M-1グランプリ2020 徒然

マヂカルラブリーの優勝で終えたM-1グランプリ2020。面白かった。

「漫才じゃない」「いや漫才だ」論争も冷めてきたところなので、冷静に書きます。
プロの漫才師は「漫才だ」といい、一般の方が「漫才じゃない」と言う意見が多いように感じる。
漫才に携わっている立場からすれば、あれは「漫才」です。でも近年のしゃべりを中心とした話芸の「漫才」を期待した視聴者さんの意見もよくわかる。
マヂカルラブリーは、マイムに、説明とツッコミをずっと繰り返す、とても難しいことで笑いをとっていた。普通の漫才中に、マイムや表情で笑いをとる事がある。それを3分10秒やり続けたという事になる。普通なら同系統のボケが続くので飽きてしまうものだが、バリエーションで乗り切ったという事。
それにしても1本目のレストランにダッシュで走り込んでくるつかみのボケのウケが凄かった、拍手笑いが何十秒にも渡って続いていた。

一般の方は去年のミルクボーイのような漫才を期待していたのかもしれない。去年のミルクボーイのネタは歴代最高得点という万人受けするネタ。わかりやすい設定に理解しやすい広げ系の受けで、あるあるネタとワード選びの冴えた2本になっていた。まあ、厳密に言えば、しゃべりの頻度が9:1ぐらいなので、掛け合いの漫才のように見えるが、本来の理想的なしゃべくり漫才とは違うといえば違う。

一昨年の霜降り明星の決勝の漫才も、掛け合いの漫才かといえば違うし、サンドイッチマンがやる「漫才コント」も漫才じゃないという見解もある。
センターマイクを1歩でも離れたら、漫才ではないという人もいるし、私の元相方のスギちゃんは、ピン芸人になった時にマネキンを相方にしてM-1に出ていた。さすがにそれは漫才じゃないと思うが、予選には出ていたから笑う。
ボーイズと呼ばれる楽器を持った漫才もあるし、三味線で浪曲、タップダンスを踏みながらという形だってある。

そうやって漫才はいろんな形を変えて、時代時代に合わせて変化や進化をしてきた。だから漫才は面白い。

「漫才はこうでなければいけない」というモノが出来てしまうと、漫才はそこで古典になっていくんだと思う。常に新しい何かが見られるから、漫才は見ていて飽きない。笑いの多くは裏切りだから、今後もいい意味で形を破って裏切って行って欲しいと思う。

桂枝雀師匠は、落語家なのに所狭しと動き回る。「それはもう落語じゃないだろ?」という声もあれば、「座布団の端に足がかかっていれば落語」という人もいる。
大リーグに行く前の野茂に、あなたの投球フォームは正しい投げ方じゃないと揶揄した人がいる。結果は言わずもがな。
スタイルとは常に変わっていくものでいいのではないでしょうか

それでも、私はしゃべくり漫才意外は認めない、という人がいたら、それはそれで良いと思います。笑いは「好き嫌い」です。こんな笑いのとり方が好き、こんな上品な笑いが好き、こんな言葉遊びが好き、時事ネタが好き、色々あります。
音楽も同じ。ロックがあってフォークがあって、カントリーがあって、メロコアもある。好みがあって良いんです。好みがあるのが自然なんです。クラッシックが好きで、メタルも好きって人のほうが少ないと思います。
なので好きな漫才師を応援してあげてください。劇場に見に行ってください。

笑いはその人の、好みなんです。好きなものは好きでいいと思います。ただあなたが好きではない笑いでなくても、それを好きな人はいます。
「あれは笑いではない」「あれは漫才ではない」ではなくて、「あれは好きではない」「あの笑いは私にはわからない」と言い換えてください。
その中でも、人を腐すような笑いのとり方があります。そういう笑いには「あの笑いのとり方は嫌い」とはっきり言っていいと思います。そういう笑いはジャンルとして存在しますが、私も嫌いです。

審査員の点数なんかを見ていると、自分が思っている以上に点数が入ってないなとか、「これがなんでこんなに高得点?」と思うことがあると思います。
笑いの中でわりと笑いが取りやすいジャンルがあったりします。そういう笑いのとり方をしていると、ウケているのに点数や票が入らない場合があります。漫才をやっている人ならわかります。笑いやすい方に舵をきったなと。安牌を置きに来たなと。
お客様は「ウケてるのになんで評価されないんだろう?」と思うことがあると思いますが、そういうことなんです。
大声のボケやツッコミに「声が大きいだけじゃん」という人もいますが、声が大きいだけだとうるさくて邪魔だったりします。感情と表情と、ボケの角度によって、始めて声の大きさがマッチするんです。誰がやってもウケるというわけではないんですね。
ストレートなツッコミより、ひねったツッコミどちらが優れているかという話にもなりますが、ストレートなツッコミが出来る人は単純に強いです。それは、例えるなら相撲で王道の「押し相撲」が一番強いように、ストレートなツッコミで笑えるのは王道です。これがなかなかいないんです。おいでやすくんのようなツッコミは貴重なんです。もちろんワードや比喩が乗っかってきたら最強になります。
「ボケ」のワードだけに囚われてる方も一般の方は多いかもしれません。それに加えて「とぼけ」が出来るかどうか。ここはかなり重要だと思います。ボケが単純なバカなボケになるほど、白々しくなります。その白々しさを感じさせなくなる「とぼけ」が自然に出てくると、ボケは強烈なキャラクターになっていきます。今回でいうと錦鯉のまさのりさんです。
「とぼけ」は芝居の一種かもしれませんが、芝居をしているうちは、とぼけきれていません。すごく難しいですね。
漫才は何度も練習をして舞台に立ちますが、始めてそこで思いついて喋ってるという、芝居の中でも難しい芝居をしなければなりません。アイドルの方や役者さんが、漫才の真似事をする際に「初めて聞いた」という芝居をしてしまうので、初めて聞いていないんだろうなという結果になってしまう。例えば、かまいたちの漫才が、本当に舞台上で言い争っているように見えてるのが、芝居の先にある「漫才のうまさ」なんだと思います。もちろん「うまさ」というのは小さな笑いの差し込み方とか、空気を察してトーンを切り替えたりとかもありますけどね・・
そんないろいろな漫才の中で、私も言葉ボケやワード選びの冴えたツッコミは好きですが、最終的に「顔がおもしろい」とか「声が面白い」って天性のものが、最も大事だって気付かされたりもします。
R-1グランプリの時に負けた厚切りジェイソンがゆりあんレトリィバァと「何が違うのか?」を審査員に聞いた時に、板尾創路さんが「顔が面白い」っておっしゃっていました。厚切りジェイソンは納得していなかったみたいですが・・

話は戻りますが、マヂカルラブリーのようなネタを他の人がやってもウケないよ、と若い漫才師さんは理解しておいてください。長年に渡ってキャラクターを浸透させてきた努力であり、結果を残してきた賜物なんです。
「あれが優勝できたんだから、芸風をあんな風にしよう」ってやると大怪我します。そもそも2番煎じですからね、ネタ見せに持ってこないようにね。あなたはあなたに合った漫才をやってください。あなたにはあなたの良いところがありますので、それを引き出してくださいね。

「漫才」に決まったスタイルはないとは言いましたが、笑いやすいスタイルというのは存在します。
近年センターマイクから大きく離れるコンビが多いように感じます。離れすぎると離れた人に目が行ってしまって、相方の表情が視界に入りません。困ったいい表情をしていたり、さげすんだ笑えるリアクションをしていたりするのに、目に入ってこないんです。お客様の目に入らないのだから、笑いも半減します。そのあたりは、もっと漫才うまくなった方が良いと思います。

顔の向きも同様です。真横を向いてしまう人が多い。真横を向けば、横顔しか見えませんから、表情がわかりにくい。斜めぐらいでいいんですよ。常に前を見ているから、横を向いた時に意味や表情が出るんですよ。テレビカメラで言えば、一人のアップを抜いている時に相方の後頭部しか見えないという事になってしまいます。漫才の理想は自分と相方とお客様との三角形を作ることです。基本です。決勝に行くようなコンビでもこのあたりが出来ていないコンビもいたりします。

今回のM-1グランプリ2020はパワー系・キャラクター系が多かったように感じます。準決勝・準々決勝も同様です。審査員も会場の笑い声に少なからず影響されて点をつけたりしますので、それだけパワー系・キャラクター系でお客様が笑ったという事。
コロナの影響でテンションの上がらない1年だったので、「みんなシンプルに馬鹿笑いしたい」というのが、今回の結果に反映したのではないかと思います。世間の情勢って漫才のスタイルに影響します。ほんと。

なにはともあれ、漫才サイコー!
早く劇場で大笑いが出来る日常が戻って来てほしいですんね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?