自然と不自然と人工と
Google先生によると
【人工-ジンコウ-】
人手を加えること。また人手を加えて作ること。
【自然-シゼン-】
人手を加えない、モノのありのままの状態。成り行き。
【不自然-フシゼン-】
自然ではないこと。わざとらしいこと。
【自然薯-ジネンジョ-】
やまのいも
とのこと。
自然の対義語は、不自然ではなく人工なのである。
これは小学校のテストの時に習ったことなので分かり切っている。
分かり切っているというか言葉で理解している。
ただ、よくよく考えてみると境界線が難しい。
例えば、自然豊かな公園。
木が生い茂り、花が咲き。鳥のさえずりが聞こえる。
こんな自然豊かな公園。
自然っちゃ自然なのだが、公園は人工で作られたものだ。
庭園だとか、盆栽だとかも人工だ。
だが美しい。
人は圧倒的な自然の前には成すすべがない。
津波、川の氾濫、雷
こういった自然の猛威と隣り合わせの中で生活している。
僕はたまにサーフィンをするのだが、ボードからふるい落とされ波にのまれている際には、なすすべもなくもみくちゃにされる。
自然災害とサーフィンを一緒に考えるのはどうかと思うが許してもらいたい。
こう考えると、人はコントロールできる自然に一種の幻想を抱いているのかもしれない。
「攻撃してこない自然」ということに安心感を感じることで、美しさを見出すことに集中できる。
攻撃してこないからこそ、
「ここがいい」やら「ここはもっとこうしたほうがいい」やら様々なことが言える。
ライオンがつけた木のひっかき傷は自然なのか?
ライオンがつけたのだから人工ではない。
だがライオンがつけたのだからライオン工ともいえる。
人以外の動物が作ったものは自然とされ、人が作ったものは人工とされる。
人か、それ以外か。
まあ単純にそんだけの話なのだが、ライオンが作ったものが自然なんだから人が何かを作るということも自然な理ではなかろうか。
そうすると、世の中にあるもの全てが自然である。
何かに悩むことも、落ち込むことも自然なんだ。
そうするとちょっと心が楽になったので、これでおしまい。
ああ、自然薯のとろろご飯が食べたいなあ。
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