ウィスとドブのゴキブリたち(小説)

 私はこんなに素晴らしいのに、どうしてあなたは顔を背けるの?

 初めまして、こんにちは。
私は天使の、ルシオと言います。仕事はそうですね、神様からサンプリングされた人間の一生を描く、小説家というものでしょうか。ふふ、そんな存在が目の前に現れて驚きましたか? そうですね、普段ならこんな月夜の晩、人間の住む家の窓になんて現れません。これでもそこそこは忙しいので、あまりそうするのこともできません。おおっと、そこで祈らなくても良いのです。祈るほどのものではありませんから……ただ私は、あなたに私の見た人間について語りたいのです。この物語は人間の一つの形として、天国の図書館へと埋蔵されるだけでしょう。でもね私の中でも、とびきり興味深い人間でしたので、どこかにお裾分けしたかったのですよ。あなたも……そう、小説書きですか。では、楽しんでくれるのではないでしょうか。

 それにしても、不思議と思いませんか。
 どうして人は、変わってしまうのでしょうね。

 ああ、ありがとう。紅茶ですか……なかなか飲めたモノではありませんね。
蜂蜜入りとはありがたい、甘党なのですよ。さて、ではその子のお話をしましょう。
 彼女はそうあまり生まれて、幸せとは言えなかったと思います。
母親から、あまり可愛がられなかったようですね。何をしても、例えば。
「お花を摘んできたの! あげる!」と言ったら。
「早く手を洗ってきなさい。また汚しちゃって、ゴミも捨てなさい」
 そうさらりと言われていました。彼女、茶色の髪が美しくて、もっと綺麗にされていたら、いろいろな人に褒められたでしょうね。でも、母親はろくにそれをやらなかった。彼女、仮称をつけましょうか。ウィスはそういう育ちだったんです。ウィスに母親のあたりがきつかったのには理由があったのか……? いえ、特段の理由は……強いて言うなら想定していなかった出産ではありました。でもウィスの兄も想定していなかった出産でしたが、母親はとても可愛がっていたようです。なんでしょうね、なんとなく、気に入らなかったのでしょう。特に理由はなくても、そういうことはあるのですよ。ウィスは何をしてもあまり褒められないし、段々怒られなくもなりました。完全というわけではないのですが、放置されてしまったのですね。兄の受験で家族の意識が兄に向いてしまったからでしょう。ウィスはつまらなくて、物語を考えるようになりました。兄がいなければ、自分のことを家族は見てくれるかもしれない。でも兄は実際にはいるので、どうにもならない。家族に彼女は憎悪を抱えるようになっていきました。理解してくれない人なんて、家族でも許せない。彼女は根底でずっと、世界を恨んでいたのです。だけどそれをウィスは表に出しませんでした。むしろ人をないがしろにする人間を許さないといじめっ子を追い払うウィスは、傍から見れば人徳のある子供だったんです。そうしてウィスは満足していたのです。でも心の中では、その世界であり続けるために、いじめっ子のような外敵を必要としていたのですがね。でもその心はとても純真でした。ええ、とても純真だったんです。

 ウィスが泥だらけの喧嘩をしてでも、いじめっ子を追い払った時の心は、誰かを自分のような目に遭わせたくないという、正義の心に満ちていました。

 ウィスはそんな風に人を助けていた頃、ある作文コンテストがありました。
物語のような形式で、自分の夢のアイテムを語るという命題のコンテストでした。彼女はそこで「良いところ発見機」というものを使って、住んでいる町の皆の良いところを発見して、皆が幸せになるという物語でした。その年の子供が描く物語にしてはよく出来ていました。ええ、ウィスは才能があったのでしょう。まるで双葉のような、ほのかな才能でしたが。確かにありました。
 でもウィスにとって賞よりも、もっと重要なことがその場で起きていました。
ウィスの家族のことを知っている審査員が声をかけてきたのです。
「お兄さんよりすごいわ! こんな文章を書けるなんて」
「え」
「あなた、きっとすごい作家になるかもしれないわね。これからも頑張って」
「あ、ありがとうございます」
 ウィスは恥ずかしくて、持っていた本で顔を隠しました。顔は真っ赤になって、とても嬉しかったのです。でも何より彼女の心を高揚させたのは。お兄さんよりすごいわという言葉でした。そう、彼女は……。

 兄に、勝ったのだ!
という昏い喜びが胸に満ちた。だって私はいつも兄よりも出来なくて、どんだけなことをしても、家族は兄の面汚しにをしないでと怒ったり邪険にするばかりで、私にもあるのだ! 兄に負けない力が。だって私は兄よりも善い人間に決まってるのに。ただ出来がいいだけの兄よりも、私の方が……!

……私は知っています。ウィスが後年どうなっていったとしても、彼女の最初はただの憐れな少女だったことを知っているのです。少なくとも、自分とは違う者に対して、正面からぶつかりあっていく子でした。今はどうなのでしょうね。

 ウィスは人付き合いはしていましたが、それまで以上に物語作りに没頭していきました。友人のなかではなかなか好評だったようです。でもそれをあまりに外に出したがりはしませんでした。恥ずかしがっていたようです。でも本当は……受け入れてもらえるのか、分からなかったようなのです。ウィスは行動の割には臆病でした。
 彼女は学校を卒業し、働くようになりました。そうすると社会生活においてよくありがちなのですが、自分の人生に対し、つまらなさを覚えたのです。何でしょう、自分というものの価値がよく分からなくなったというか。自分ではない自分でありたいと彼女は、いろいろなことに挑戦していきました。その中の一つが「演技」だったのです。自分ではない自分になれることに、彼女は一つの喜びを見いだしていました。ウィスという人間であることが、心底嫌だったのです。

 ここでなら、私は本当の私でいられる。演技の役を考えている時の私が、本当の私。くだらないしがらみもここにはないんだ!

 本当の自分とは何でしょうか。本当の意思とは何でしょうか。どんな自分であっても、自分ではないのでしょうか。逃げられないのです、決して。死以上に、自分からは。それはウィスとて変わらないのです。
 おや、紅茶がなくなってきましたね、ああ、継ぎ足しを、ありがとう。

「即興劇」という言葉をご存じですか? 
 ある時期、若者を中心になって流行っていたものだそうです。路上とか、講演とか、路地の隅とか、場所はどこでもいいのですが。その場で台本を書いたり用意したりして、演じるものだそうです。その場で演じる台本も配役も、何もかも全てが決まるので、難易度は高いらしいのですが、その手軽さから、はやりに流行ったようですね。ウィスは演技活動を通じて、即興劇をはじめました。
 最初は演者として、即興で出される台本を演じていたのです。即興劇は見てくれる観客にも褒められますが、何よりも演じている演技者同士でも褒められます。何かの公演ではない即興劇は、どうしても「つながり」を意識せざる得ません。オーディションを飛び越せる実力より、演技者同士の繋がりを持っていた方が、より即興劇で遊ぶことが出来たのです。
 ウィスはそのことをよく知っていました。この人、正直微妙な演技だなと思いつつも、人を尊重しない態度は嫌われることは、分かっていました。だけどそれを、何だかなぁとも思っていたのです。自分がその程度と思うものに、へこへこするなんて……と。
 だけど彼女にとってその当時で一番の問題は、演者の対応ではありませんでした。台本だったのです。ウィスが好んだ作風のものがなかったのです。人との関係がとびきり密接になる即興劇では、人間関係のトラブルが絶えませんでした。だから使われる台本の増減が激しかったと言えます。人間関係に疲れたり、嫌になったりして、即興劇から手を引く者もいたそうです。ウィスが台本を書き始めようと思ったのは、数少なかった自分好みの台本が使えなくなったためでした。とびきりの恋愛悲劇、ほろ苦さを含んだ愛……それがウィスの好みでした。でもそんな台本がなくなってしまうのなら、自分で書くしかないと始めたのです。
 台本という形式は初めてでしたが、ウィスでも驚くくらいすらすらとかきすすめられました。ウィスは小説も書くことが出来たのですが、それよりもスムーズに書くことが出来るような感じがしたのです。

 私って、こんなに面白いものを書けるのだ……!
 私の大好きな物語を!

 どうしました、暗い顔をして。そうですか、あなたはプロの小説家だったのですね。そうなってしまうと自由に書けない、自分でも面白いのかどうか。それも判断出来なくなってしまう。そうですね。即興劇には自由があったのですよ。作者も演者も等しく同じ場所になっていますからね……ただその台本が受け入れられるかは、演者次第のところはあったのですが。ではウィスの場合はどうだったのか……彼女の場合は受け入れられました。
 ウィスによって描かれる物語は、即興劇では珍しいほどに情感に満ちあふれていて、人間味あるキャラクターに惹かれる人は多かったのです。

「ウィスさん、台本素晴らしかったです」
 
「ウィスさん、どうやったらあんな台本が書けるんです!」

「次が楽しみだなぁ」

「え、そんな展開が……! さすがだ」

 ウィスは賞賛されました。そもそも即興劇というジャンルの幅は狭く、何かで有名になれば、一気にその名前がひろがるという特性もあったのです。ウィスはどこにいっても名前を知ってもらい、会う人に喜ばれる。

 あなたは、そんなことは望んだことはありませんか? 
どれだけ人と関わっていても満たされないとか、誰かが隣に眠っていても、まるで一人で眠っているようだとか。心が満たされていない、新月の晩を歩いているような気分な人生で、ウィスが味わった賞賛は、どれだけたまらないものだったでしょう。彼女はそこで自分を確立してしまったのですよ。
 自分は何より素晴らしい力がある! そんな力強い考えを。

 ……私はどう思っているか……。
 ええ、ウィスは才能という万能性のある言葉を信じていたのでしょうね。
 ただ彼女の物語作りの力は上手くはあるが、ある一定ラインを超えられていないと感じているものもいたようです。でも即興劇には、そこまでの何かが求められていなかった。もし本当に才能があるのだとしたら、才能というまやかしを信じているものがいれば、即興劇から手を引いて、演劇の方にすすむでしょう。実際にそうする人もいた。彼女はさなぎだったと思います。殻の中でうごめきつづけている……でも、ずっとさなぎではなかったのです。でもその羽化は……。

 あまりに最悪でした。

 あるときから、ウィスはとてもいらいらするようになりました。
 それがどうしてか分かりません。
もし一因として考えられるのなら。
 即興劇は人の流入が激しく、そのため演者の演技レベルには天と地の落差があったことか。進歩する者と進歩しない者の落差が激しかったことか。それとも最近友人が自分の作品を演じていないことに苛立ちを覚えたのか。そもそも即興劇が、演劇にすすめなかったものたちのたまり場とも言われていたことか。
 ウィスの住んでいた国では、演劇がエンターテインメントの王道と呼ばれて人気がありました。その世界に進みたくて、演者を目指す人も多かったのです。だけどプロになるにはあまりに難しい。演技の勉強をしただけで、市井に戻ってきた者は、演技がしたかったのか、それとも狭い世界だとしても人気者になりたかったか、その演技と声で女や男を落としたかったのか。
 そう即興劇はとてもスタンダードにはなり得ない、ごっこ遊びでした。それでいい、楽しければ良いと思う心が即興劇をなりたたせていたのです。
 でも、ウィスはそのなれ合いがまるで自分にまとわりつくような触手のように感じたのです。自分はもっとふさわしい場所があるのだと。

 友人と呼んでいた人間ははたして友人なのだろうか。
 どうして私の作品よりあの人の話をしているのだろう。
ううん、そんなことより私はここにいるべきじゃないんだ。
だって、ここじゃ私はこれ以上は羽ばたけない。
 私にはもっとふさわしいところがある。
 こんなエセモノではないんだ。
 私は本当の意味で、スポットライトを浴びるんだ。

 万雷喝采を。

 私に万雷喝采を!

 ……その頃、台本数が増えてきたこともあって、ウィスの作品は以前ほど演じられなくなったようですね。台本の使われ方も以前よりぞんざいになり、ウィスに対する敬意が見られなくなったのでしょう。それが彼女の心にどこまで影響したか、天使の力を持ってもはかりきれませんでした。だけど彼女はいつも……いつも尊重され愛されたかったのです。人として当然の思いです。でも同時に彼女は、愛を、分かっていたのでしょうか。演者に敬意はあったのでしょうか。
 己のためだけの愛は、結局の所他者を傷つけると言うことを。そしてウィスが欲しがっていた愛の提供がなくなってしまうことを。

 わからないでしょうね、ですか。
ええ、そうですね。……そうですね。
 ウィスのなかには、お腹をすかせて泣き続ける子供がいるのでしょうね。与えてもあたえても、満足できない子供が。
 どうしたら、満足できたのでしょうね。
 私は未だに考えてしまうのです。彼女とは長い付き合いだったので。

 ある日、即興劇をしている同士の集まりがありました。
発起人が人気の演者だったということもあって、たくさんの人々が集まっていました。お茶を飲んだり、お話に興じながら、楽しく過ごしているところで、ぱっっとそれが散らばったのです。それはチラシでした。チラシにはこう書かれていたのです。

「即興劇なんてクソだ! このなれ合いしかない世界なんて馬鹿らしい」

「いつまでも同じの、演技が下手くそなくせに、演者だなんておこがましい」

「なんの進歩もない、だめなやつのたまり場だ!」

「自己顕示欲モンスターの巣窟が!」

 それはウィスの散らした悪意でした。しかし彼女はその言葉をその時はこれ以上にないほどに正しいと思っていたのです。むしろここで言ってあげるのが温情かと。どうせもう戻らないんだしと思っていました。

 皆が唖然として私を見ている。
憐れな人、憐れな人たち、台本がなければどうとでも出来ないのに。
 そんな人たちなんていらない。私は私の進むべき道を歩むんだ。
 なんて今日は朝焼けが赤くて綺麗なんだろう。

 周囲の愕然とした視線が彼女にとってはこれ以上にないほどに、すがすがしかった。自分が尊重されない、どうしようもない世界なんて、潰してしまった方が良いと思ったのでしょうか。そうですね、世界の選別は大事です。彼女にとってもはや即興劇は、選別されるべき対象だったのでしょう。彼女は信じていました、これからもっと良い世界が待っていると。

 でも人生はそんなにうまくいかなかったのです。端的に言えば、彼女は失敗したのですね。羽化しても、蝶にも、何にもなれなかったのです。
 即興劇でたとえどんなに有名だろうと、その有名という言葉が狭い世界であるからこそ、一人歩きしていました。でも井の中の蛙だったんです。皆平等である立ち位置の世界では、彼女は砂漠に放り出された蛙でした。ウィスはそこで人間関係をつくれば良かったのですが、彼女には無理だったんです。ええ……無理だったんです。
 人を愛する方法を知りませんでしたからね。かといって、実力も誰しもを圧倒するレベルではなかった。ごくありふれた人だったんです。
 
 ……おかしい、こんな世界。
 ……絶対におかしい。
 私の書く物語を、どうして平凡な目で見るの。

 彼女は握っていたペンを何度も折っていましたよ。力をこめすぎて、折れてしまうのです。

 そうして彼女は即興劇に戻ってきました。
 え?
 彼女はどうして即興劇に戻ったかと。
あれほど罵倒した世界に、のこのこと戻れるモノかと。
 それはね、時間のおかげなのです。
ウィスが過去にやったことを知らない、ファンというものがいたんですよ。
 人の出入りが激しい即興劇では、過去の出来事なんて川のように流れていくのです。彼女はファンに作品を待っていると言われて、戻ることを決めたんです。

 自分は一度罪を犯したのに。こうして迎え入れてくれる人がいる。
その声があまりに大きすぎて、疲労してしまうくらいだった。
 どうかその台本が、誰かの心に沿うのなら。

……私を大事にしてくれるのなら。
 大事にしてくれる人がいるのなら。
 もう一度戻ってもいいかもしれない。

……ええ、プロの世界だったらなかなかないことでしょうね。
 ヘイト発言をしていたがために本の発行が停止、演劇化もストップするなんてことは普通にあります。そうです、彼女は創作をするものでした。創作で表現したいことがありました。けれどもそれは自分を尊重してもらうための道具に過ぎなかった。家族が兄ばかり構って、自分を見てくれない、そんな子供時代を大人になっても、中年になっても、永遠に被害者でいたかったのでしょう。

 彼女は好きなモノのために頑張ろうとしました。
でもその場所は、もうそんなことが出来る場所ではなかったのです。
 いつだって後ろ指をさされる、でも彼女はそんな即興劇という場所を、捨てるのはすぐに出来ませんでした。他に居場所がなかったから。居場所があったら、そんな世界だけにとどまる必要はなかったのですから。彼女は自分の渾身をこめた台本が出来るだけ大事に使われるように、約束を決めました。でもそれはまた演者を憂慮させたという結果を導きました。

 約束までも疑われる。
 そうだ、この世界のクズどもは私を守ってくれない。私の味方じゃない。
 私の罪にいつまでも囚われて、ぐだぐだ言いやがって。

 このドブのゴキブリたちが!

 でも彼女は面だって謝ったことはあるのでしょうか。
 もし心から謝罪していたら、ただのこのこと戻ってきたということでなければ
ウィスはもっと堂々と台本を書き続けられたのではないのか。今となってはもはや取り戻せない話です。

 彼女は堂々とやめることを宣言し、自分に憂慮した人物をさらしあげる真似をしました。それが彼女にとって正しい行為でした。そして、もし自分が不愉快であれば、殺しに来ればいいとまで言ったのです。

 一つ、こんなお話があります。
ウィスの台本がなくなったことで、悲しいと言った演者がいました。
 でもその演者、実はウィスの台本が長くて恋愛ものだったので、苦手だったのですね。やるのも拒否するくらいだったんです。でもウィスのファンから睨まれると困ってしまうし、風潮には逆らえなかったのですよね……。
 狭い、世界ですから。
 いったい、ドブのゴキブリを蔓延させたのは誰なのでしょうね。
 ウィスはこの結末に満足しているでしょうか。彼女は死ぬまで創作は止めないと言いました。そうですね、止めなかったですね。愛されるために必要な道具でしょうから。一生懸命に書いていました。

 これで本当に、自由に、生きていけるのだ!
 私を好きな人に囲まれて、自由に!

 ……彼女との最後の光景を覚えています。
 彼女は机に向かって、一生懸命に書いています。
 白いシャツが青い月光に照らされていました。
私は剣を構えます。ウィスの物語は一つの終焉を迎えていました。
 だからもう用済みなのです。神様からも、世界からも。
 深く剣が突き刺さります。彼女は苦悶と絶句にのたうち回りながら、ペンを手放します。胸元を中心に真っ赤な花が咲きます。
 彼女はどうしてという顔で私を見ます。私は微笑みました。

「死ねば、もう嫌われませんよ」

 ウィス、ハルモニア。
 享年、四十二歳でした。
 

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