィールドテスト、形態測定を実施した。

フォーム固めを行い、トレーニング頻度を保ち、トレーニング強度を少しずつ上げていく、大会前に過去最強の自分になる。今では、当たり前にできるようになったトレーニングの期分け(ピリオダイゼーション)も、選手にとっては初めての経験だったかもしれない。

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(それにしても、メンバー懐かしっ)

上記の計画的なフィジカルトレーニングに加えて、「栄養補給」という観点から、専門家に協力してもらうようになった。まずは選手全員の食事実態の調査を栄養士に依頼した。鈴鹿大学短期学部の栄養士の先生と研究室の学生さんが、選手の食事内容を調査してくださった。

縁があって、「おふくろさん弁当」の当時の社長さんにチームの目標や現状、そして社会人選手権以降の取り組みについて説明する機会を頂いた。この「おふくろさん弁当」の食材は地元の農場・鈴鹿ファームでとれた野菜ばかり。その鈴鹿産の野菜を、栄養士のアドバイスの元、おふくろさん弁当が手作りで料理して、選手は練習直後に食べる。

食事とは「人を良くする事」と書く。

鈴鹿の土で育ち、鈴鹿で収穫された食材を、鈴鹿の栄養士&学生がアドバイスをして、鈴鹿の手作りお弁当屋さんが料理して、鈴鹿を拠点に頑張っている選手がその手作りお弁当を食べて身体作りをする。そして鈴鹿から日本一、世界を目指している。

この取組みに関わってくださっている方には、クラブの理念や目標を何度もお話させて頂いた。

「自分達が関わったもの(育てた野菜、作った料理)が選手の身体に入って、日本一を一緒に目指せると思うとワクワクしますね。」と鈴鹿ファーム&おふくろさん弁当の皆さん。

「これまで何となく、栄養士になる勉強をしてきたけど、トップチームの栄養プログラムに関わる事が出来るなんて…もっと真剣というか本気で色々と考えてみたくなりました。」と栄養士の卵の学生。

「学生達の目の色が変わってきました。アルバイトを少し減らしてでも、バイオレットの選手達と色々やってみたいと話してくれる子が出てきましたよ」と栄養士の先生。

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選手には「自分がコートに立つため何人もの人が関わっている。もう自分一人だけじゃ身体じゃない」そんな意識が芽生えつつあった。

年一回のクリーン活動だとか、年一回のハンドボール教室だとか、そういうのも必要なのかもしれない。しかし「実施すること自体が目的になってしまっていないだろうか?」とずっと疑問に感じていた。

もっと本質的な部分で「地域と共に活動する。地域と共に日本一、世界を目指す。」というのはこういう事じゃないのかなと。

そうそう国体東海予選の一週間前にフィールドテスト&形態測定を実施したが、筋力量&除脂肪体重が上がっている選手、遠くに跳べて、速く走る事ができるようになっている選手が殆どだった。

人は変わっても理念は変わらず

こんな感じで、この時期から今のバイオレットに繋がる様々なアプローチが始まりつつあった。「元ある資源をいかに活かすか、必要であれば根本的に何かを変えるか」日々この繰り返しだった。

この頃に触れた世界の刺激を元に新天地に羽ばたいた選手もいれば、世界基準を持ってバイオレット加わってくれた選手やスタッフもいる。

この頃から幾分、人の出入りはあっても、理念は変わらずに、伝統を守りながら新しい文化をみんなで築き上げつつあるそんな頃の話だ。


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