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裏切らない友達が欲しいですか?

先日、ある大学生が「私のお母さん、友達少ないんだよね。」と言うので、「私もほとんどいないよ。そんなもんじゃないの?」と答えました。若い彼女は「へぇ...。」と言ったきり返答に苦慮しているようでした。

私は20代の頃、母親に「お母さんなんてほとんど友達いないじゃんっ!」と喧嘩の最中に口走ったことがあります。糖尿病を患って視力をほとんど失っていた彼女に対して、私はずいぶんひどいことを言ったものだ、と思い出すたび胸が苦しくなります。

若い時、とりわけ学生時代には、友達作りが非常に大切に思われます。新しい学校、新しいクラス、新しい部活...。新たな扉を開く時、誰しも不安を抱くものです、友達できるかなぁって。そして、ひとり、ふたり、と仲良くできる人が見つかると安心します。

でも、今は本当に大変です。生身の人間関係に加えてSNSなどを通じた関係もあるのですから。人間関係は複雑化の一途を辿り、多くの人々が大なり小なり問題を抱えるようになりました。先に触れた女子大生が言うには、自分の個人的な話をすると、「あいつ、『自分語り』して、うぜえ!」となるのだそうです。「自分のことを話さずにどうやって分かり合える関係作りをするの?」と彼女は悩んでいました。

ところで、私がインスタフォローしているGACKTさんが、ある時このように呟いていました。

”ボクは傷つくことはない 何故かって? 他人に何も期待してないからさ オマエが傷つくのはいつも誰かに何かを期待し裏切られたと思っているからだろ? もうそろそろ気づいたらどうだ? 他人に期待するのはやめろ それはただのオマエのエゴだ”

人は勝手に相手に対して期待します。そして自分の思う通りに相手が動かなければ「裏切られた」と感じる。本当に人って自分勝手です。

神さまであるイエス・キリストでさえも裏切りに会いました。とても近しい人間、ユダからの裏切りです。イエスはその裏切りによってご自身の命を失うことになりました。ダビンチの作品「最後の晩餐」の中で、ユダはイエスを売った銀30枚が入った小袋を、右手にしっかりと握りしめています。(向かって左から5人目)

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そしてなんと!それだけではありませんでした。ユダよりももっと近しい、最愛の弟子ペテロからも「私はあの人を知りません。(ルカ22章57節)」と見捨てられてしまったのです。

イエスは全能の神です。ペテロやユダをはじめ、全員の弟子がご自分を見捨てて逃げ去って行くことを、最初から全てご存知だったはずです。それでもなお、彼らを選び、教え導き、ご自分の近くに置き、愛し続けました。

「将来絶対に自分を裏切る」と分かっていながらどうしてその人を愛せるでしょうか、信頼できるでしょうか。まったく理解できません、でもそれが私たちを愛してくださる神さまなのです。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネの福音書 15章13節


裏切らない友達が必要ですか? 

イエスさまは完全にあなたの味方です。

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