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訃報に思う

立て続けに知り合いの訃報が飛び込んできました。

身内の方の悲しみは想像を絶するものがありますが、人生のひと時を一緒に過ごさせていただいた私の脳裏にも、その方々の笑顔や姿がはっきりと浮かび、もうこの世にいらっしゃらないという事実が受け入れられず、今はただただ呆然としています。

運命を変えられるというおごり

この年齢になってくると、櫛の歯がぬけていくように、また一人、また一人とぽつりぽつりと逝ってしまわれる方が増えてきました。

自然の摂理とはいえ、本当に悲しく、やるせなくなります。

そのうちの私より若い友人は、「奈緒さん、ご飯いきましょう!」とついこないだ誘ってくれていたのですが、私にはコロナリスク持ちの家族がいるため「コロナが落ち着いたらぜひぜひいきましょう!」とお返事していました。

もし私が一緒にご飯をしていたら、その人の運命が少しだけずれてまだ生きていたのではないだろうか。気がついたらぼんやりとそんな自責の念に駆られている自分がいました。

よく聞く話ですが、本来乗るはずだった次の便にたまたま何かのきっかけで乗ることになったら墜落してしまった、また逆のパターンで命が助かったなど、運命のいたずらとしか思えないことがたびたび起こります。

ほんの少し道をずらすように、自分にできたことがあったのではないだろうか、そんな思いが頭をよぎりました。


でも冷静に考えると、それは完全なおごりです。

私はその人の運命を変えられるほど生活が近かったわけではありませんし、私にできたことなんてきっと無かったでしょう。

世の中の人の全ての願いを聞き届けてくれる”大いなる存在”がいるのなら、病気や天災などで人が亡くなることはないはずですが、実際は違います。

人は突然にあっけなく亡くなくなります。

その度に、私たちが命のチェーンを太古から繋ぐための、たった一つの要素にすぎないことを思い知らされます。


失ってはじめてわかるもの

だからこそ、一期一会という言葉が、最近実感を伴って沁みてくるようになってきました。

喜怒哀楽を分かち合える家族や友人がいるということ、安心して寝られる家があるということ、食べるものがあるということ。

そういうものは明日も10年後も当たり前にあるものだと思って、とりたてて普段意識しなかったりしますが、ある日無情にも失われることがあります。

以前顔面麻痺になったときに、「笑う」ということがいかに緻密な神経の調整の上に成り立っていたのかを思い知らされたのですが、当たり前の日常というのが実はものすごい奇跡の連続の上に成り立っているということを、最近ますますはっきりと感じるようになりました。


手垢のついた言葉ですが、「失ってはじめて、自分が手にしていたものの価値がわかる」。

若さも健康も、それが当たり前のときは意識もしないけれど、こぼれ落ちていくようになってはじめて、それがどれだけ貴重なものだったのかがわかります。

太古の昔から、多くの賢人たちは繰り返し繰り返しこのような言葉を遺してくれているのに、100年かそこらでリセットされてしまう寿命のせいで、自身が気がつくのは本当に難しい。

だからこそ、今私のまわりにいてくれる大切な人たちが「いてくれること」「一緒に時間を過ごせること」、生きながらえさせてくれる環境が「あってくれること」に、もう有り難さしか感じえません。


最期の言葉

こんな話があります。

「アウシュヴィッツに送られる電車の中で、大切な靴を無くした弟を叱責したら、それがこの世で交わした最期の言葉になってしまった」と。


「行ってきます」と家を後にした配偶者の姿を見たのは、それが最期だったのかもしれません。

「また明日ね」と電話で聞いた友人の声は、それが最期だったのかもしれません。

「こんなこともできないの!」と叱った子供の顔を見たのは、それが最期だったのかもしれません。


「あのときにああしていれば」と私も後悔をしてばかりですが、それでも少しでも後悔は減らしたい、そう思います。

会えなくなってから、失ってから、では遅すぎる。



自然にとっては命のチェーンのたった一つであっても、その存在は限りなく大きくて、唯一無二のあなたがもうこの世にいなくて、とてもとても悲しい。

どうか安らかに。


合掌。



こちらの動画の一番最後に、アウシュヴィッツの話が出てきます






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