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「エモい」の正体

こんばんは。
やわひゃーです。


今日は、表題通り「エモい」について考えてみたいと思う。

なんだ藪から棒に。
しかもちょっと古いし。
藪からスティックに。
これはもっと古い。

端的に言うと、


眠れないのである。


これは少し端折りすぎたか。

眠れないときは音楽を流す癖があるのだが、
僕の好きな「フレンズ」や「リーガルリリー」をチョイスしたのがいけなかった。
いわゆる、”エモい”のだ。
具体的にいうと僕が昔見ていたころの景色を刻々と思い出すのだ。

この道をいけば〇〇君家でこっちだと××君家につながる三叉路であったり、
自転車を手放し運転していた直線が続く田んぼ道であったり。
あるいは大学生の冬、夜明けとともに原付にまたがって見た海と朝日だったり。

(かなり蛇足だが、日が昇る東側に海があり、その道中は峠で街を見下ろす景色がある佐世保の町はかなり良い場所だと思う。あそこで学生時代を過ごせたのはかなり自分の中で大きい時間だった。)

そういった”昔”の”景色”に心が動くようだ。
これが僕の感じる「エモい」なのだが、
もう少し説明するなら、映像がフィルム加工されている感覚である。
いや、ちょっと言い過ぎた。
軽くぼやけているぐらいだろうか。
それは時間的に昔のことで少しばかり忘れているからであろうか。
やはり、時間軸的には”昔”であることが必要なようだ。

そして、昔であるならば思い出すという作業が当然ながら必要になる。
ということは、何度でも思い出すことができるもの、つまり、普遍的なものである。
それはやはり”景色”なのではなかろうか。
もちろん地元のジャスコがいつのまにかイオンになっているように、景色も恒久的に不変というわけではないが、集中的に毎日目にしているようなものは脳に焼き付いて変わらないものとして扱われるであろう。


これが僕が思う「エモい」の正体だ。
おじさんたちの間で物議を呼んでいたものの正体を暴けて満足している。
これは何かしらの賞をいただいてもよいのではないか。
多くの人の悩みを解決したのだからな。


正体がはっきりしたところで、やはり答え合わせをしてみようではないか。
世の「エモい」の巣窟であるInstagramを見てみるとしよう。

#エモい

さて、世の若者たちはどんな”昔の景色”を挙げているのかな。


「エモい写真の作り方!」

「青春フォトはこうやって撮る!!」

「盛れるカップルコーデ」

「エモ系男子ファッション」


ん?
ちょ、え?
昔は?
景色は?
全然現在でエモを作りだしてるやん。
ってか、ずっと自然に見てたものが後々エモになるんじゃないの?
意図的に生成できるとか聞いてないよ。
いや、エモファッションって何。
おじさん、ファッションでエモを感じたことないよ。


コテンパンにされました。
あんまり納得したくはないのですが、様々な「エモい」があるようです。
若者の潮流に乗って変化していくことが是とされている昨今。
世のおじさんたち、課題は山積しているぞ。
いくつになっても勉強とはよく言ったもので、今日実感いたしました。


夜中二時にこんなクソ理論を立てたという実績だけは褒めてやりたいものです。思い付きで1200字書けるんですからね。原稿用紙でいうと3枚分ですよ。もうすぐ読書感想文書き終わるじゃん。
読書感想文だって。
うわ、なっつw
なんかエモいわww


痛々しいですね。
寝よ。
おやすみなさい。


お読みいただきありがとうございました!

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