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瓶に手紙を入れて海に流す人のように書いていた

 実際にやったことはないですよ。その、瓶に手紙を入れて海に流すっていうやつです。早い段階で拾われないと環境にやさしくなさそうですし、どこの誰にいつ届くか分からないなんて。仮に手紙を日本語と英語で書いたとして、拾った人がどちらも読めない人だったら?拾った人に読んでもらったとして、「だからなんだ?」という反応をされたら?または読まれたときにはすでに私はいなくなっていたら?そもそも瓶に入れた手紙に何を書くというんでしょう?大抵「お友だちになってください」ですよね。ちなみに有名なミステリー小説「そして誰もいなくなった」の犯人は封をした自白の手紙を瓶(壜)に入れ「海に投じ」ていましたが何でそうしたかなあ。もっと賢い、確実に読んでほしい人に届ける方法があったでしょうに。(と思うんですがこれがなんと最終的に犯人が1番読んでほしいであろう「ロンドン警視庁」に届いちゃってるよ…フィクションって…都合がいいなあ)

 何でこんなことを書いているかと言いますと。昨日ふと思ったんです。「私って文章を書くときペルソナを想定したことなかったな」つまりどんな層のどんな人たちに読んでもらいたいかを意識的に考えて書いたことなかったな、って。そしてしばらくして、「待てよ、それって『瓶に手紙を入れて海に流す』人じゃん!」「やばいわ…」と思ったわけです。書きたいことを書く、それがいつかどこかの誰かに届いたら嬉しいな、そしてそれを喜んでもらえたらな、でも届かないかもしれないな、でもやってみたいからやろう。そしてそれをよしとしていたのです。いやいやいや、それってさあ、果てしなくロマンチストで単なる自己満足じゃん。って気がついてしまったのです。(「じゃん」連発すみません。。生粋の関東人なもので)

 ペルソナを想定しないってこういうことだったのね…

 明日からは、ペルソナを設定します、たぶん。

どこかのだれかへ。
            澤田奈々未より

               かしこ。

p.s. この手紙を読んでくださった方、ありがとうございます。もしこの手紙がおもしろいなと思ったらいいね、してくださったらうれしいです。

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