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人間らしく働くことと不便さについて

通勤電車について書こうと思う。

わたしが利用しているのは、デンマークの首都圏近郊、約170kmの範囲に7つの路線を持つ鉄道、S-tog(エストー・S電)。路線内には84の駅があり、ウィキペディアによると一日延べ36万人が利用している。

S電はDSB(デンマーク全土を走る鉄道)に比べると大きな遅延は少なく、朝のラッシュ時も比較的スムーズに動いている。ラッシュといっても、満員電車状態になることはほぼないし、大きな遅延か、車両が極端に少ない(たまにある)時を除いては、あまり長く待たずに座れる。そんなS電をわたしはここ数年毎日利用してきた。

S電には車掌はいない、いわゆるワンマンカーだ。運転士自身が自動のアナウンスを流し扉の開閉もしている。そして車椅子利用者にもひとりで対応する。車椅子の乗客も乗り方を心得ていて、必ず一両目の一番前の扉から乗車するためにホームで待っている。運転士は電車を停車させると、一両目の一番前の扉の内側に横付けされているスロープを取り出すために運転席から出てくる。そしてスロープを設置しながら、乗客にどこで降りるかを確認。降車の際にはまた運転士が出てきて、スロープを置き、車椅子の乗客を送り出す。

S電には一番前と後ろの車両には大きな自転車マークがついている。これは自転車を無料で持ち込める車両で、ほかにも車椅子やベビーカーもここに(もちろんたたまずに)乗せられるようになっている。


先月、このS電とDSBは4回にわたってラッシュ時にストライキをおこなった。その理由は、労使間の交渉が決裂したためだ。正確にはまだこの交渉は合意に達していないので、今後も同じことが起こる可能性があるらしい。

運転士たちの行ったストライキは、様々な業種で認められている労働者の権利であるが、実はデンマークでは電車の運転士にそれは認められていない。一部の職業、特にストライキをすると社会の混乱が予想される職業ではストライキが認められておらず、電車の運転士もそのひとつだ。そのため、3回のストライキは裁判所の判断で罰金が科され、各運転士はそれぞれ給与から支払いを求められたという。それにもかかわらず、4回目(S電の2回目にあたる)が先週金曜日に行われた。

全てのストライキは朝や夕方など、利用者が最も多い時間帯に行われた。鉄道の利用者にはもちろん大きな影響がでるが、少なくともわたしの周りではあからさまに怒りを表現している人はいなかった。実際にわたしも影響を被ったけれど、職場に電話すると「走らないんだから仕方がない」と言われただけで、先週の金曜日は仕事時間が短い日であったこともあり、あっさり臨時休業となってしまった。

多くの利用者に影響が出る時間帯にストライキをするのはなぜなのか。同僚や家族にその理由を尋ねると、彼女たちの言葉はこうだった。「当然よ。最も影響がある時にストライキをすることで、メディアが注目し、社会で話題になる。そして、自分たちの問題を多くの人々と共有できるから

迷惑をかけるという発想ではなく、敢えて自分たちの問題を社会に伝える手段としてしまう。利用者中心ではなく、自分たちが主軸。そして、被害を受けた人々(わたしよりもっと深刻な影響を受けた人も多いはず)も不便さを感じているのに、概ねそれを受けいれてしまう。それは、自分たちが仕事で同じ状況に陥る可能性を知っているし、シンパシーを感じているからだろう。

S電は遅延が比較的少ないと書いたが、それでも、信号機の故障や、線路に使用している銅線が盗まれたため(なんと転売すると高く売れるらしく、東欧から命がけで盗みに来るそう)など、様々な理由で遅延がある。そして先日は、運転士の病欠者があまりに多いため、朝から間引き運転にもなった。利用者は本当に、日々、S電で働く人たちの様々な状況に影響を受けている。もちろんそれにうんざりする時もあるし、片道通勤に2時間半かかった日などは、さすがに泣きそうになった。

でもそんな運転士たちは、とても人間味豊かな人々でもある。遅延時のアナウンスでは、自動アナウンス以外にも、運転士自身が利用者に向けて言葉をかけてくることがある。遅延がひどかったある金曜日には「皆さん、今回は電車が遅れて大変申し訳ありませんが、それは私にはどうしようもありません(信号の故障だから)。さあ、気持ちを切り替えて、今日は金曜日です。もうすぐ週末でお休みの方もいるでしょう。皆さん、電車は遅れましたが、週末はもうすぐそこです!楽しい週末をおすごしくださ~い!」という明るいアナウンスに、乗客たちはクスクス笑い、最後にはそれぞれ、楽しい週末をという言葉にありがとうと答えていた。車内は電車の遅れにも関わらず、とても和やかな空気になった。

人間味にあふれたS電の運転士たちと、常に彼らの動向に影響を受ける利用者たち。わたしたちはつながっているんだなと感じる。普段、あらゆるサービスが、機械のように、常に正確に動き続けることを前提にわたしたちは生きているけれど、これが本来の姿なのかもしれないと気付く。自分の不便さの先には、他者の生きる権利、人間らしく働く権利があるかもしれない。不便さは現代社会にとって悪者でしかないが、そう考えれば、受けいれることも難しくないかもしれない。だってそれは、自分ともつながっているのだから。S電の運転士の明るい言葉に心が温まったときふとそう思った。

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