詩と私(1)

いろんな人の詩への考え方、取り組み方、向き合い方、言葉との付き合い方を知れば知るほど、周囲から『詩人』と呼ばれるプロってすごいなと思うし、ぼくはそこまで考えられていないなと思います。

プロは、書いている詩の量も圧倒的ですし、圧倒的な中から選ばれた詩が残されているわけで、すごい研磨というか、努力を努力とは思わない人が天才とはよくいったもので、ほんとうにそうなんだなと思います。

最初の頃は、ぼく自身のあまりの才能のなさ加減に落胆してしまってどうしようもありませんでした。

しかし、天才たちや、ほんとうに詩が好きで好きで仕方ない人たちや、努力を努力と思うことなしに詩をずっと書いている人たちと比べると、『研磨』も『努力と呼べるようなもの』も『好き度』も圧倒的に足りていないんだろうなと思いました。

これは卑下しているわけではなくって、ほんとうに足りていないんだろうなと思うんです。批評や対談などを読んでいると
「そんなに考えているの?」
「どうしたらそういう風に考えることができるの?」
「なぜそういう風に考えることができたの?」
って思うことばかりです。すごいです、詩誌に載るような人たちは、ほんとうに。

そんな風に考えることさえできなかった、なにを言っているのかさっぱりわからないなどはザラで、一生懸命考えているつもりだったけれども、まったく考えてなかったのか?と思うことばかりです。で、そういう風に思うと、やはり落ち込むわけですよね。自分にはなんだか才能なさそうだなあ、と。

ある程度ながく生きていると、他の分野でもあるわけです。自分にはなんだか才能なさそうだなあ、と思う瞬間って。セミプロっぽい活動まではいけたとしても、ある一定以上の『プロ』とされる人たちは、どの分野でもすごいんだっていうことがわかってくるようになる。

自己擁護ではないですけど、自分も努力していないわけではないと思うんです。努力しているからこそ、そのラインが見えてくるようになるのかもしれません。「え、やばいな、ここからはすごいな」っていうラインが。きっとどの分野でもそうなのだろうと思います。

で、きっと、ここで続けていこうと思えるかどうかが「ほんとうに好きかどうか」のサインなのではないかなって思うんです。他人に認められなくてもどんなふうに思われても付き合っていこうと思えるかどうか。

「うーん、自分にはそんなに才能なさそうだなあ」

そんな風に悩みがちなぼくでしたが、今は「気長にいくか」「好きなように書いていくか」と思えるようになりました。その延長線上に誰かに認められたり認められなかったりが、ついてきたりこなかったりするのかなと思えるようになりました。なにより詩を大切に、詩と楽しく付き合っていけたらなと思うようになりました。

ある時から、好きな詩で自分を追い詰めたくないなって、そう思ったんです。

こう書いてしまうと、甘っちょろいとか言われてしまうかもしれないんですけどね。「自分を追い詰めながらでも書いて鬼気迫るのが伝わってくるのがよい」と考える人がいたら、きっとぼくの詩を魅力的に感じてくれることはないでしょう。

ぼくは学生時代の頃の成績、国語はいつも最高で3/5中だったのを思い出しました。国語で褒められたことなんて一度もないかもしれません。どちらかというと理数系です。理数系の点数は低かったことはないけれど、文系の点数は逆に中以上をとれたことがないのです。

詩の「連」などについても最近知ったばかりです。基礎もへったくれもありません。正直、日本国語の文法さえわかっているかどうか怪しい。副詞とか形容詞とかも今更改めて勉強中だったりします。

これまでも"歌詞"は書いてきたんですが、"近代詩・現代詩"を知ったのは最近です。詩の世界をもっともっと突き詰めてみようかなと思ったときに、近現代詩を見つけた、そんな感じです。そんな世界があるんだって思いましたし、いろんな詩に触れていると日本語の可能性ってすごいなと思うようになりました。

日本語の可能性ってすごいな、国語を学び直したいな、普段使っている言葉と新鮮な気持ちで付き合っていたいな、普段使っている言葉を新鮮に感じていたいな、もっともっと普段の言葉を突き詰めて考えてみたいな、そんな風に感じさせてくれるのが、ぼくにとっての詩です。

たまに「なんでこんな詩が自分に書けたんだろうか?」と思わせてくれるのも詩です。自分なりに向き合っていると答えてくれるものです。他人が見てどう感じるかは定かではないですけどね。もしかしたら酷評されるかもしれないし、そう考えると怖いけど。

もしかしたら、うまくできた試しがないから、飽きないのかもしれないですね。楽しいのかもしれません。

でも、その喜びを感じて楽しいなって思うと、すこし肩の力が抜けた状態から、まあ気長に気軽に書いていこうって思うようになりました。

そんな風に感じられる距離感で、詩と付き合っていけたらなって思うようになりました。そしたらきっと最期まで付き合っていけるだろうなって思いました。

たまに距離感バグっちゃいますけどね。それも「好き」でいることの楽しみなのかなって思うようになりました。そういうのもひっくるめて、受け止め、受けいれて、歩んでいこうと思いました。

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